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伊自良川だより 20051130-0130
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b0029488_1582457.jpgアメリカザリガニ
タカハヤ
アブラハヤ
モロコ
b0029488_1591767.jpg 大きなナマズが3匹。50センチはある。
サカナの動きが変わってきたように思う。
b0029488_1585220.jpg網で体中傷だらけ。
網を固定してある棒が曲がっていたので、暴れたのかも知れない。

傷が痛々しいが、どうしようもない。少し滅入った。

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by e.wash-r | 2005-11-30 02:11 | ◆伊自良川だより | Comments(2)
時雨 -在家法座-
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冷たい雨が降ったら、書こうと思っていたこと。


どんな理由で、そのお座がなくなったのか、詳しいことはわかりませんが、T家は、30年ほど前まで、自宅で法座を開いてみえました。村の人が、楽しみにして集まられたそうです。

在家法座はなくなりましたが、T家の当主のTさんは、ご法事を在家法座のようにつとめてみえます。廻ってきたご法事のご縁に、Tさんから、おおよそ次のようなご案内がありました。

「10時からお正信偈のおつとめをしたいと思います。その後、1席でも2席でもいいので、1時間半くらい、ゆっくりご法話をお願いします。できれば、お話しいただく内容の"講題"を事前に聞かせていただけると有り難いです。」

仏間にはいると、演台と黒板が用意してあり、お仏壇の横に、お知らせした『ほとけになる身』という題が大きな紙に書いて張ってありました。


ところで、ボクは、このblogからもリンクしている『住職つれづれ日記』の熱烈な愛読者のひとりです。8月、執筆の松月先生のお寺の『海徳寺HP』に載った「今月の言葉」を、ボクは、重く・有り難く・うれしく受けとりました。


       浜までは 海女も蓑着る 時雨かな     瓢水


残暑のなか、襖をはずし開け広げた座敷での法座。
『ほとけになる身』とお取り次ぎしたのは、『海徳寺HP』の「今月のことば」そのままです。


『海徳寺HP』「今月のことば」を、是非是非ご覧ください。





時雨の中、ボクは、これからちょっと夜の川で遊んできます。

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by e.wash-r | 2005-11-30 00:31 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
D寺報恩講
D寺さんは、本堂の屋根の葺き替えとお内陣の修復の真っ最中でした。
報恩講のおつとめとお説教は、庫裡にご安置した阿弥陀さまの前で。

かねてより聞いていた、お内陣の格天井の絵を見せていただきました。ご住職と坊守さん、ご門徒の方々の手書きだそうです。

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古い木の色と鮮やかな絵を見ながら、連綿と続く信仰の歴史を感じました。
ずっと昔から、繰り返し繰り返し、この本堂で、みんな手を合わせ、お聴聞してきたんだなあと、つくづく仏さまのおはたらきを思いました。

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by e.wash-r | 2005-11-29 00:25 | おまいりにて | Comments(0)
web法話『世間のこと、良くも悪くも半分』大野町・西光寺 野村了嗣
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【テキスト版】

web法話 『世間のこと、良くも悪くも半分』  大野町・西光寺 野村了嗣

 和国の教主つまり日本のお釈迦様と親鸞聖人がたいへん尊敬された聖徳太子のお言葉に、「世間虚仮、唯仏是真」という一文があります。この世の物事は移ろいゆくもの、仮のものであって絶対と言うことはない。人間のやることに完全ということはない。ただ仏法だけが永遠不変の真実である、と味あわせていただくお言葉であります。
 しかしながら今私たちが生きる場は、この虚仮である世間でしかありません。話を先般の国政選挙に転じてみましょう。「改革」とか「民営化」という言葉が頻繁に飛び交いました。もちろんここではどの立場を支持すると言うお話ではありません。「国営」「民営」どちらが良いか悪いのか、そんなことはその時代その環境で変わるもので常にどちらか一方が必ず良いというものではありません。言ってみればどちらの制度にも長所も有れば短所もあるわけです。ただどの部分の長所が今の時代にどんな理由で求められ、逆にどんな短所が今緊急の問題点なのか、そこが論議のポイントとならなければいけないわけです。
 これは世間つまり私たち人間の営み、作り出す制度あるいは道具、機械それらにはおしなべて当てはまることでありましょう。だからどんな制度にしろハイテクな機械にしろ過剰な期待や信用、惚れ込みはかえって過ちの元となります。マル任せにしないことが大切です。半分良ければ半分悪いくらいに思っているくらいでちょうど良いのです。むしろやたらに長所が語られるときには、その影にある短所が見失われ、あるいは隠蔽される危険さえあります。ムードに流され付和雷同的に行動する。これが最も危ういことです。
 良くも悪くも半分。悪いと言ってもまんざら捨てたものでもないと、物事から少し距離をおいて見る。生きる上での仏教の智恵であります。                            合掌



