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『いとしのヒナゴン』  -ふるさとの話をしよう-
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夜の予定が変更になったので、義弟のお見舞いに行くことに。
それまでの空いた時間で、『いとしのヒナゴン』(重松清)を一気に読みました。

"ヒナゴン"のコトを書くのは、これで4回目のように思います。なんか、"ふるさと"ということばが気になるんです。 過去の"ヒナゴン" → 123

映画『ヒナゴン』もオススメしましたが、小説『いとしのヒナゴン』もオススメします。
とっても!

以前、ボクは、唱歌『ふるさと』にヨワイと書きました。

うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川
夢はいつもめぐりて 忘れがたき ふるさと

いかにいます 父母 つつがなしや 友がき
雨に風につけても 思いいずる ふるさと

志を果たして いつの日にか 帰らん
山は青きふるさと 水は清き ふるさと

"ヒナゴン」は"ふるさと"にいるんです。
2003年の9月配信の『ふるさとの山』というテレホン法話です。
『ふるさとの山』

 大半が物見遊山ではありましたが、一応、お念仏ゆかりの地を訪ねるという名目で、東北を巡ってきました。にわか仕込みではありますが、東北にまつわる詩をいくつかご紹介いたします。

 『夏草や兵どもが夢の跡』

 この句は、今から300年以上前、俳人松尾芭蕉がみちのくの旅の途上、藤原氏の栄華の地・平泉で詠んだものです。芭蕉は、北上川の悠久の流れを望みつつ、

 「国が破れ滅びても、山や河だけはむかしのままの姿で残っている。荒廃した城とて春はめぐり来るが、草木だけが生い茂るばかりだ」

と詠んだ杜甫の詩、

 『国破れて山河あり 城春にして草青みたり・・・』

を思い浮かべ、栄華盛衰の移ろいに涙したと綴っています。
 これらの詩が、時を経てさらに私たちの心に響くのは、杜甫や芭蕉がしみじみと感じ取っていた巡る歴史の無常、時の流れのはかなさを、今、私たち自身も我が身の上に同じく感じることができるからでしょう。
 ところで、杜甫や芭蕉は、ただ淡々とたたづむ山河・草木についてはどのような思いで見ていたのでしょうか。たとえば、岩手・渋谷村で一時期を過ごした詩人石川啄木は、ふるさとの山を仰ぎ、

 『ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな』

と、詠んでいます。
 ふるさとの山河は、その懐に喜びも悲しみもすべてを包みこんで、常に私のそばにたたずんでいます。それは、移ろう時や歴史に翻弄される私を、その苦悩が故に、そのままただ救うと誓われる阿弥陀仏のお慈悲そのもののようであります。

 『ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな』

"ふるさと"は、田舎だけではありません。例えば、『センチメンタル通り』。

いつかこの街すてる時 君は涙みせずに 行けるかい


"ふるさと"は、かつてすんでいた場所でもいいし、今すんでいる場所でもいいと思います。そう言う場所のことを、何もかもひっくるめて考えさせられた『いとしのヒナゴン』でした。

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by e.wash-r | 2006-06-30 01:24 | 溺レル | Comments(0)
黄鐘会夏座 その後
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本堂には、ピンクと黄色の経本が置いてあります。

ピンクの方は、『対譯 法事勤行集』。
正尊寺さんが、つくられました。現代語訳が下段に載っている「三部経」と「正信偈」の経本です。ご法事:「三部経」と、お取り越し:「正信偈五十六億和讃」がおつとめできるようになっています。

黄色の方は、『勤行集 礼讃のおつとめ』。
当正蓮寺でつくりました。「初夜礼讃」と「十二礼」「讃仏偈」「重誓偈」の経本です。
黄鐘会におまいりすると、もらえます。
『もらったら、次のお座もお聴聞しましょう。』作戦です。


6月16日の黄鐘会に、次女の同級生のお母さん(ボクの同級生の奥さんでもあります)がお聴聞に来てくださいました。帰り際、ピンクの経本が欲しいとのこと、おわけしました。

後日、代金を持ってきてくださったのですが、一通の手紙が添えてありました。

・・・6月16日、三木先生のお話に誘っていただき、ありがとうございました。
考えさせられるところもあり、私のターニングポイントになりそうです。
また、よろしくお願いします。・・・


