2016年 06月 07日 ( 1 )
ごちそう
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本願寺の『味』は何かと問われたら、ボクは白いみそ汁と答えます。

美味しいか否か、好き嫌いは別にして、得度・報恩講のお斎でいただいた白いみそ汁の、甘くてどろーっとした感じを、ボクは本願寺の『味』だと思っています。


本願寺の『味』とおなじような、それぞれの土地の『味』の記憶。

過日、T家のおじょうはんで、当地岩利の『味』の話になりました。

当地出身のTさんが、郷里岩利に帰るたびに必ずでてきた”ごちそう”は、『砂糖を山盛りかけた青菜のおひたし』。それが、Tさんの岩利の『味』。ただ、その”ごちそう”を食べるのは、とにかく苦痛だったそうですが。

ボクは、『砂糖を山盛りかけた青菜のおひたし』を見たことも食べたこともありませんが、なんとなく想像できることがあります。

食に乏しかった時代、おそらくどこであっても、”甘さ”はごちそうだったと思います。

少なくとも当地では、ほんの数十年前まで、とにかく”甘い”ことが、ふるまいの”ごちそう”でした。


ボクの記憶においても、葬式のとき、村中がとりもって、村中が”ごちそう”になるお斎のみそ汁は、”甘い”ものでした。岐阜でも、「仏事には甘い白みそのみそ汁」という習慣のところもありますが、当地では、普通の赤みそのみそ汁に、これでもか!というくらい砂糖を入れるのがならいでした。”甘さ”そのものがふるまいであり、”ごちそう”だったのだと思います。

『砂糖を山盛りかけた青菜のおひたし』も、最高に贅沢なふるまいだったのだと思います。

(本願寺の甘いみそ汁は、そういう意味ではないと思いますが。)


”甘い”ことが”ごちそう”の時代は終わりました。では、今はどんな時代かと考えてみるに、あえて言うなら、”珍しい”ことが”ごちそう”の時代かな?と、ボクは思います。

”甘さ”も”珍しさ”も、要は贅沢さ加減ですよね。


お寺の『味』、”ごちそう”ということを思います。

心象風景のお寺を『味』で彩るような、それほど特別でない、そういうお手間いりの”ごちそう”をふるまえたらなあ、と思うことです。




                    
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by e.wash-r | 2016-06-07 23:50 | ふるさと | Comments(0)