カテゴリ:Tibet/西蔵( 62 )
「沈黙」
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遠藤周作の「沈黙」を、マーティン・スコセッシが映画にしました。早速観てきました。

興味本位で観た直感を、箇条書きにします。

・キリスト教を知らないので、根本的によくわかりませんでした。

・日本の拷問を描いています。

・日本ののどかな風土・風俗が全く描かれていません。(主題上、魔境である必要があったのかも)

・初重?の念仏みたいな声明が、象徴的に流れました。同様に、虫の声なども。(沈黙の相対として?)

・棄教(踏み絵)と罪・背信・裏切りと人道的行為が混同してしまって、何が主題なのか、混乱しているように思いました。(ボクがこだわったところです。)

・ボクの場合は、どうしても仏教の視点で観てしまいました。

・スコセッシが、中国のチベット侵攻とダライ・ラマの亡命を描いた「クンドゥン」の方がわかりやすかったです。

・キリスト教圏の方の映画だと思いました。

・「タクシードライバー」や「クンドゥン」同様、濃く重い音と色でした。(スコセッシの世界?)

・キリスト教の方の感想を聞いてみたいと思いました。

・ボーっと観ることのできる映画ではありませんでした。(字幕も読まないといけないし)


【独善的オススメ度】

「シン・ゴジラ」よりは↓
「君の名は」よりは↑













by e.wash-r | 2017-01-23 00:21 | Tibet/西蔵 | Comments(4)
『ラサへの歩き方』
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S師をお誘いして、中国映画『ラサへの歩き方を』観ました。

チベットの方々の「ラサ巡礼」「カイラス巡礼」をドキュメンタリー風に描いた作品です。

五体投地を繰り返し、気の遠くなるような道のりをラサへ向かう人たちが淡々と描かれます。

理解ではなく、心揺さぶるものに会う映画だと思いました。


チベットの自然、暮らし、信仰が美しく描かれます。美しすぎるくらいに。

中国人民解放軍のチベット侵攻(中国は平和開放と言っています。)以降70年のチベットの歴史、20年前に見たチベット、情報の閉ざされた今のチベットを思うと、映画の美しさが、逆に何か心をザワザワさせたのも事実です。

物語と映像の美しさが、チベットへのレクイエムでなければいいのですが・・・


9/9まで、柳ケ瀬のcinexで上映。
おすすめします。
もう少しはやくお知らせすればよかったと思っています。




                    
Tumblr 『西蔵防だよん』


 
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by e.wash-r | 2016-09-05 23:09 | Tibet/西蔵 | Comments(0)
パンダ
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上野動物園にカンカンとランランが来て賑わったことは遠い記憶としてあります。

WWFのパンダのシンボルマークをいつも複雑な気持ちで見ています。


パンダを見たのは、今回がはじめて。

アドベンチャーワールドにて。
入園するまで、パンダがいることを知りませんでしたが。
中に人間が入っていると思うくらいパンダでした。


忘れないようにしようと思うこと。

パンダの故郷はチベットです。




                    
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by e.wash-r | 2016-03-11 23:26 | Tibet/西蔵 | Comments(0)
曹洞宗岐阜県青年会40周年記念 ダライ・ラマ法王特別記念講演
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四月八日、はなまつり。曹洞宗岐阜県青年会の40周年を記念して催されたダライ・ラマ法王の講演を聞いてきました。

当blog『西蔵坊だより』の西蔵坊(房)は、当寺が正蓮寺の寺号を拝受する前の名称です。中国語でチベットを意味する「西蔵」と関係があるかどうかは不明ですが。(まずない。)

