2013年 10月 27日 ( 1 )
Nちゃんの結婚式 2
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本願寺での厳粛な結婚式、大勢の仲間に祝福されたRホテルでの披露宴、ともにすばらしいものでした。

Nちゃんがまだ小学生だった頃、お兄ちゃんのTくんといっしょに川へ遊びに行ったときのことを思い出します。ひとしきり泳いで、河原で食事。後に、彼女は、ナイフで切っただけの明方ハムが印象的だったと言っていました。私事ですが、ボクの山の食事は相変わらずです。

そんな彼女が結婚。新郎のYくんは大の山好きとのこと。披露宴で、二人にお酌をしながら、ボクをはじめて山に誘ってくださったのはNちゃんのお父さんだったことを伝えました。おふたりとも初耳のようでした。

「好き」が繋がっていくのはいいものです。



結婚式、披露宴を通して、なんとなく気になっていることをふたつ。今回の結婚式に限らず、ずっと思っていることです。

1、仏前結婚式で、「新郎新婦の誓い」は必要なんだろうか?

本願寺の仏前結婚式の差定(プログラム)において、司婚者の「司婚のことば」につづき、新郎新婦の「誓いのことば」というものがあります。(きまりではありませんが)

ボクは、ほとけさまの前に、"ただ、不思議な縁を得たふたりが、お慈悲の中の日暮らしをはじめることを報告する"ということだけでいいんじゃないかな、と思います。

「誓う」というのは、意志であり希望であり、尊いことですが、ほとけさまに向かってすることではないような気がするのです。ほとけさまには、ただただおまかせするばかりでいいのではないかなあと。

◆なお、「誓い」に対しての、非難でも否定でもありませんので・・・。


2、披露宴クライマックスでの新郎新婦の親への感謝、恩は社会に返すのがいいのでは・・・。

わかっていても、新郎新婦の親への感謝のことばには、毎度泣かされます。

そのうえで、やはり、いつも思うことがあります。たぶん、親は感謝を求めてはいません。そのことも、素直に受け取って、恩は社会にかえしていくのがいいように思うのです。恩と感謝の関係が親子の間だけで収束してしまっては、もったいないような気がするわけです。結婚は、社会の最小ユニットのはじまりですから。

披露宴で親への感謝を述べたら、あとは世間でつとめていくことで感謝を示すのがいいですよね。

◆余談ですが、恩と感謝について、親子の関係が収束することと、ほとけさまとそのただひとり子としての衆生の関係が収束することが混同しているような気がするので、そのことは付記します。社会性は娑婆のことですので。



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by e.wash-r | 2013-10-27 01:41 | 智慧と慈悲 | Comments(0)