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ありがとうございました
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叔父、95歳にて往生。

叔父のお寺の報恩講は、12月25日から28日までの4日間です。小学校3年生から大学まで、毎年冬休みの前半は、叔父のお寺に泊まって報恩講におまいりして過ごしました。

毎日、朝、昼、夜のお座があり、おまいりする度に、
「そーか、正蓮寺の新発意(しんぽち)さんがおまいりしてくれるか。」
と言っては、よろこんでくださいました。

一生懸命におだててくださっていたのだと思います。寒い夜のお座におまいりするのがイヤで、こたつでテレビを見ていたりしたこともありましたが、叱られたことはありません。ただただ、おまいりしたことをよろこんで、ほめてくださるばかりでした。

報恩講の4日間は、毎食、お斎と同じ精進料理です。口癖のように、「今日は御開山の報恩講・・・」と晩酌で上機嫌の叔父を見て、お精進でもお酒は別かな!などと思ったこともあります。


夜、こどもたちを誘ってお悔やみに行きました。
「お盆会のとき、袈裟をかけ、病院の窓から本堂の方を見て、手を合わせていたんやよ。」
そう言う叔母の話を聴きながら、生涯お坊さんだったんだなあと、当たり前のことが、とても尊く思えました。

ありがとうございましたという気持ちでいっぱいです。


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by e.wash-r | 2006-09-30 23:59 | おまいりにて | Comments(1)
Because it is there.  -映画「UDON」-
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映画『UDONN』を、S師と観てきました。夜10時からのレイトショーです。(住職雑記参照)

映画中、気になる台詞があり、寺の帰った後、『シェルパ ヒマラヤの栄光と死』『チベットから来た男』を読み返し、Webを尋ねて、さらに夜更かしいてしまいました。

気になった台詞とは。

息子:「何故、うどん屋をはじめたんだ?」
父 :「そこに粉があったから。」
息子:「けっ。エベレストかよ。」

『そこに山があるから』と意訳されたイギリスの登山家マロリーのことばをモチーフにした親子のやりとりです。

原文"Because it is there."は、哲学的にあるいは詩的に解釈されることが多いようですが、真意は、"未踏の最高峰エベレストが、そこにあるからだ"だと言われています。マロリーは、漠然と山という構造物に登ろうとしていたのではなく、未踏の最高峰としての固有のエベレストに登頂することをめざしていたのです。

マロリーの遺志を受けるならば、「そこに粉があるから」というセリフは、「最高のうどんをつくるため」と聞くこともできます。

さて、衆生を"無上仏にならしめん"と誓かわれたほとけさま。
もし、ほとけさまが英語で、"Because it is there."とおっしゃったとしたら、それは、"娑婆に惑う我が一人子、あなたを必ず摂めとるのだ。"という慈悲のおことばですね。

平等心をうるときを 一子地となづけたり
一子地は仏性なり 安養にいたりてさとるべし  浄土和讃

三界の衆生をわがひとり子とおもふことを得るを一子地といふなり  左訓




ところで、エベレスト初登頂のシェルパ、テンジン・ノルゲイについて、また機会があったら・・・。


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by e.wash-r | 2006-09-29 09:28 | Tibet/西蔵 | Comments(4)
アリバイblog
正蓮寺夏のお泊まり会の第1回から、参加してくれているY君。

「サマースクール50年の歩み」にも寄稿してくれました。ご苦労さん会ということで、K君も誘い、日程を調整して、今晩3人で会食をしました。

20歳以上年が離れていますが、音楽の話題以外は、何とかついて行けました。ボクは楽しかったです。少し若返った気分。


今日は、「サマースクール50回記念式典」の打ち合わせが別院でありましたが、上記の理由で僕は参加しませんでした。役員のみなさん、ゴメンナサイ。

ボクが担当している看板つくりは、彼岸会が終わってから、おまいりの合間に、坊守とボチボチすすめています。思ったより手間どっていますが・・・。

そんなわけで、今日は、言い訳アリバイblogです。
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*blogでは、アリバイ工作も可能ですが、今日のblogに関しては、そのままです。