こどものころから、なんとなく「チベット」に興味を持ってきたのは、「西蔵坊」という名前の縁なのだと思います。

ダライ・ラマ法王のお話を複雑な思いで聞きました。その思いをどうしても残しておきたいのですが、なかなか書けません。思い入れは、気負いなのだと思います。

というわけで、「チベット」への思いとダライラマ法王のお話については、いずれ。



講演のテキストが以下のサイトにあります。


ダライ・ラマ法王特別記念講演 / 仏教に出会えてよかった~花まつりに集う 仏法僧~
主催者:曹洞宗岐阜県青年会
会 場:長良川国際会議場
期 間:2015/4/8~2015/4/8






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by e.wash-r | 2015-04-09 23:00 | Tibet/西蔵 | Comments(0)
Potala Palace At Night
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『Potala Palace At Night』 by Andy Hares


Tumblrで夜のポタラ宮の画像が流れてきました。

夜のラサ、「Ch***** no good.」と詰め寄るチベットの人たちに囲まれ、ちょっと怖い思いをしてから20年。

あのころのラサは、夜は普通に暗く、ポタラ宮が闇の中にくっきりと浮かび上がって見えていたという記憶はありません。

いいとか悪いとかではなく、ライトアップされたポタラ宮の写真を見ながら、チベットは今どうなっているんだろうかと、ただなんとなく複雑な気持ちでいます。





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by e.wash-r | 2015-02-21 23:06 | Tibet/西蔵 | Comments(0)
チベットの宝薬入れ
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K師より、チベットの宝薬入れをいただきました。感謝。


18年前、チベットを尋ねたときのこと。

ラサ、ジョカン寺を囲む八角街(バルコル)の露天に並ぶヒマラヤ珊瑚やターコイズの装飾品。誰が身につけていたもので、どんな理由で手放したのだろう、と考えていたことを思い出しました。


チベットの人たちは、あまりモノを所有しないと聞きました。唯一と言っていいほどの個人の持ち物が、ヒマラヤ珊瑚やターコイズの装飾品とも聞きました。

その話を聞いた上で、露天に並ぶきれいな装飾品を眺めると、「チベット侵攻」と無縁ではないだろうと思えてくるのです。

古いチベットが変わったとき、チベットを去ることを決意した人たちがあり、想像ですが、おそらくその中には、やむを得ず唯一の持ち物を手放した人たちがあったのではないかと・・・。



チベットのことは、どうしても手放しでよろこべません。だから、大切にしようと思います。




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by e.wash-r | 2013-04-12 23:40 | Tibet/西蔵 | Comments(2)
「『ブラインドサイト』を観て」追記 -「好き」ということについて-
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5年前のblog「『ブラインドサイト』を観て」を読み返してみて、ボクが言いたかったことは、「好き」ということについてだったのだろうと思います。

「議論は、理解より、むしろ溝を深めることの方が多い。」と言いますが、blogという公開性のあるメディアで、自らの意見を述べた手前、少なくとも誤解は解いておきたいと思いますし、できれば、稚拙な文章でお伝えできなかった真意について、もう少し深く述べてみたいと思い、追記いたします。


「好き」ということを説明するのは、たいへん難しいです。いくら考えても、うまく表現できません。なんとか表現したとしても、何か足りないのです。しっくりこないのです。
ただ、好きとしか言いようのないのが「好き」ということなのだと思います。

仏教は、因果の道理を説きます。その原理からすれば、果としての「好き」には必ず因としての理由があるはずです。でも、あるのだろうけど、わからないのです。

「好き」とは、たぶん、心の奥底から湧き上がる煩悩の衝動のようなものなのでしょう。ところが、「心の奥底」がいったい何なのか、「煩悩の衝動」がどうして湧き上がってくるのかということになると、さっぱりわからないわけです。論理の範疇に収まらない「好き」を、人間の理性で説明することは、そもそも無理なことなのだろうと思うのです。

ただ、「好き」にともなう心の機微を体験的に表現することはいくらか可能です。「好きなモノ」「好きなヒト」「好きなコト」等を通して、ボク(たち)は、理屈では説明できない「心地よさ」や「歓喜」を享受しているからです。そのうれしさを、ボク(たち)は、むしろ無意識に、そしておぼつかなく、独自に体現しているといっていいと思います。

