2014年 06月 27日 ( 1 )
隣家ご葬儀 -昔ながらに自宅からお送りしました-
6/27分

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ご自宅の葬儀会場へ
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葬儀を終え、伊自良川対岸の会所の成功院さんへ

Tさんのご葬儀。当家のご主人は、昨年、自宅でだされたWさんの葬儀が良かったからということ、99歳の長寿を全うされたお母さんを自宅から送ってあげたいということから、自宅で葬儀をつとめられました。

自宅でつとめるからといって、費用が安くなるようなこともありません。村内の大勢の方々のおとりもちをお願いしなければなりません。季節によっては暑かったり寒かったり、雨の心配も必要です。それでも、やっぱり自宅から送りたいという思いが強かったのだと思います。

村の人達も、おおらかにおとりもちをされていました。葬儀の簡素化は、村落共同体・コミュニティの崩壊だという意見があります。その村落共同体・コミュニティの中で2日半過ごして、つくづくその崩壊がいかに寂しいことになるのかを思い知らされた気がします。

実はみんな忙しいのです。休まなければならない仕事の段取りに奔走し、時には、合間にちょっと抜けだして用を済ませたり。そうしてお互い気を使いながら、許し合いながら葬儀をつとめるわけです。

そもそも、厳しい縛りや掟は、おおらかさがなければ成り立たないことなのだと思います。そう考えると、コミュニティのふりをした整然と営まれる各種組織体のなんと窮屈なことかと。

おとりもちのHさんが、仕事のことでいっとき抜けられるときの長老のことば。

「この二日間はもう売れた体じゃ。そう思えば自分のことには何の用もない。売れ残ったと思って行ってくるじゃ。ワシはずっとここにおるでええぞ。」

なんという絶妙のバランス感覚かと。
by e.wash-r | 2014-06-27 23:07 | おまいりにて | Comments(0)