カテゴリ:智慧と慈悲( 253 )
本典勉学会1/24  顕浄土真実教行証文類
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Y師,U師が準備してくださった、安方哲嗣先生ご講師の『本典勉学会』に参加。広く、このような機会をつくってくださったことに、またボク自身がその縁にあえたこと、感謝したいと思います。

どれだけ素晴らしい講義を聞いても、最後は自分で勉強するかどうかということは身に染みてわかっているつもりですが、今回もまず聞くことから。

言い訳ですが、最低限続けて出席することを目標に、ついていきたいと思っています。


第1回の今回は総論・構造。『教行信証』著述の背景等々から。

著述・伝道には、それぞれの時代背景と対象・目的があるということ。(別件ですが、今、抱えている問題を考えるありがたい指標をいただきました。)

おおよそ、著述については、宗祖は他流を意識され、蓮如上人は異流を意識された・・・、そういう時代背景があったと。先生は、翻って、では、現代、ボクたちが意識しなければならない時代背景は何なのかということについても言及されました。それは科学(たぶん広義だとおもいます)なのだろう、とー

ボクとしては、宗門という身内・僧侶も加えたほうがいいのではないかと、生意気に、ひそかに思ったりして、含み笑いをしていた次第。

講義の端々に、安方先生節炸裂で、気持ちよく聞かせていただきました。続きが楽しみです。


本当は、こんなこと書いていないで、勉強しないといけないんでしょうが・・・。




                    
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by e.wash-r | 2017-03-27 23:58 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
座布団が3枚
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冬の夜ね、灯りの点いた仏間を外から眺めるの、なかなかいいものです。

縁から仏間に入るとね、ストーブでほんのり暖かくて、お仏壇がきれいにお飾りされていて、座布団が3枚。

3枚の座布団。1枚はお仏壇の前。1枚はご院さん。1枚はおばあちゃん。

3枚あるけどね、座るのはふたり。

ボクが帰ると、おばあちゃんひとり。

よく“ひとりじゃないよ、ふたりだよ”って言うけど、でもね、やっぱりひとりはひとりじゃないかと思うわけで。

ひとり。

ひとりならね、“ひとり、お念仏。”でいいんじゃないかと。

ひねくれていると言われそうだけど、そういうことだよなあ。

と、ひとり思っています。














by e.wash-r | 2017-02-20 23:54 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
春入千林處々鶯
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春入千林處々鶯
(春 千林に入りて 處々 鶯)

新春、初釜に掛ける慣いの句だそうです。

ミソサザイやメジロが飛び回っているので、たぶん鶯もどこかにいると思います。


私解

春は満つ、“法聞けよ”

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by e.wash-r | 2017-02-09 23:36 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
ねてもさめても
吉田兼好法師の『徒然草』に次のような一節があります。


【徒然草 第39段(前半)】

或人、法然上人に、「念仏の時、睡にをかされて、行を怠り侍る事、いかがして、この障りを止め侍らん」と申しければ、「目の覚めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。

【意訳】

ある人が、「眠気におそわれて、お念仏を怠ってしまうことがあるのですが、どうしたものでしょうか」とたずねられました。
法然上人は、「目が覚めたら、お念仏申されよ」とお答えになりました。ありがたいことです。なんまんだぶ。



この一節を読むと、三木照国先生が、まじめなお同行の問いにこたえられたことばが浮かんできます。


お同行:「末代無智の章に、『ねてもさめてもいのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり』とあります。起きているときはともかく、眠っているときはどうしたらお念仏できるのでしょうか?」

三木先生:「起きていてもろくに念仏できんのやから、心配するな。」


ボクは、この三木先生の話が大好きです。


tunblrで流れてきた動画を見て、なんとなく、こういうことだと思いました。


その動画















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なんまんだぶ





                    
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by e.wash-r | 2017-01-20 23:04 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
奈良へ
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三木先生が体調を崩され、勉強会が中断して約2年。「一度奈良へ行こう。」という声があがっていた矢先、「三木先生ご母堂さまご逝去」の報。