視点は変わりますが、もう少し加えると、「好き」には、結果的に「権威や名声」「驕慢心や自尊心」「嫉妬や独占」「苦脳や不安」というような、本来「好き」とは似つかわしくないようなモノが付随することがよくあります。煩悩が故の「好き」の、ある意味本質なのかも知れません。


さて、ボクは山が「好き」です。チベットが「好き」です。だから、この映画を観ました。

では、映画「ブラインド・サイト」の中の人たちは何が好きだったのでしょう。

登山家エリック:たぶん、山が「好き」だと思います。
登山スタッフ:たぶん、山が「好き」だと思います。
教育者サブリエ:山が「好き」かどうかわかりませんでした。
盲目のこどもたち:山が「好き」かどうかわかりませんでした。

ボクは、単純にこういう視点で、この映画を観、感想を書いたのだと思います。

あくまで想像で、ボクが感じたことでしかありませんが、サブリエは、山が「好き」だから、こどもたちを山に連れて行ったのではないんだろうな、と思ったのです。『山が「好き」』を伝えようとしたエリック達とは、もともと共有する「好き」がなかったのかも知れないと思ったのです。

乱暴な言い方になりますが、教育というのは「好き」を伝えることだと思っています。山が「好き」、サッカーが「好き」、歌が「好き」、算数が「好き」。先生は、自分の「好き」を伝えてくださる方だと、ボクは思っています。実際、ぼくの「好き」な先生方は、みんな先生の「好き」をうれしそうに教えてくださいました。

そういう意味では、サブリエは教育者として、友情や努力や達成感が「好き」なのかなあと、なんとなく感じています。誰かの「好き」をとやかく言うことは、義に反しますが、ボクは、こういうタイプの人が苦手だから、理解できなかったのかも知れません。

ただ「好き」の対象の違いについては、はっきりしておきたいと思います。

例えば、山の好きな人は、山そのものとわたしの「好き」を伝えれば、あとは山の魅力がすべてです。山が教えてくれるのです。しかし、友情や努力や達成感の「好き」な人は、自分の友情と努力と達成感を示さなければなりません。本人が育んだ友情、成し遂げた努力やその達成感にしか実態がないからです。世間は、こういう類いのことが好きみたいですが、ボクは、これほど危ういモノはないと思っています。山やサッカーや歌や算数に真実はあるかも知れませんが、わたしの行いに真実があるとは言い難いからです。

【注】
・友情や努力や達成感の否定ではありません。
・それと、示された課題(例えば、入試や資格試験等)に対して、知識やスキル、テクニックを学ぶこと・教えることは、上記の範疇ではありません。(一致してたらカッコいいけど・・・)


かえって混乱しただけのような気もしてきました。

ボクとしては、サブリエに「友情のための撤退」と言って欲しくなかったということです。
山が「好き」なら、「山には適わなかったけど、なんか楽しかったね。山っていいね。」と言って欲しかったわけです。

そして、もし、サブリエが、山が「好き」でなかったのなら、あえて、山である必要はなかったかも知れない、山が「好き」なエリック達と、ともに目指す楽しさがなかったかも知れない、と思ったわけです。




ご指摘を受けました文章を下記にまとめて転記します。



初めまして。表題の映画をTVで見て、こちらすにたどり着きました。失礼ながら、あまりに誤解があるようなので、あえてコメントさせていただきます。

まず、ご住職さまは登山経験はお有りでしょうか?高山病の怖さをご存知でしょうか?
登山を知り、高山病の怖さを知っていれば、サブリエが子供たちの身をいかに案じていたかが理解できるものと思います。①

