2005年 08月 09日 ( 1 )
web法話 『怨親平等 ②』 大野町・西光寺 野村了嗣
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【テキスト版】

蒙古来襲は未曾有の国難であったにも関わらず、時の政府鎌倉幕府は、敵味方を区別せず、追悼しています。
 このことは、世界史という視野で眺めても、きっととてもすばらしいことで、あまり他には例の少ないことかと考えられます。もし、死者にむち打たない、死者に敵も味方もないというのが、日本人の本来の価値観なら、これは世界に誇ってよい美徳ではないでしょうか。
しかしその日本も、江戸の幕末になると、 倒幕・佐幕・勤王佐幕で揺れ動き、戊辰戦争へと至って、明治維新を迎えたのですが、残念ながらこの戦乱では、国内の内乱でありながら、敵はあくまでも敵として、戦死者を敵味方峻別し、味方のみを篤く祀りあげ顕彰するという風潮が主流となっていました。
 勝てば官軍、勤王の志士や官軍の戦死者は、やがて神にも祀りあげられ、名誉を与えられ顕彰されましたが、一方、賊軍の烙印を押されて死んでいった人たちは、死後も厳しい政治の差別を受けました。
 死者には、敵も味方もないというあの蒙古来襲の時代にみられた日本人の美風は、既に過去のもので、日本は敵味方を厳しく区別する思想を抱えたまま、さきの世界大戦へとなだれ込んでいきました。
 戦死者の追悼には、敵味方の区別をしないこの姿勢は、怨親平等と呼ばれています。敵は未来永劫敵であり、怨念の対象であるとする姿勢とは、大きく異なります。何か救われ、心が開かれる思いがします。もし、毎年8月15日に、この怨親平等の精神で、全世界の戦没者の追悼を日本の政府が行ったなら、世界の、特にアジアの日本を見る目もやがて変わるのではないでしょうか。


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by e.wash-r | 2005-08-09 06:02 | Web法話 | Comments(0)