午後3時の一報後、電話、mail、LINE等々により、続々と勉強会法友の動向が集約されました。

岐阜の出発は午後8時。日帰りでお悔やみに。

お取越しのこの時期、みな必死で調整したのだと思います。8人、ワゴン1台に同乗して奈良へ。なんとしても、という思いがみなの中にあったのだと思います。ボクも、夕刻からのお取り越しとおじょうはん等を急遽変更してもらって、出発時間にすべりこみました。

奈良に着いたのは深夜。お疲れのところ、起きて待っていてくださった先生やご家族の方々には申し訳ないことでしたが、百歳のご母堂様がつくってくださった法縁と、半分はよろこばせていただきました。

元気な先生の”三木節”も健在。往復5時間の車中の歓談・深夜の食事・その食事中午前0時にはR師の誕生日のお祝いも。

有り難い奈良行きでした。

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時空を隔てた奈良のお供物に、感嘆。




                    
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by e.wash-r | 2016-11-08 23:13 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
花火
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「Mちゃんの見た花火」



夜、揖斐へおまいり。ちょうど揖斐川の花火がはじまったところで、田んぼ道に浴衣姿。

今年は、長良川の花火を見ることができなくて寂しい思いをしていましたが、、思わぬ場所で、通りすがりながら、夏を味わうことができました。


過日、お孫さんのご法事をつとめられたNさんのおまいりの後のお話し。

「孫は花火の日に亡くなりました。今もまだ、花火を楽しむことができずにいます・・・」の意。

「花火」は見る人の情に映る、のですね。


情という思い入れがなくなればいいのか?
分別の世界を厭いきれるのか?

人は人としての有様に執着し続けるんでしょうね。ことばを換えると、人は死ぬまで人でいたいということ。

その人の人たる迷いをめあてにするほとけさま。

”花火が美しく見えなくてもいいよ。” そういうお慈悲。

”花火を美しく見えるようにすること”が、他力ではないと思うわけです。









                    
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by e.wash-r | 2016-08-14 00:33 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
舎利弗の目
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棟方志功「二菩薩釈迦十大弟子版画柵」1939 より


夜、Hさんが来寺。のんびり話し込んでいると、遅れてダンナさんのMくんが来寺。ますます、のんびり話し込みました。

帰り際、Mくんが、「ここ数年、ずっと気になっていること、聞いてもいいですか?昔、修行者が、目をくり抜いて差し出した話をご院さんから聞いた記憶があるのですが、その続きって、どうな風でした?」

「舎利弗が目をくり抜いて差し出した話」を知り、10年くらい前、ボクは、その話を、ときどきお取り次ぎに引用していました。たぶん、Mくんは10年くらい前、ボクのそのお取り次ぎを聞いたのだと思います。そして、ずーっとモヤモヤしていたのでしょう。


修行中の舎利弗に、盲の男が「あなたの目をください。」と請う。
舎利弗は、すぐさま、自分の目をくり抜き、その男に与える。
目を受け取った男は、においをかぎ、捨て、足で踏み潰す。


おおよそ、このような流れの話です。ボクが聞いその話の結びは、『舎利弗は、ほんの一瞬、その顛末に唖然とする。このとき、修行者舎利弗は、ただの泥凡夫となった。』というものでした。ボクがMくんにした話も、そのままだったと思います。

Mくんは、「なぜ、男は、目を踏み潰したんでしょうか?」と尋ねてきました。

ボクには、わかりません。ただ、この話の本質は、目を踏み潰した理由にあるのではないと思っています。舎利弗の献身も本質ではないと思います。

この話の本質は、舎利弗が、もはや、男のものとなったかつての我が目、与えた目の有り様に動揺し、こだわったことです。

舎利弗の思いは、実は、人間ならば当たり前のこと。まさに人間の情、思慮の範疇ということ。翻って、それは人間の話であり、ほとけさまの話ではない、ということ。

清淨なるもの、ほとけさま、おさとりは、人間の延長にはないことを示した説話なのだと、ボクは受け止めています。

人の行為の尊さとおさとりを混同しがちなボクたちへの警句と受け止めたいと思います。

人のすばらしさは、人のすばらしさとしておおいに讃えればいいじゃないか、と思う、ということでもあります。


ところで・・・

大原美術館のポストカードになっている棟方志功の舎利弗を挿画としました。50代のおっさんには、スペシウム光線を放つウルトラマンに見えるんですよねえ。




                    
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by e.wash-r | 2016-07-30 23:47 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
本願寺新報 お盆特集号
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7/30分

