2010年 06月 02日 ( 1 )
黒野組『お聴聞のつどい』  -梁塵をふるわすもの-
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黒野組『お聴聞のつどい』。門徒推進委員さん方が中心になって。仏心寺さんにて。満堂。

『み教えに問い、聞き、生き抜く』と題した御講師のお話しを聞きました。

中越地震・映画『クロッシング』・普天間問題からお姑さんのつぶやきまで、幅広い話題をモチーフに、親鸞聖人が述べられた「いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり」の"われら"ということについての見解。

宗教の社会性を謳い差別等に立ち向かうひとつの方途としてのお話しだったように思います。

でもボクは、"われら"のすがたを追求し、そこにある差別の相に気づき、その問題を共有し、そして生き抜くというお話しより、"阿弥陀仏の御こころ"のお話しを聞く方が好きです。

軟弱ものとか差別の傍観者、ひいては差別者と言われるかもしれません。でも、ボクとしてはやっぱり阿弥陀さんであり、そして確な言動として示すことはできないけれど果てのない報恩の重さを思うのです。

せっかくの機会、御講師引用の御文をボクなりに味わってみたかったので、寺に帰った後、『唯信鈔文意』を読み返してみました。『唯信鈔文意』は聖覚法印著述の『唯信鈔』を宗祖が解説されたものです。



『唯信鈔文意』のはじめの部分とお話しに引用された御文の前後を一部抜粋転載


「唯信鈔」といふは、「唯」はただこのことひとつといふ、ふたつならぶことをきらふことばなり。また「唯」はひとりといふこころなり。「信」はうたがひなきこころなり、すなはちこれ真実の信心なり、虚仮はなれたるこころなり。虚はむなしといふ、仮はかりなるといふことなり、虚は実ならぬをいふ、仮は真ならぬをいふなり。本願他力をたのみて自力をはなれたる、これを「唯信」といふ。「鈔」はすぐれたることをぬきいだしあつむることばなり。このゆゑに「唯信鈔」といふなり。また「唯信」はこれこの他力の信心のほかに余のことならはずとなり、すなはち本弘誓願なるがゆゑなればなり。


・・・「不簡破戒罪根深」といふは、「破戒」は上にあらはすところのよろづの道俗の戒品をうけて、やぶりすてたるもの、これらをきらはずとなり。「罪根深」といふは、十悪・五逆の悪人、謗法・闡提の罪人、おほよそ善根すくなきもの、悪業おほきもの、善心あさきもの、悪心ふかきもの、かやうのあさましきさまざまの罪ふかきひとを「深」といふ、ふかしといふことばなり。すべてよきひと、あしきひと、たふときひと、いやしきひとを、無碍光仏の御ちかひにはきらはずえらばれずこれをみちびきたまふをさきとしむねとするなり。真実信心をうれば実報土に生るとをしへたまへるを、浄土真宗の正意とすとしるべしとなり。「総迎来」は、すべてみな浄土へむかへ率て、かへらしむといへるなり。

 「但使回心多念仏」といふは、「但使回心」はひとへに回心せしめよといふことばなり。「回心」といふは自力の心をひるがへし、すつるをいふなり。実報土に生るるひとはかならず金剛の信心のおこるを、「多念仏」と申すなり。「多」は大のこころなり、勝のこころなり、増上のこころなり。大はおほきなり、勝はすぐれたり、よろづの善にまされるとなり、増上はよろづのことにすぐれたるなり。これすなはち他力本願無上のゆゑなり。自力のこころをすつといふは、やうやうさまざまの大小の聖人・善悪の凡夫の、みづからが身をよしとおもふこころをすて、身をたのまず、あしきこころをかへりみず、ひとすぢ
に具縛の凡愚・屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。具縛はよろづの煩悩にしばられたるわれらなり、煩は身をわづらはす、悩はこころをなやますといふ。屠はよろづのいきたるものをころし、ほふるものなり、これはれふしといふものなり。沽はよろづのものをうりかふものなり、これはあき人なり。これらを下類といふなり。

 「能令瓦礫変成金」といふは、「能」はよくといふ、「令」はせしむといふ、「瓦」はかはらといふ、「礫」はつぶてといふ。「変成金」は、「変成」はかへなすといふ、「金」はこがねといふ。かはら・つぶてをこがねにかへなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。れふし・あき人、さまざまのものは、みな、いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり。如来の御ちかひをふたごころなく信楽すれば、摂取のひかりのなかにをさめとられまゐらせて、かならず大涅槃のさとりをひらかしめたまふは、すなはちれふし・あき人などは、いし・かはら・つぶてなんどを、よくこがねとなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。摂取のひかりと申すは、阿弥陀仏の御こころにをさめとりたまふゆゑなり。文のこころはおもふほどは申しあらはし候はねども、あらあら申すなり。ふかきことはこれにておしはからせたまふべし。この文は、慈愍三蔵と申す聖人の御釈なり。震旦(中国)には恵日三蔵と申すなり。・・・




休憩時間、開け放った本堂を初夏の風が強く吹き抜け、綿埃がふわふわと落ちてきました。

満堂のお同行の上で舞っている綿埃を見ながら、悶々と思ったこと。

後白河法皇が当時今様と呼ばれた歌謡を集められた『梁塵秘抄』。「梁」に積もった「塵」を震わすほどの歌を集めたという意味だそうです。

"阿弥陀仏の御こころ"とお念仏が梁塵を震わす、法座はそういうものだと・・・。



   暁静かに寝覚めして 思へば涙ぞ抑へ敢へぬ
   はかなく此の世を過ぐしては いつかは浄土へ参るべき


   遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
   遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ


                                -梁塵秘抄-



美濃四十八座と黄鐘会は、梁塵が震える法座です。



                         
→ 正尊寺住職雑記 2004/1/28 勉強会の新年宴会(聖覚法印・西法寺)
→ 西蔵坊だより 2004/11/23 お講汁-滋賀湖北地方の報恩講おあさじ-




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by e.wash-r | 2010-06-02 22:36 | おまいりにて | Comments(4)