2008年 09月 28日 ( 1 )
歎異抄第一条  -和上さまのお話し-

弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて
念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづ
けしめたまふなり。


b0029488_248861.jpg駐車場へ誘導
b0029488_248304.jpg板書
b0029488_2485229.jpgお話し

黒野組壮年会主催の山田行雄和上の講義『歎異抄に学ぶ』の第一回目。
参加者30人、当寺からは壮年会役員さん3人が聴講。お誘いしたS師の姿も。

本願寺発行の歎異抄の現代語訳版をテキストに、第一条を、「法」「機」「救い」の三節に分けてのお話しでした。

法は、弥陀の誓願不思議。不思議とは、人間の理性(思議)の積み重ねを越えた(不)もの。
機は、性得の機(衆生のそのままの姿)。
救いは、成仏。

人間の理性を否定するものではないけれど、理性の積み重ねはどこまでいっても人間の理性の範疇であり、宗教的な真実ではないと聞きました。

論理的な講義で、"歎異抄のお説教"を期待していたボクや当寺壮年会の方々には、少々難しい展開でした。当寺の役員さんからは、『ウチの壮年会には、難しい。ココに来る前に、お寺で仏教や真宗の話を聞くことが先かなあ・・・」という声も。ボクも、横着な言い方ですが、頭を使わなくても聞ける歎異抄のお話しだったらみなさんを誘いやすいのになあと思いました。

研修会のコンセプトの問題なので、一方的な主張ではいけないと思いますが、願いとして、当寺の思いを主催者に伝えることはしたいと思いました。


おまいり、B寺永代経法座のお取り次ぎ、研修会と多彩な一日。研修会の後、夜の10時すぎからは、同級生と遅い夕食。30年ぶりに再会し"懐かしい話"や"今の話"で深夜まで盛り上がりました。変わらぬ旧友に安心しつつ、それでもおたがい、どこか昔とは変わったんだろうなと・・・。

充実した一日でした。


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by e.wash-r | 2008-09-28 02:46 | おまいりにて | Comments(5)