2017年 08月 04日 ( 3 )
『お寺が消えてゆく』を見て
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NHKのルポ『お寺が消えてゆく』を見ました。

過疎化と困窮の中のお寺の存続に焦点を当てた番組です。当、浄土真宗本願寺派の宗門の取り組みもクローズアップされていました。

単純な問題ではないので、焦点のあて方によって、問題の方向は多岐にわたると思います。ボクは、「格差」の問題と受け取りました。

その上で・・・。

格差は存在します。現実問題として、寺院を護持する「経済」力に平等などあり得ません。でも、そのなかで、少なくとも我が教団は、本願寺を護持し、各寺院を護持してきました。事実として、護持してきたわけです。

それが、厳しくなってきている、という状況。このことも。やはり、事実として受け止めなくてはなりません。

何が変わったのか?ということは、ボクにはよくわかりません。ただ、いままでは、格差がなかったーということではないと思います。

たぶん、

おみのりやお寺のすがたがありがたかった
懇志・懇念で護持してきた

ということ。

消えていくかもしれないけれど、

おみのりのお寺でありたいですね。
懇志を完納しないのは不公平だ!などという、恥ずかしい発言だけはしたくないですね。





by e.wash-r | 2017-08-04 23:03 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
ちょっとハーフタイム    
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ちょっと一息つけそうな一日のはずだったのですが、急務により大幅に日程変更。よくある話です。

昼食が変則、夕食が遅くなりそう、ということで、コンビニでカレーヌードルを買いました。買ってから、「カレーか!」と思った次第。

カレーロード中とはいえ、このところカレーを食べ損なっているので、まあこれもよし。


山や川や海でへ行くとき、お湯を沸かすストーブ持参の場合は、おおよそカレーヌードルを食べます。カレーヌードルの場合、お湯の量が少なめで、少々濃い味でも、まあまあ食べられるからです。

学生時代のクラブの慣習から、山では、食事の残飯・残汁を出さない(すべて食べる、飲む)という呪縛があり、その観点からすると、カレーヌードルは理にかなった逸材と言えるわけです。

今となっては、どうでもいいようなこだわりですが、身に染みついているようなところがあり・・・。


ボク自身そうなのですが、人は、何かしら理由があれば、それで納得するところがあると思います。

たとえば、山の食事の場合、高カロリーだから、かさばらないから、軽いから、簡易だから等々の理由が通れば、それでいいというような。

実際、それらは、場合によっては、とても大切なことなのですが、普段はそれほど逼迫して遊んでいるわけじゃないので、誤差の範疇というか、まあ、どうでもいいようなことに執着しているような気がします。

少なくとも遊ぶときは、好きな場所で、心地よくおいしいものを食べたい、という本来の欲求のようなものを素直に大切にすれば、それでいいというか。今更ながら、つくづく、そう思います。


ボクは、カレーヌードルが食べたかったんだろうか?

思惟することも、よろこぶこともなく、なんとなく理屈だからという思いこみ、または習慣で、時を過ごしてきたのかなあ、と思うわけです。

凡庸という平穏には、何か取り返しのつかないものが潜んでいるような気がします。






by e.wash-r | 2017-08-04 18:33 | そらごと、たはごと | Comments(0)
2017超宗寺お泊まり会 -こどももおとなも-
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午後6時からはじまった超宗寺キッズサンガ。

9寺過ぎ、法務を終え、そのまま駆けつけると、もう夜のお楽しみの射的・スーパーボール掬い・BBQ等は、ほぼ終わっていました。

境内は、余韻を楽しむ親さん方でいっぱい。年々、おとなの参加者も増え、夏祭りの夜のようです。

キッズサンガのひとつのかたちとして、おとなも巻き込んだ独自のスタイルだと思います。

ゆっくり、夜を楽しませていただき、帰り際、灯りの消えた本堂をもう一度覗くと、なかなか寝付けないこどもたちを見守るご院さんの姿。

その姿に、やっぱりお寺だなと思って、帰途につきました。





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by e.wash-r | 2017-08-04 04:56 | おまいりにて | Comments(0)