◆wab法話のupが1週間ずれました。申し訳ありません。

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by e.wash-r | 2005-11-28 15:47 | Web法話 | Comments(0)
web法話 『ご縁とよろこぶ道』  大野町・西光寺 野村了嗣
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【テキスト版】

web法話 『ご縁とよろこぶ道』  大野町・西光寺 野村了嗣


 「雨潸潸とこの身に落ちて、わずかばかりの運の悪さを恨んだりして・・」
 これは何かのお聖教の一節ではありません。「愛燦燦」という歌の歌い出しのところであります。作詞作曲は小椋佳。そして美空ひばりが歌ってヒットしました。ちなみに今年は美空ひばりの十七回忌にあたるそうです。
 さて、「運の悪さ」を最初に意識するのは、僧侶の場合、たいていはお寺に生まれたことではないでしょうか。それもけっしてわずかばかりではなく、たいへんな運の悪さとしてです。「何言ってるんだ、丸儲けのくせに・・」という口の悪い同級生の言葉が聞こえてきそうですが、「やなこと言うね、人生いろいろ、でしょう・・?」と笑って受け答えできるようになったのは実はそんなに遠くない過去のことであります。なかなかご法話で聞かせていただいているように「これも尊いご縁でありました・・・」と絵に描いたようには慶べておりません。
 それでも恨んでばかりの人生ではなく、今こうしてテレホン法話のご縁をいただいていることは、言ってみれば不思議なご縁でありまして「人生って不思議なものですね」という「愛燦燦」の歌詞もなるほどと思えてくるのであります。しかしながら、それもこれも良き法友に恵まれて・・・と感謝しております。
ちなみに法友とは「同じみ教えを聞く友、あるいは同じみ教えの道を歩む友」と言った意味合いのことばです。
 お釈迦さまは、生老病死と先ず四つの苦、「四苦」を示されましたが、苦の最初に生すなわち生まれたことを持ってこられたことは意味深長であります。生まれてきたという事実は生まれる前には戻れないことであります。
 先ず、私たちは生まれてきたという事実を真正面から受け止めなければなりません。すべてはそこから始まるわけでありますが、その先をお話させていただくには時間がなくなりました。次回のご縁とさせていただきたいと思います。                           合 掌



◆wab法話のupが1週間ずれました。申し訳ありません。

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by e.wash-r | 2005-11-28 15:41 | moblog | Comments(0)
乙女のポリシー
日曜日が終わると、何故かホッとします。

ホッとしたところへ、Sちゃんからのiショットメールが届きました。


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re:もうすぐ乙女になるSちゃんへ。

コメントはひかえますが、君が小さかった頃、テレビを見て歌っていた曲です。

「美少女戦士セーラームーンR」エンディング  作詞/芹沢類

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by e.wash-r | 2005-11-28 00:01 | そらごと、たはごと | Comments(0)
龕薦堂(がんせんどう) -昔の葬儀-
現在、葬儀はほとんどが自宅かいわゆる葬儀場でおこなわれます。

「野辺の送り」をした昔、葬儀は、日暮らしをした家を出棺して、野外、または龕薦堂(がんせんどう)と呼ばれる葬場でおこなわれました。

以下は、その名残だとボクは思っています。

出棺勤行をしてから、葬儀がはじまるという式次第。
本来、葬場である龕薦堂にむけて家を出るときが出棺であり、その出棺のあと葬儀がはじまるという次第が、今もそのまま残っています。
葬儀のお知らせのとき、葬儀のはじまる時間とともに、あえて出棺の時間をお知らせするのは、昔は、出棺から葬儀がはじまっていたからだと思います。

屋内でも、導師が曲禄(きょくろく)に座ってつとめること。
曲禄は、椅子です。龕薦堂は屋根だけの建物なので、導師は曲禄に座って葬場のおつとめをしました。家の中や葬儀場で葬儀をつとめるようになってからも、曲禄は"葬儀用の椅子"として、そのままもちいられています。