また、「エリックと登山スタッフにとって、登山が登山そのものであった」というのも、私から見れば違います。彼らは、「視覚障害者を登頂させることで『何かを誇示しようと』していた」のではないでしょうか。であればこそ、彼らにとって「(子供たちの内)一人でも登頂させられればチームの成功」という考えになるのです。
一方、サブリエの最初の目的は確かに教育的な意味を考えていたでしょうが、それが山登りを「陳腐化」させることなどありません。登山とは「登頂だけが目的」ではないからです。登山を趣味とする者でさえ多くの人が、ここを勘違いしています。そう、エリックたちも、一部の子供たちもです。
「登頂しなければ登山そのものが無意味」になることなど無いのです。そうなってしまうとしたら、当人がそう思い込んでしまったがためです。そういう意味では、子供たちも「登頂至上主義」の犠牲者です。②

サブリエは、映画の中で語っています。「子供たちも言いました。ただ歩いて登るだけでは面白くないと。話をしたり、物語を考える時間もなく、嗅いだり聞いたりする暇もない。つららが落ちる音、それぞれ違う音がするヤクのベル、すばらしいのに。」
そう、この登山は「子供たちにとっても」ただ登頂することだけが目的では無かったのです。
ご住職さまは、「盲目の教育者として撤退を決断し、山を下りたことが、とてもさみしく思えました。」とも語られていますが、彼女の判断は、安全という意味でも、本来の目的という意味でも正しかったと言えます。③

それを、「(高山病で死者が出る)危険を冒しても登頂を目指すべきだった」というのであれば、あなたの住職としての適格を疑わざるを得ません。
例え子供たちがそれを望んだとしても、「登山は生きて帰る事が最も大事」だということを、知っていただきたい。④

そして、正しい知識を持たないがゆえの偏見や思い込みに基づく言動は、容易に人を傷つけるということを、宗教者としてもう少し重く考えていただきたいのです。(仮に、サブリエがあなたのブログの内容を知ったら、どう思うでしょうか?宗教者として、説法で人を導く者の言動として今一度省みて欲しいものです)⑤


ご指摘、ご教示ありがとうございます。全て、何度も読み返し、お気持ちそのまま受けとめさせていただいたつもりです。

その上で、考え方の違いについても、わたしなりに受けとめたつもりでおります。その点についてはお互いに尊重するということとし、当方の稚拙な表現についての誤解について、少し加筆させていただきます。

①はっきり書きませんでしたが、登山の危険について、より深く認識していたのは、エリックと登山スタッフだったと思っています。むしろこの登山を企画したサブリエの姿勢に本来の危険性は内包されていたのではないでしょうか。その観点で、ボクは批判的に書いています。

②「好き」であっても、それが完全に純粋無垢なものであるとは限りません。エリックにもサブリエにもいくらかの功名心はあったと思っています。ボクは、そういう俗なる部分を否定するつもりはありません。本人が純粋無垢であるというなら別ですが・・・。
そのことも含めて、この状況・条件で、山が「好き」でないであろうサブリエが、教育の場として、本格的なラクパリ登山を選択したというのであれば、ボクにとっては、それは陳腐ということのなるのです。
また、「登頂しなければ登山そのものが無意味」と、ボクはひとことも述べておりませんし、そう思ってもおりません。ボクは、山が「好き」だと思っております。

③この部分はどうしても、同意はなくとも理解していただきたい部分です。
ボクは、サブリエの撤退の理由が「友情と連帯のため」というところが好きでないのです。なぜなら、「友情と連帯」は彼女の価値観だからです。彼女は、最後まで彼女の価値観を教えたかったのだと思います。ならば、彼女こそ彼女自身の「友情と連帯」を体現する必要があったと思うのです。ボクは、山では山に教えてもらえばいいと思うのです。彼女自身も。そうであれば、「山に触れ、力及ばずして撤退する。でも、楽しかった。」と言い得たのではないだろうかと思うのです。ボクは、そういうスタンスが好みだということです。