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by e.wash-r | 2006-09-28 01:26 | 溺レル | Comments(2)
徳山村の思い出 2  -ダムに沈む川を下るー
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           山手集落跡  橋の正面の大杉のそばに分校があった


徳山ダム構想浮上から、離村がはじまり閉村になるまでに、30年の月日が流れています。
その13年後、本格的なダム工事が始まりました。2006年、湛水がはじまり、半世紀を経て、徳山村がダムに沈んでいきます。

1957年、徳山ダム構想浮上、予備調査。
1983年、村民の離村がはじまる。
1987年、徳山村閉村。
2000年、徳山ダム起工。
2006年、湛水開始。

1990年頃、E師と徳山村をカヤックで下りました。
ダムに沈む前に、揖斐川の源流を流れておこうということになったのです。

カヤック2艇と移動用の自転車を積んで、馬坂峠を越えました。川原に降りる場所を探しながら、ところどころススキの原のある村の中を上へ上へと走りました。ススキに覆われた場所は、ほとんどが、かつて家屋があったり、田畑のあった場所です。

懐かしい「山手」の集落に渡る橋から、川を眺めました。ボクの最初の思いは、「鬼生谷」の出会いより少し上流から入り、「山手」の村を見上げながら下ることでした。

なぜ、そうしなかったのか憶えていません。「山手」の村の中を一回りして引き返し、少し下流を下った記憶です。

たぶん、ダムに沈んでいく前に、「揖斐川の源流」・「徳山村の中」を下ることができればそれでよかったんだと思います。儀式みたいなものです。

当時、人がいなくなった徳山村の川は、釣り師や漁師が無秩序に押しかけ、荒れていると聞いていました。だからと言うわけではないですが、ボクたちは、殺気だった釣り師から石を投げつけられてもいいように、ヘルメットを被って徳山村を下りました。E師はH中学の、ボクはG中学の、自転車通学用の白いヘルメットです。

下り終わったあとは、あらかじめ上陸地点に置いておいた自転車に2人乗りして、流下した道のりをのぼりました。今となっては、2人乗りで、ぜいぜい言いながら数㎞の山道を走ったことも徳山村の思い出です。

その時から、およそ15年の間、ボクはふたたび徳山村を訪れることはありませんでした。
忘れていたと言うのが正確な言い方です。
惜別の感傷はあっても、やはり、ボクたちは第三者なのでしょう。


50年、ふるさとに翻弄された方々がみえます。

ふるさとは終わらない。


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by e.wash-r | 2006-09-27 00:56 | ふるさと | Comments(0)
徳山村の思い出 1  -心の旅-
今日、2006年9月25日、徳山ダムの試験湛水が始まりました。そのまま本格運用されることになれば、実質的には、徳山村は、とうとうダムに沈むことになります。

1957年、徳山ダム構想浮上、予備調査。
1969年、徳山村が、ダム建設問題の協議会を結成。
1971年、実質的に徳山ダム計画が動き出す。
1976年、徳山ダム建設認可。

1973年、ボクは、小学校最後の夏休みの何日かを徳山村で過ごしています。ボクにとっては、ただ"きらめくような少年の夏"でしたが、ダム建設の経過の上では、徳山村が、おおきく揺れはじめた時期であったようです。
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ボクは、長年、徳山村で先生をしていたS夫妻を訪ねて、ひとりで山手分校に泊まっていました。何日かすると、都会の大学生や高校生のグループがやってきました。鬼生(おにゅう)谷という揖斐川の支流に入ってキャンプをするというので、ボクも加わることになりました。

最年少で内気なボクは、"田舎もの"とからかわれ、あまり居心地はよくなかった記憶です。彼らにあまり馴染むことができず、朝から晩まで、川に入ってはカジカやアマゴを突き、川原で薪拾いをし、焚き火の番をしていました。

ボクからみると町のオトナの彼らはというと、テントの中で雑音の多いラジオ放送を聞きながら、当時流行っていたチューリップの『心の旅』が流れる度に、大きな声で歌っていました。

あー だから今夜だけは 君を抱いていたい
あー 明日の今頃は 僕は汽車の中

当時、まだ、別れという概念がない小学生のボクには、さっぱり意味のわからない歌でした。厳密に言うと、今も、よくわからない歌なんですが・・・。

それでも、ボクにとって『心の旅』は、徳山村の鬼生谷の夏の歌です。

その鬼生谷や徳山村が、ダムに沈んでいこうとしています。
すでに、国土地理院の地形図から、「山手」の地名は消えていました。
賑やかだった街も 今は声を静めて
何を待っているのか 何を待っているのか
いつもいつの時でも 僕は忘れはしない
愛に終りがあって 心の旅が始まる

だれか、"心の旅"って何なのか教えてくれー!


