カテゴリ:智慧と慈悲( 260 )
宝くじ
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流れてきたことば。なるほどとうなづきました。




"1億円」の宝くじが当たったら、「何のためにオレは1億円持っているのか」じゃなくて「1億円をどう使うか」考える。"




1億円の当たりくじは、1億円の使い方を指示したりしない。もう当たってしまった1億円の使い方を決めるのは私である。煩悩まみれの私が使うのである。


こんな単純なハナシが通じない人がときどきいる・・・


何を言っているかわからない人は、ぜひお寺へ来てください。










by e.wash-r | 2017-11-30 00:34 | 智慧と慈悲 | Comments(4)
『中部山村社会の真宗』 -傍線の主-
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ずいぶん昔に京都の古書店で買った千葉乗隆先生の『中部山岳社会の真宗』。

まだ読んでいませんが、26ページに、おそらくもとの所有者の引いたであろう傍線を発見。

パラパラと全体を見通してみて、約300ページのなかで、傍線はこの箇所だけ。

そこには、『改田』の文字。

どなたが引かれた傍線なのだろう。
その思いは何だったんだろう。

なんとなく、浪漫です。



お取り越しがはじまったので、これからは連夜、いつもより多いおまいりになります。空いた時間はぐっと減るものの、気分だけは、やっぱり秋の夜長。

「読書の秋かなあ」とも思うですが、この頃、老眼の煩わしさもあって、めっきり本が読めなくなっていてます。

せっかく秋の夜長気分になっているので、レンタルで映画でも・・・。

今観たいと思うのは、「キングコング対ゴジラ」と「マタンゴ」。たぶん、思うだけ。







                    
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by e.wash-r | 2017-10-08 22:28 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
時間切れ

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夏休み、お寺に来たこどもたちに、真っ向からお伝えしたつもりのほとけさまのお慈悲のお話ふたつ。

(坊守は、伝わってない、と言っていますが)

再度まとめなおして、彼岸会でお取り次ぎ。実は、彼岸会までに、法話原稿としてまとめるつもりでしたが、時間切れ。活字にするのは、そのうちということにして、概要。




1、何のために生まれて、何のために生きるのか?

”何のために生まれて、何のために生きるのか?”
そんなこと言われたら困りませんか?・・・というお話。

やなせたかしさんが「アンパンマン」を通してこどもたちに伝えたかった”愛と勇気”ということの否定ではありません。大人からこどもたちへのメッセージだから、それはそれでいいのです。

翻って、自問したときどうなの?、今の自分に問われたらどうなの?ということ。

ほとけさまは、迷いの衆生に”何のために生まれて、何のために生きるのか?”とおっしゃるだろうかということ。

ほとけさまの慈悲とは、というお話。



2、母の願い、ほとけさまの願い

古来、仏さまのことを親さまと言い習わしています。
子を思う母の心にたとえ・・・。

ところで、その母が、常に怒るのなぜ?
ほとけさまのまなざしは、常に慈しみにあふれているのに・・・。

母の願いは分別。我が子の自立。
ほとけさまは一如。すべてがわがひとり子。

ではなぜ、慈悲のほとけさまを親さまと呼び慣わすか?
母は、子のいかなる自立も受け入れるから、ということ、かな。

ほとけさまの慈悲とは、というお話。


おとけさまの賛嘆。そういう言い方がいいのかどうかわかりませんが、うれしいですよね。







                    
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by e.wash-r | 2017-09-22 23:48 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
『お寺が消えてゆく』を見て
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NHKのルポ『お寺が消えてゆく』を見ました。

過疎化と困窮の中のお寺の存続に焦点を当てた番組です。当、浄土真宗本願寺派の宗門の取り組みもクローズアップされていました。

単純な問題ではないので、焦点のあて方によって、問題の方向は多岐にわたると思います。ボクは、「格差」の問題と受け取りました。

その上で・・・。

格差は存在します。現実問題として、寺院を護持する「経済」力に平等などあり得ません。でも、そのなかで、少なくとも我が教団は、本願寺を護持し、各寺院を護持してきました。事実として、護持してきたわけです。