Tさんの中陰法要のあと、お墓のおまいりをしました。
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お墓には、昔の龕薦堂を再建した建物が建っており、お棺を安置する蓮の石も残っています。
『平成七年七月再建 I地区地蔵堂 終戦五〇周年記念』と書かれた木札が上がっていました。確かにお地蔵さまがいらっしゃいましたが、となりには、お地蔵さまと同じ「まえかけ」みたいなものをした阿弥陀さまもいらっしゃいます。
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「地蔵堂」であることに間違いはないですが、かつては葬場・龕薦堂であったということも、仏教の村のひとつの文化として残って欲しいと思います。

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by e.wash-r | 2005-11-27 00:01 | おまいりにて | Comments(0)
伊自良川だより 20051126-1450
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法事の合間に、ダッシュで行ってきました。網に引っかかったサカナをはずしたり、ながれてきた藻の掃除は意外と時間がかかります。
調査を終え、山を超えるとき、お墓まいりのTさんとバッタリ。午後の法事は、Tさんの家です。いやはや。


b0029488_2344382.jpg入るサカナが減ったように思う。
P3-1、P3-2とも、ほとんど、アブラハヤかタカハヤ。
b0029488_23473248.jpg導入用の網に引っかかったシマドジョウ。
いつも、うまくはずすのに難儀している。
引っかかるのは、たいてい、シマドジョウかモロコかカワムツ。
行動様式だけでなく、体型も関係あるかも知れない。
b0029488_23505265.jpg定置網の場所から、かろうじて本堂の屋根が見える。
b0029488_23522070.jpg真っ赤になった恋坂のもみじ。
木陰のものほど、きれいに色づいているように思う。

紅葉の変化を少しは楽しんでしる。
この写真を撮った直後、坂を登ってみえるTさん家族に会った。



調査について、詳しくは「リバーリバイバル研究所」へ

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by e.wash-r | 2005-11-27 00:00 | ◆伊自良川だより | Comments(0)
K寺報恩講
隣の村のK寺さんの報恩講におまいりしました。
当地域では、最もはやくおつとまりになるお寺のお取り越し報恩講です。
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K寺さんは、今、諸伽藍建築中です。本堂、山門、鐘楼が、それぞれに完成に近づきていました。来年の4月には落慶法要がつとまります。

過日、当寺ご門徒の法事におまいりしていらっしゃったK寺総代さんから、再建に関わるご苦労を伺いました。諸伽藍が、立派なかたちを整えてきた今は、きっと、ご苦労あってのよろこびの大きいことかと思います。

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おつとめとお聴聞は庫裡にて。
おつとめのあと、午後の1座2席、坂口祐紹志師のお取り次ぎの法話をお聴聞してきました。

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by e.wash-r | 2005-11-26 00:01 | おまいりにて | Comments(0)
脂肪の年輪

飽食の時代といわれますが、ボクもその真っ只中にいます。
現代の風潮では、食について、坊主(少なくともボク)は、必然として基本的に飽食・贅沢です。

御斎(おとき)の席に着くことが多く、いつも、ごちそうをいただいています。最近のごちそうは、脂肪をともなったタンパク質が主流です。お葬式の御斎でも、お精進でないことが多くなってきました。

その反動なのか、寺では、割とあっさりしたものをいただいています。ただし、それは決して、「不殺生戒」を守って、厳しい清貧のくらしをつとめているということではありません。あっさりしたものが食べたいという極めて利己的な欲望を具現化しようとする、やはり贅沢なのです。


さて、今日の昼ご飯を紹介します。

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昨日、村の文化祭の防災コーナーで試作した『ビニール袋入り炊き出しご飯』のお茶漬け。

梅干し入りなので、お茶をかけてほぐせば、お茶漬けのできあがです。

ほどよくおいしかったと言えばいいのですが、米1合に付き塩小さじ1杯が入っているそうで、随分塩っ辛く、結局贅沢な講釈を言うことになりました。どこまでもあさましい次第です。


ところで、昔ながらの寺の御斎や葬式の御斎の準備は、災害時の炊き出しに似ていると、ふと思いました。

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by e.wash-r | 2005-11-25 00:06 | そらごと、たはごと | Comments(0)