ようこそ、おまいりくださいました。
11月17日の黄鐘会冬座にも、ぜひお聴聞に来てください。

三木先生も喜んでくださるだろうなあ。


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by e.wash-r | 2006-06-29 01:16 | ようこそ正蓮寺へ | Comments(0)
人生相談
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梅雨。
ナメクジにも、ボクにも、どこかの誰かにも、この先いろいろな人生があるんだろうなあ。

お仏事で食事をいただく場合を除いて、ほとんど昼食時には寺に帰ります。
今日もそんなありふれた一日のはずでしたが、なぜか、12時頃から、電話が鳴りっぱなし。

当寺に限らず、どこのお寺でも、たぶん、おそらく各事業所や個人の家庭までも、様々な電話勧誘が多いのではないでしょうか。

・お得な電話契約の宣伝
・資産運用・投資・投機のお誘い
・特産品や健康食品のセールス
・塾・家庭教師の売り込み 等々

妙に明るい声だったり、馴れ馴れしい語り口だったり、対応に苦労しています。

そんな電話が立て続けにあり、少々うんざりしているところへ、若い女性の少し沈んだ声の電話が入りました。

「檀家ではないのですが、○○と申します。相談にのっていただきたいことがあるのですが・・・。お伺いしてもよろしいか。」

ありそうでない電話であり、申し訳ないことですが、正直なところ、少し疑ってしまいました。
それでも、丁重に対応したつもりです。

「もう少し、具体的に聞かせてもらえませんか。」

「宗教的なことではないんです。人生相談なんです。」

少し困りました。ボクには、人生相談に応える裁量はありません。

「人生相談には、お応えすることができるかどうか・・・。」

そこまで言うと、その女性は、早口で、

「わかりました。」

と、すぐ、電話を切りました。"でも、仏法に遇うことができますよ。"と言い切れなかっただけに、それに、ボクに猜疑心があっただけに、後味の悪い展開でした。

寺は、"苦悩する人々に応えることができるのか。"といわれれば、堂々と"応えることができる"と言えます。

『おみのり』を伝えることが、そのまま苦悩に応えることだと思っています。とは言え、長く人間関係を築いてきたご門徒の方々にさえ、なかなか時に応じてお取り次ぎできないていたらく。まして、見ず知らずの人にお伝えすることのなんと難しいことかと・・・。

難しくしているのは、ボク自身の問題。
伝わる法の邪魔をしないこと。

わかっているつもりでも、できないことばかりで、情けないかぎりです。



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by e.wash-r | 2006-06-28 00:59 | ようこそ正蓮寺へ | Comments(2)
キッズサンガにむけて
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岐阜教区少年連盟の指導者研修に参加。
ちょっと厳めしいですが、ひらたく言えば、お寺で日曜学校をしているご院さんたちのの勉強会です。

口演童話の指導をしてくださった「実践童話の会」代表、浅野彬先生。
パネルシアターの実演と説明をしてくださった「あさひ子ども館」館長、中村秀子先生。

おふたりの現場の方々がご講師でした。
熟練の先生と言うよりは、もはや、芸、プロ、の領域の実演で、圧倒されました。

自坊の日曜学校で、先生方のような実演をすることは、まず不可能です。才能もテクニックもないからです。しかし、先生は、『大切なのは、何より自分が楽しむことです。』とおっしゃいました。それなら、ボクたちにもできそうな気がします。

『自らが楽しむこと』

具体化しつつあるキッズサンガにむけて、住職としてのモチべーーションとは別に、シンプルな行動の指針を確認できたように思います。

関連記事 : 正尊寺住職雑記  林雙寺GO!GO!