7月25日、「7月28日に村の寄り合いがあるので、本願寺新報・お盆特集号をその時に配りたいのですが。」と、A地区総代のTさんから電話。

お盆特集号のこと、すっかり忘れていて、慌てて手配。S師、本願寺出版部の方々のお力添えで、ギリギリ間に合いました。感謝。


盂蘭盆会と境内清掃日時変更の再案内、初盆のご案内等を添えて、各地区配布、遠地郵送の準備。

連夜、疲れて起きていられないので、早朝の事務仕事。

PC、プリンタとも好調、データ完璧!?にて、はがき印刷、封筒印刷、案内印刷等、すべて滞りなく、一枚のミス・トラブルもなく完了しました。ありそうでないこと。


どうでもいいことですが、意外と満足感あります。




                    
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by e.wash-r | 2016-07-30 23:30 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
入仏法要 -開闢・お紐解き-
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T家の引っ越し。岐阜から羽島へ。

新築の家には、新しい大きなお仏壇。

元の家のお仏壇で、新しいご本尊と両お脇掛をお迎えしたご報告と、長い間のお礼のおつとめ。おばあちゃんは、うれしいのとちょっとさみしいのと複雑そう。

長良川の堤防を走って30分、新しい家へ。

当家の方々によるお紐解き。たぶん何十年に一度の儀式。

新しいお仏壇の扉を開け、ご本尊、両お脇掛を奉懸。当家の方々に見てもらい「もうちょっと上。」とか「もう少し右。」とか指示を受けながら、存分に時間をかけて。

結婚されたばかりの息子さんご夫婦に、「今までとは違う部屋になったでしょ。」となかば強制的な問い。ボクの思いを汲んでくださったおふたりは、「ぜんぜん違う~。」とうれしいお答えをしてくださいました。

金蝋燭を立て、色衣で入仏法要。

”今日からこの部屋は、T家の中のお寺。ちょっとその気になって、ほとけさまのお慈悲にあい、ほとけさまをお飾りし、ほとけさまをを讃え、ほとけさまにお礼を申すところです。”そんなお話をし、特別な日の法要を勤めました。

T氏は同級生。ご家族の方々とお斎もお相伴させていただき、とにかくうれしい一日でした。




                    
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by e.wash-r | 2016-05-14 23:41 | 智慧と慈悲 | Comments(2)
平和の鐘  ―『鯨音』再掲―
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7月9日。岐阜空襲の日。『平和の鐘』と銘打って、午前9時、市内の梵鐘が一斉に撞かれました。(当寺は、住職法務のため坊守が撞鐘。)


2006/12/9の当blog『鯨音』より一部再掲します。


嫁ぎ先の屋敷に、当寺の境内からもみじを移植し、そのもみじとお寺の方向を重ね合わせて、いつもお念仏していらっしゃったというAさん。

戦時中、寺院の梵鐘も供出の対象でした。鐘の音が響かなくなった岐阜の町。戦後の再興の中、疲弊した寺院に梵鐘を寄贈し続けたBさん。

S寺さんの本堂にて、50回忌の法要がつとまったCさん。以後、Cさんを慕う方々の依頼で、ボクはCさんの祥月命日のおまいりしています

恥ずかしい話ですが、昨年、AさんとBさんとCさんが同じRさんであることを知りました。


川島らい(R)さんのおこころを、あらためて訪ね受けとめたいと思います。

戦時供出した当正蓮寺梵鐘の銘文

乾坤萬物 有時有縁 鑄出法鐘 掛在正蓮
華鯨高吼 上通梵天 聲々遠響 下徹黄泉
醒无明◆ 驚煩悩眠 法門廣隆 国家安全

銘文中の「華鯨」は梵鐘のこと。「法鐘」ともあるように「華鯨」の音、鯨音はおみのりそのものです。

十方に響流する鯨音は、無明に覚醒めさせ、煩悩の眠りを驚かす、と。

らいさんは、ただおみのりが広まることを願われたのだと思います。




                    
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by e.wash-r | 2015-07-09 22:49 | 智慧と慈悲 | Comments(0)