④ボクは、「(高山病で死者が出る)危険を冒しても登頂を目指すべきだった」とも、「登山は生きて帰る事が最も大事」とも思っておりません。繰り返しになりますが、ただ山が「好き」と思っているだけです。

⑤『正しい知識を持たないがゆえの偏見や思い込みに基づく言動は、容易に人を傷つけるということ』については、、ご指摘を真摯に受けとめたいと思います。
ボクとしては、正しい知識ということについて、たいへん懐疑的でありますので、当記事のみならず、全ての記事おいて、正しいとか正しくないとか、良いとか悪いとかいうことではなく、ボクはこう思うというスタンス、ボクは好きである、嫌いであるという言い方をするようにしているつもりです。そのあたりは、ご理解いただきたいと思います。
もし、サブリエ女史にお会いすることができ、思いを伝えることができるのであれば、ボクは、『あなたの行動に敬意を表します。しかし、もし山が「好き」でないのなら、ラクパリ登山という選択をすることは、無謀だったと思います。もし、教育の場としてラクパリを選んだというのであれば、勉強不足だと思います。でも、山、良かったでしょ?』と言いたいと思います。




 紫狼さま

 いろいろと、厳しいご指摘、ありがとうございました。
 また、考えるご縁をいただき、楽しませていただきました。
 山はいいですよね。




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by e.wash-r | 2012-04-08 23:29 | Tibet/西蔵 | Comments(16)
tumblrでtibet
夜中、お寺のことではない仕事の件で、H氏を尋ねました。わからないことは、よくわかっている人に聞くのが一番。いろいろ御指導をいただきました。感謝。

一段落したら、H氏が、飲みに行かない?と・・・。お供しました。

深夜まで、議論。蘊蓄のあるH氏の語られる『ミラー・ロジック』の話を、非常に興味深かく聞きました。

『ミラー・ロジック』というのは、乱暴な言い方をすれば、『「お金に興味がない」と言うのは、実は、とっても「お金に執着している」から』というようなコト・・・らしい。

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存分に楽しんで、帰ったのは、ほぼ午前3時。寝付けなかったので、なんとなくtumblrでtibetを検索してみました。

美しい写真に混じって流れてくるチベットの惨状。どうすることもできないので、自分をごまかして、美しい写真ばかり見ました。



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by e.wash-r | 2012-03-28 18:01 | Tibet/西蔵 | Comments(0)
『ダライ・ラマ自伝』
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故あって、読み始めました。

読書の秋というわけではなく・・・。








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by e.wash-r | 2011-10-29 23:40 | Tibet/西蔵 | Comments(0)
チベット亡命1959 記録写真展
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10月16日の夜、S師夫妻と3人で、「ナマステ」という名前のフリースペースみたいなところへ行ってきました。『チベット亡命1959 記録写真展』を見に。

遅い時間だったので、残念ながら撤収中でした。まだ展示中の写真のみ、短い時間で何とか見ることができました。

展示されていたのは、1959年春、ヒマラヤを越えてインドに亡命したチベットの人たちの写真。当時最大といわれたアッサム州都ディスプールのミサマリ難民キャンプでの記録です。

インド亡命直後(4月中旬)、ダラムサラに亡命政府を樹立する前の、ダライ・ラマ14世の写真もありました。


難民キャンプの写真には、なんとなくチベットらしさが感じられませんでした。

アッサム地方は、お茶がとれるような湿潤な気候。記録写真に写り込んだ景色は、インド・アッサムであり、乾燥したチベットの高地ではないのです。

そういう意味では、まさに亡命の記録写真であり、悲しい現実の写真でした。



亡命政府樹立のため、ヒマラヤを越えインド国境にさしかかったダライ・ラマ14世が、インド国境警備の兵士に身分を問われたとき、おっしゃったということば。


「わたしは仏陀の弟子。み教えを依りどころとするただひとりの男です。」









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by e.wash-r | 2011-10-17 00:53 | Tibet/西蔵 | Comments(0)