それが、厳しくなってきている、という状況。このことも。やはり、事実として受け止めなくてはなりません。

何が変わったのか?ということは、ボクにはよくわかりません。ただ、いままでは、格差がなかったーということではないと思います。

たぶん、

おみのりやお寺のすがたがありがたかった
懇志・懇念で護持してきた

ということ。

消えていくかもしれないけれど、

おみのりのお寺でありたいですね。
懇志を完納しないのは不公平だ!などという、恥ずかしい発言だけはしたくないですね。





by e.wash-r | 2017-08-04 23:03 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
平和の鐘 -7月9日 岐阜空襲の日-
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岐阜市と仏教会の提唱で、毎年岐阜空襲のあった7月9日は、朝の9時に梵鐘を鳴らします。

仏教会が提唱した「お経を習いましょう」という夏休みのこどものお経教室とともに、「平和の鐘」として定着した行事です。

ご門徒さん、市民の方々といっしょに、丁寧に続けてきた有り難い行事だと思っています。


平和とは何か、戦争とは何だったのか、少し思いを巡らし、鐘を撞きました。


最近ながれてきた中で、気になったもの。終戦時、6歳だった老人の話です。

あの時は小さかったから日本が何と戦ってるか理解できてなかった。
皆敵が来た、敵が来たとしか言わなかったし、山の向こうは真っ赤に燃えてるから、とてつもなく恐ろしい怪物なのだと。
まさか人間と戦ってたとは。



当寺の梵鐘には、

寄進 門徒中
昭和二十二年九月

と刻まれています。

終戦のたった二年後です。困難の中での鋳造だったに違いありません。普通に集会鐘の鳴る日常を求められたのだと受け止めています。


7月9日は、次女の誕生日でもあります。

お祝いに、平和の鐘をひとつ余分に撞きました。正確には、途中でいくつ撞いたかわからなくなってしまったので、足りないよりはいいだろうと思って、10声よりは確実に多くなるように撞きました。

今年の平和の鐘は、12~15声くらい。

蒸し暑いですが、穏やかな日和です。時空限定の小さな小さな平和ですが。



                    
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by e.wash-r | 2017-07-10 19:43 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
黒野組連続研修(第9回)
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担当ではなくなったことと、第3土曜日は、自坊のお座が重なったりすることから、9回目にして、はじめての参加。

O師がご講師で『他力回向の信心』のお話をされるということだったので、たまたま法務等が重ならなかったこともありますが、後ろめたい気持ちながらも、楽しみに参加しました。

O師は、核心を、シンプルに、正面突破、直球勝負で、お話くださいました。講義でもお説教でもいいので、もっとゆっくり、たっぷり聞きたかったと思います。

その後は、いわゆる話し合い法座。基本、聞くだけの参加をしました。『「自力」の気持ちがなくならない』とおっしゃるYさんの発言を聞いてしまったので、休憩時間に、仏教で用いる「他力」「自力」という言葉の意味をお伝えしました。突然出席して、あつかましかったかもしれません。

研修終了後、講義の内容のことでO師と歓談。同じく「自力」ということばの使い方について。

いい会話ができたと思いましたが、第三者には、面倒くさい話だったようでした。「れんけん」の目玉は「話し合い法座」と聞いていますが、していい話といけない話があるのかもしれません。

会員制の研修に気まぐれで参加して、意見を言うというのは、確かに非常識だったような気がします。次回からは、黙って聞くか、欠席するかということになりそう。

O師とは、どこかで続きのご法義話をしよう、ということになりました。楽しみです




                    
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by e.wash-r | 2017-06-18 00:39 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
成先生の勉強会 -「難」-
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再スタートした成先生の勉強会へ。

休憩時間のベレットGTRやラックスのアンプの話には、何とかついていけるのですが、相変わらず、先生の講義がなめらかに進めば進むほど、周回遅れ以上に全くついていけません。