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by e.wash-r | 2006-09-26 01:45 | ふるさと | Comments(2)
ふるさとの山 2 -小学校の運動会-
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今日は、木曽川を越えて尾張の国までおまいりに行きました。

よく、"遠くまでおまいりたいへんだね"と気遣ってくださる方がありますが、車で走るわけですから、余程時間に追われていない限りは、ちょっとしたドライブ気分です。

帰り道、秋晴れの中、正面にみえる濃尾平野北縁の山々を見ながら、ボクはつくづく、岐阜の山が育ちだなあと思いました。

高校生のとき、名古屋市内の病院で数ヶ月過ごしました。退院し、名鉄電車に乗って岐阜に帰るとき、木曽川を渡るあたりで、岐阜の山並みを見て"帰ってきた"という感情が勝手に湧き上がってきたときのこと思い出します。

法事から帰ってすぐ、小学校の運動会を見に行きました。顔見知りの方々と挨拶を交わし、グランドに着くと、消防団のS君が、"さっき終わったよ"と・・・。受付に香典だけ届ける義理まいりみたいなものになってしまいました。

ボクが在学していた頃、まだ校舎は木造で、運動場も今の1/3くらいでした。当時の面影は全くない今の小学校ですが、校舎の後ろの山は、当たり前とはいえ、昔と変わっていません。

日曜学校の出席回数1番のRちゃんが、後片付けをしながら、"こんにちは"と頭をぺこりと下げました。元気をもらって、またおまいりに向かいました。


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by e.wash-r | 2006-09-25 00:00 | ふるさと | Comments(0)
彼岸会 -願われたいのち-

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彼岸会。
ご講師は、福井勝山の袋田晃先生です。

ただかけがえがないから尊いのではない、いかなるいのちであろうとも如来に願われているから尊いのだ。ほとけさまを抜きにしては語れない。

世間のことが、合理的に、例えば経済中心に語られることが多い風潮のなかで、法にであった日暮らしのすばらしさを熱くお取り次ぎくださいました。

最後の1席、抑揚のある感情をこめた物語、如来の慈悲の確かさの一節。
本堂が、何とも言えない緊張感でしーんと静まりかえりました。

お取り次ぎを終え、尊前で「恩徳讃」を歌われ、お聴聞の方々に一礼をされた先生に、拍手がおこりました。ボクとしては、『伝統的に、こういうときはお念仏なんやけどなあ。』と、複雑な心境でしたが、お聴聞の方々のよろこびの表現として、有り難く受けとめました。

中央仏教学院で学んでいたとき、放送関係につとめていらっしゃったY師が、
「今の世の中、たいていの場合、よろこびは拍手で表現するんですよね。」
とおっしゃっていたことを思い出しました。

早朝より、準備・接待をしてくださった役員さん、おいしいおときを作ってくださった台所のおとりもちの方々、お疲れさまでした。

お彼岸、お寺で一日過ごす楽しさを、もっともっと多くの方々に味わっていただきたいなあ。


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by e.wash-r | 2006-09-24 07:59 | 智慧と慈悲 | Comments(2)
蝋燭と領収書  -彼岸と此岸-
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夜、彼岸会のお荘厳の最終チェック。
あとは、明日の早朝、Y商店さんから白いお華束が届いたら、それを盛るだけのつもりでした。

軽い気持ちで、一応十分にあるはずの蝋燭を確かめてみると、なんと、20匁の蝋燭が2本足りません。少し焦って、早々にお仏具屋さんに電話。お店を開けておいてもらって、蝋燭を買いに行きました。