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by e.wash-r | 2006-06-27 00:37 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(2)
6月の日曜学校 -餃子の皮作戦-
今月は、予定日の第3日曜に村のバレーボール大会が重なったので、1週間遅れの日曜学校でした。ボクは、法務の関係で不在。準備はほんの少し手伝いましたが、坊守におまかせです。

出席者は4人。おまいりの後、お楽しみの前に、もう一度、何人かに電話で声をかけ、お誘いをしたそうです。その結果、T兄弟とRくんが遅れて参加。

もう一度おまいりをして、本願寺少年連盟の「こども新聞」に載っているお話しの朗読、それから、庫裡で、おやつという日程だったそうです。

"おやつ"といっても、それ自体が遊びみたいなもので、餃子の皮に自分たちの好みのトッピングをして、ホットプレートで焼くというもの。

b0029488_9311841.jpg今回の材料 

餃子の皮
ツナ(缶詰)
コーン(缶詰)
ハム
チーズ
マヨネーズ
ピザソース
チョコレートペースト

こどもたち、大よろこびだったようです。

『なんとか、ちいさな日曜学校が続けられるのは、ひとえに坊守のおかげです。』
と、blogには書いておこう。


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by e.wash-r | 2006-06-26 09:11 | ようこそ正蓮寺へ | Comments(0)
梅雨の晴れ間
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例年より、少し遅かったそうですが、当地では田植えがほぼ終わりました。

梅雨前線が南に下がり、大陸の高気圧に覆われ、さわやかな一日でした。
ただ、当然、前線の周りでは雨が降っているわけで・・・。


午後7時、まだ明るい街を走りながら思いました。

枕草子では、『夏は夜』であり、『秋は夕暮』ですが、ボクは"盛夏の夕暮れ"がいいと思います。
"こどもがそろそろ家に帰るころの、夏のお寺の夕暮れ"は、特にいいと思います。



夏、そうなるといいなあ。


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by e.wash-r | 2006-06-25 01:06 | Photo only | Comments(0)
正尊寺「真宗講座」 -天岸浄圓師-
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お育てをいただいているのだと、つくづく思います。

それは、何より阿弥陀さまの願いなのですが、お取り次ぎをいただくご講師の先生、法座を開いてくださるご住職、いっしょにお聴聞をするお同行・法友に恵まれてのことと、素直に感謝の気持ちです。

昼は、総代研修に参加していたので、お聴聞できませんでしたが、夜のお座は、田植えが終わったばかりの田んぼを吹き抜けてくる風が吹き、蛙の声が聞こえる本堂で、ゆっくりおみのりに遇うことができました。
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ひいおじいちゃんの頃から、私たちは、科学的なものの見方・モノに価値を見いだす世界観で育ってきたようです。その中で、世界を、我が心で見ているということを忘れてしまったのです。

天岸先生は、唯物論的な世界観のボクたちに、整然と我が心で見ている世界があることを教えてくださいました。

なんども正尊寺さんの「真宗講座」に通うなかで、いつもいっしょにお聴聞をする正尊寺のお同行の方々のお顔をおぼえるほどになりました。
名前を知らない方々がほとんどですが、なんか、イイ感じです。

正尊寺さんの住職雑記もご覧下さい。

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by e.wash-r | 2006-06-24 01:48 | おまいりにて | Comments(0)
オヤジの小言
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夏、法衣が薄くなるので、白いパンツをはく。

【ゴムの取替口】とうタグが付いたパンツを見つけ、今の時代にも、こんなのがあるんだと感心して、買ってしまった。逸品である。

パンツを見せるなどというのは、失礼だと思うが、意図あってのこと、ご容赦を。


ところで、パンツをワザと見せるという風潮がある。おそらく、流行だから、恥ずかしいとも思わず、やっているのだろう。特にポリシーや思い入れがあるわけでもなさそうである。

正直、不快だ。男として、見たいパンツがないわけではない。しかし、概して不快である。

なぜ不快なのか?

特に答えはないと思う。ただ、不快と思っている人がいるのに、あえて見せる必要のないパンツを、自己主張として一方的にさらしてくるのは、他人への過干渉である。

"下着は見せるものではない"ということが、前提だ。だから、パンツを見せたがる人たちが、下着だけで衆目の前を闊歩できるなら、それも認めざるをえないと思う。しかし、そこまではしない理由こそ、あくまで下着は下着と言うことなのだ。

ボタンダウンの襟元から、白いTシャツがのぞく、あるいはヘンリーネックのボタンがのぞくという着こなしは、市民権を得ている。"同じことではないか"と言われそうだが、あきらかに違う。Tシャツは、Tシャツとして着こなすことができる。パンツを見せたがる人たちが、そのパンツ一枚で歩くとは思えない。たとえ歩いたとしても、それは、奇をてらった自己顕示でしかないだろう。すくなくとも、今の時点で、スタンダードではない。