そんななか、今回、たぶん、なんとか聞き取れたなかの、「そーゆーことかー」と、感激したことを少し。

浄土門において、往生は、如来の願いのはたらきそのまま。
聖道門において、行は、仏の仰せのそのまま。
いずれも、我は入らない。

行を、私の努力というように考えると、間違えることになるようです。行は、仏の示された通りのことを行うこと。

その認識に立てば、聖道門の方にも、浄土門、他力の論理は十分に通用するということ。


また、儀式儀礼等について、

浄土門は、私の側の仏徳讃嘆であり、私の報恩行。如来の示された定めではない。
聖道門は、仏の示されたとおりに行ずること。

ということになり、根本的に意味合いがちがってきます。


関係して、「難行」の「難」、「難しい」の意について。

「難」は「できない」の意。凡夫の努力でなんとかなるということではないということ。なんとなく、「がんばればできる」みたいに思っていましたが、そういうレベルのことではない、ようです。

確かに、「難攻不落」の「難」は「不可能」の意ですし、「難癖をつける」の「難」は「ありえないこと」を意味します。

「難」だと思っていたことができたときは、それはもう、「難」ではなく「易」であり・・・

「易」だと思っていたことができなければ、それはもう、「易」ではなく「難」であり・・・


上記、先生のおっしゃったまま理解しているかどうか怪しいですが、ひとつ確実に言えることがあります。

ボクが先生の講義についていけないのは、講義が「難しい」のではなく、受講するボクの勉強不足・努力不足ということです。


帰り、法友のお寺におまいりしました。五月晴れ!




by e.wash-r | 2017-05-19 23:16 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
本典勉学会1/24  顕浄土真実教行証文類
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Y師,U師が準備してくださった、安方哲嗣先生ご講師の『本典勉学会』に参加。広く、このような機会をつくってくださったことに、またボク自身がその縁にあえたこと、感謝したいと思います。

どれだけ素晴らしい講義を聞いても、最後は自分で勉強するかどうかということは身に染みてわかっているつもりですが、今回もまず聞くことから。

言い訳ですが、最低限続けて出席することを目標に、ついていきたいと思っています。


第1回の今回は総論・構造。『教行信証』著述の背景等々から。

著述・伝道には、それぞれの時代背景と対象・目的があるということ。(別件ですが、今、抱えている問題を考えるありがたい指標をいただきました。)

おおよそ、著述については、宗祖は他流を意識され、蓮如上人は異流を意識された・・・、そういう時代背景があったと。先生は、翻って、では、現代、ボクたちが意識しなければならない時代背景は何なのかということについても言及されました。それは科学(たぶん広義だとおもいます)なのだろう、とー

ボクとしては、宗門という身内・僧侶も加えたほうがいいのではないかと、生意気に、ひそかに思ったりして、含み笑いをしていた次第。

講義の端々に、安方先生節炸裂で、気持ちよく聞かせていただきました。続きが楽しみです。


本当は、こんなこと書いていないで、勉強しないといけないんでしょうが・・・。




                    
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by e.wash-r | 2017-03-27 23:58 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
座布団が3枚
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冬の夜ね、灯りの点いた仏間を外から眺めるの、なかなかいいものです。

縁から仏間に入るとね、ストーブでほんのり暖かくて、お仏壇がきれいにお飾りされていて、座布団が3枚。

3枚の座布団。1枚はお仏壇の前。1枚はご院さん。1枚はおばあちゃん。

3枚あるけどね、座るのはふたり。

ボクが帰ると、おばあちゃんひとり。

よく“ひとりじゃないよ、ふたりだよ”って言うけど、でもね、やっぱりひとりはひとりじゃないかと思うわけで。

ひとり。

ひとりならね、“ひとり、お念仏。”でいいんじゃないかと。

ひねくれていると言われそうだけど、そういうことだよなあ。

と、ひとり思っています。














by e.wash-r | 2017-02-20 23:54 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
春入千林處々鶯
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春入千林處々鶯
(春 千林に入りて 處々 鶯)

新春、初釜に掛ける慣いの句だそうです。

ミソサザイやメジロが飛び回っているので、たぶん鶯もどこかにいると思います。


私解

春は満つ、“法聞けよ”

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by e.wash-r | 2017-02-09 23:36 | 智慧と慈悲 | Comments(0)