2011年 04月 11日 ( 1 )
「絶対大丈夫と信じていた・・・」
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人が、「信じている」ということばを使うとき、そこには不安が内包されています。従って、「信じていた」という過去形は、その不安が現出したことを意味するといっていいと思います。根底にあるのは不安です。


原子力保安院の「絶対大丈夫と信じていた・・・」という会見について。


まず、この文の目的語。
厳密には本当に信じていたかどうかはわかりませんが、何を信じていたかというと、

狭儀では
・事故を起こした福島第一原発の安全

常識的には
・原子力の安全性

うがった見方をすれば、
・「少なくともわたしは放射能を浴びることはないだろう」ということ。
・「どうなってもわたしが責任を負うことにはならないだろう」ということ。


そして、この文の主語。
厳密には本当に信じていたかどうかはわかりませんが、誰が信じていたかというと、

確信犯として
・原子力政策・行政を推進してきた政治・行政の方々 (流れからいえばJ民党さんとか)
・原子力を利用しようとした産官の研究者・技術者の方々 (御用学者さんばかりでなく)
・原子力施設を製造・運用するいわゆる原子力産業の方々 (T芝、H立、T電さん等)

広義では
・有権者、市民、電気を使っている人たち、原子力に懐疑的だった人たちも含めみんな



要するに、無知(ある意味では無恥)で、原子力を制御できないボクたちは、「絶対大丈夫と信じている」ことで、安全への不安を隠し、封じ込めようとしていたんでしょうね。

ボクたちは、あてにならないものに対して「絶対」「大丈夫」「信じる」ということばを使う傾向があるみたいです。



「絶対」、「大丈夫」、「信じる」。いずれも、ほとけさまが使われることばです。

ひとたびとりて永く捨てぬ、ものの逃ぐるを追はへとる、ということ
おさしつかえなし、ご注文なし、ということ。
無条件、ということ

「信じる」ということば。
おぼつかないボクたちが用いると、おおよそ危ういことになるようです。





【追記】

2011/04/11
福島県知事が東電社長の面会を拒否したというニュース。

体面上、仕方ないかもしれないけど、なんだかなあ。

菅さんも谷垣さんも、原子力保安院も、東電社長も福島県知事も東京都知事も、みんな"好んで"同じ穴に入った狢だと思うんですが・・・。一応ボクたちもと書いておきます。











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by e.wash-r | 2011-04-11 19:12 | 智慧と慈悲 | Comments(0)