2008年 04月 06日 ( 1 )
隠れ念仏とチベットの状況

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『花立』 

 天文13年(1554年)2月7日の真宗禁制令により、球磨一円の真宗信者の家から仏像仏具が撤収され、十島仏像仏具消却地(相良村柳瀬十島)に於いて焼却されました。
 その焼却の炎を見るたびに、球磨川の対岸地から信心深い念仏婆さんが、川淵に花を供えて伏して拝んだことから「花立」という地名となりました。

                                    花立案内版より



本願寺新報(4/1号)の【ほのぼのえっせい】欄に『崩されていくチベットの心』と題した記事が載っています。

ボクの尊敬する鋭い感性のGさんは、この記事について、「この時期、非常に不用意」と苦言を呈していらっしゃっいます。ボクも同感です。


私見を書きます。



本願寺新報という宗門の公的なメディアが、時事問題・国際問題等をどのような基準で扱っているのか、ボクにはよくわかりません。社会情勢に対して発言してゆくというスタンスなのか、それとも宗門内の信仰のメディアというスタンスなのか、まず、ハッキリさせておく必要があるでしょう。

近年、宗門は「社会性」を掲げてきました。(ボクは個人的には、違う考えを持っていますが・・・)呼応して例えば、同4/1号のTOP記事も、【ビハーラ施設のオープン】に関するものです。宗門の姿勢・本願寺新報のスタンスは、社会に積極的と受けとめられる実状だと思います。

そのうえでです。そのスタンスのうえで、この時期、チベットに関して、「急速な近代化のために、チベットで大切に護られてきた価値観が崩れていく・・・」と、「近代化」というひとことですませるエッセイが適切なのでしょうか。表題に『崩されていくチベットの心』とありますが、崩していくものが何なのかという社会的視点が、全く欠落しているのではないでしょうか。


江戸から明治のはじめにかけて、九州南部の薩摩藩や人吉藩などは、浄土真宗の信仰を禁止しました。しかし、禁制の中、一部では『隠れ念仏』という形態で法の灯が消えることはありませんでした。

ただ、弾圧の中で、信仰のすがたを捨てざるを得なかった人々も大勢いらっしゃったことと想像します。権力に背くということ、『隠れ念仏』をすることは、おそらく口で言うほど生やさしいものではなかったはずですから。

そういう状況の中で、信仰のすがたを捨てざるを得なかった人々のことを、単に「時代の流れの中で、大切なものを捨てた人々」ということが適切でしょうか。


信仰は個人のものですが、『隠れ念仏』も『チベットの状況』も、その原因は、個人を取り巻く社会情勢にあることは、ほぼ間違いありません。すくなくともチベットの状況は、自らが望み育んだ「近代化」や「豊かな暮らし」によって、個人の信仰が薄れたという問題ではないとボクは思います。


著者に他意はないと思います。ただ、やはり、この時期、「チベット」を題材にしつつ、「チベット問題」の本質を曖昧にするような内容を【ほのぼのえっせい】として載せることがどのような意味を持つのか、宗教団体の新聞として真摯に考えて欲しいと思います。

決して政治的に発言せよと言うのではありません。研ぎ澄まされた鋭利な感覚で、信仰と社会(政治)との関係を見つめることができる宗門の新聞であって欲しいと思うのです。






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by e.wash-r | 2008-04-06 23:41 | Tibet/西蔵 | Comments(0)