パンツを見せたがる人は、おおよそ制服の観念が薄い。平気で制服を崩す。その割には、訳もなく規格化された流行を追う。その整合性のなさに、見ていて、哀れみすら感じる。本当の自己主張がないのだ。

ファッションは所詮、好みの問題。だから、自己主張すればいい。そのせめぎ合いの中で風俗は生まれるのだ。VANの創設者・石津謙介氏の、"流行ではなく風俗を創るのだ。"ということばの重さを、あらためて思う。

                              → 【 VANが先生だった 1  2 】

つまるところ、パンツ一枚で歩く風俗をつくり出す気概があるかどうかという問題である。風俗になり得なかったとき、調子に乗ってパンツを見せていた人たちは、笑いものになりかねない。見ものである。

風俗になり得るか否か。どちらも可能性はあると思う。

オヤジとムスメの冷戦の決着はいかに?



                    【 一年前の今日のblog

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by e.wash-r | 2006-06-23 00:33 | そらごと、たはごと | Comments(0)
ミニシアター  -たまには、お手伝い-

こどもたちが、むくの木合唱団のお世話になって、10年ほどになります。

むくの木合唱団は、地域に根ざした50人ほどの合唱団です。とってもきれいな歌声は、熱心な先生方のご指導者の賜です。

そう言いつつも、定期演奏会や公演を、ほとんど聞きに行ったことがありません。日程が合わないのです。こどものために、万障を繰り合わせるという生き方もあろうかと思いますが、ボクの場合、それはちょっとできずにいます。
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今日は、学校の授業が早く終わるということで、むくの木合唱団の子どもたちは、練習までの時間、公民館で映画を観ることに。

普段、なんのお手伝いもできないので、プロジェクターを持って、公民館をミニシアターにしてきました。上映するのは「サウンド オブ ミュージック」。3時間の大作をこどもたちは真剣に観ていました。
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帰り際、公民館の玄関まで来ると、靴がキレイに揃えて脱いでありました。こどもたちの気持ちのいい挨拶といい、育てていただいているんだなあと、あらためて、思いました。

「歌」あればこそ、なんだろうな。・・・と、我が身を振り返ったことです。


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by e.wash-r | 2006-06-22 00:28 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(10)
今日の出来事
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昨夜は午前3時まで事務仕事。
眠いし、面倒くさいし、暑くもなく寒くもないので、着替えもしないで、長男の布団の端でちょっと横になったら、そのまま寝込んでしまいました。

朝方、ネコかネズミが顔の上に覆い被さってきた夢を見て、目が覚めました。寝ぼけ眼であたりを捜しましたが、何もいなかったので、まちがいなく夢だったと思います。

ただ、何か口の周りや中がヘンです。口の中から、折れた歯が出てきました。どうも、長男に蹴られたみたいです。唇が切れたりしていないので、口を開いて寝ていたのでしょう。不幸中の幸いとはいえ、かっこ悪すぎ。



b0029488_9465759.jpg夜のおまいりの後、汗で重くなった法衣を脱ぎ、パンツ一枚で、ほっと一息ついていると、サイレンの音。

火災発生の緊急連絡は入っていませんでしたが、消防詰め所に駆けつけ、ポンプ積載車に乗って現場に向かいました。堤防の小火で、ボクがついたときには、ほぼ鎮火していました。後始末をほんのちょっと手伝いました。

野次馬の中に、門徒さんが何人もいらっしゃいました。
「なにぃ、ご院さん、まんだ消防やっとっとんさったんかね。」
と言われ、ガックリ。日曜学校に来ているRくんは、
「ご院さん、家におる人はずーっと消防やらなあかんのやねえ。Sちゃんのお父さんも、家の仕事やで、ずーっと消防やっとるんやと。ご院さん、消防の服、似合っとるね。」
と。嬉しいやら悲しいやら。

今日もいろいろなことがあって楽しい一日でした。
御法義の話はなしです。あしからず。


*写真は、イメージです。 (2001/8、2004/9)


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by e.wash-r | 2006-06-21 00:31 | そらごと、たはごと | Comments(0)