蝋燭を買って、お仏具屋さんから車に戻る途中、蝋燭の箱の上の領収書が風に飛ばされました。マズイ!と思うほど、どんどん飛んでいきます。やむなく、蝋燭の箱を地面において、領収書を追いかけました。

燭は彼岸のお荘厳。蝋燭を地面に置くとき、ちょっとためらいました。蝋燭をぞんざいに扱うような気がしたからです。蝋燭と領収書とどっちが大切かなあと考えながら、領収書を追いかけました。

そのとき、瞬時に頭の中を巡った意味不明なこと。

蝋燭はまた買うことができる。
でも領収書はアレしかない。
やっぱり領収書を追いかけなければ・・・。

お彼岸でも、ボクはまちがいなく此岸にいます。やれやれ。


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by e.wash-r | 2006-09-23 00:00 | そらごと、たはごと | Comments(0)
秋晴れ
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彼岸会の準備がおおかた整った本堂で、上げ仏事。
おまいりの後、Tさんから、天候に依るところが大きい米作りのご苦労を聞きました。

例えば台風が来れば甚大な被害を被るわけで、現実としてそれは非常に厳しいことです。ただ、Tさんの話しぶりの中に、それも長年の米作りの中ではあり得ることと、どこか甘受してみえるような雰囲気を感じました。

Tさんの話に、今さらながら、そう言う時間の流れ方もあるんだと思いました。穏やかな気分でそう思いました。さわやかな陽気のせいなんでしょう。

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午後、教徳寺さまにて黒野組総代研修。
山田明爾先生のご法話を聞きました。

「子どもの頃、お彼岸には御坊さんへ"行く"のが当たり前でした。・・・きょうはお彼岸です。ゆっくり本堂で過ごしてください。・・・」

昔話、浄土真宗のお寺の成り立ちから、「信」まで、豊富な話題を通してとつとつと話してくださいました。

ここでゆっくりお聴聞していたいと思いました。2席目の途中までお聴聞しましたが、八重ている会議に出席するため、今度は別院へ。

「サマースクール50年の歩み」の最終校正。



最終原稿を印刷屋さんに届けられた編集委員長のN師より、深夜、メールが届きました。。
原稿の最終チェックをして印刷に回しました。
・・・納品は記念式典の直前ギリギリとなる予想です。
この半年、委員各位にはご多用の中大変なお暇財のご奉仕で誠にご苦労さまでした。
先ずは報告方々御礼まで。

みなさん(特に特に編集委員長さん)、ほんとうにお疲れさまでした。
最終校正の原稿を見ながら、ボクも、サマースクールの中で育ち、お寺のことを学んできたのだとあらためて思いました。

小学生の作文みたいになってしまいました。


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by e.wash-r | 2006-09-22 12:14 | おまいりにて | Comments(0)
「・・・すべて仏様になる。」  -小泉語録-

いよいよ任期を終えられる小泉首相の、2001年7月11日、党首討論会での一部発言要旨。

「日本には日本の事情がある。英霊に対し、慰霊の方法は国によってそれぞれ違う。日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる。A級戦犯はすでに死刑という、現世で刑罰を受けている。心ならずも戦争に行かざるをえなかった人たちが圧倒的多数だ。そういう人たちへの慰霊を、一握りのA級戦犯が合祀されているだけで、おろそかにしていいのか。死者に対してそれほど選別をしなければいけないのか。批判を甘受しながら参拝したい。」

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様々な議論がなされた発言です。
日本中に流れたこの発言について、遅まきながら、ひとこと。

「すべて仏様」、「死者に対してそれほど選別をしなければいけないのか」という部分を聞いて、小泉首相も、仏教の風土の中で生まれ育った方なのだと思いました。

ごく当たり前に仏教の風土であるという現実を、ボクたち仏教徒は、もっと素直によろこんでいいと思うのです。

去ってゆく小泉首相に、「ともにみほとけのお慈悲のなかのなかまですね。お疲れさま。」とおおらかに言ってみるのもいいかもしれないと、すこし思います。


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by e.wash-r | 2006-09-21 02:13 | そらごと、たはごと | Comments(0)