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やっぱり海 8/31
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高校の同級生ふたりと海へ。

手の骨を折ってちょうど一ヶ月。テンションが下がりっぱなしで終わってしまいそうだった夏に、一矢を報いることができました。

とはいえ、なまった身体では、超体育会系のEとJのペースについていくのは危険と判断。マイペースで、ボチボチ。

3時間ほど、シュノーケリング+αを楽しんだ頃、片足がけいれん。間もなくもう片方も。

両足けいれんすると、もう、どうすることもできないので、痛みのない姿勢でプカプカ。

クラゲのようになって、やっぱり海はいいなと。


夏の終わりの海は、本物のクラゲもいっぱいで、首筋や膝の裏を何カ所も刺されました。

痛し痒し!
by e.wash-r | 2011-08-31 23:26 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(2)
四法会・奈良、三木先生の勉強会 -アナログとデジタル- 8/30
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講義の後、机を並べ替えて、坊守さんが準備してくださったコーヒーをいただきながら、歓談。

途中、9月以降の勉強会の日程調整をしました。

和紙を綴ったレトロな日程表の三木先生。
生徒の方は、手帳派、ケータイ派、andoroid派、ipad・ipot・iphoneのapple派とさまざま。

まるで、日程管理に苦心しているお坊さんの博覧会。

みなさん忙しい方ばかりなので、ちょっと手間取りましたが、アナログとデジタルの融合で無事調整完了。

ボクの場合、その時の状況で判断しなければならないことが多いので、流れにおまかせ。できることしかできないというずるいスタンスで、八方美人しています。


なお、講義の内容は、O師のblog『やっぱり阿弥陀さん』をご覧ください。
by e.wash-r | 2011-08-30 23:59 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
地蔵盆 8/24
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隣の村の地蔵盆のおまいりに行きました。

地元のG寺のご院さんが、急に体調を崩されたので、急遽ボクがおつとめをすることになったのです。ボクが調声(ちょうしょう:先頭になっておきょうをつとめる役)になって、夏休み中、G寺さんで、正信偈の練習をしてきた小学生が、続いて大きな声を出しました。

各戸から最低ひとりがおまいり。こどもと親さん、お年寄りの方々、村のお役の方々等々、総勢は村の戸数の倍くらいだったのではないかと思います。

当寺の地元にも地蔵盆がありますが、村の内に4ヶ寺ある禅宗の方々の仏事なので、ボクは僧侶としてはおまいりしたことがありません。そう言う意味では、貴重な体験でした。

地域に根ざした仏事の底力を感じました。
by e.wash-r | 2011-08-25 00:20 | おまいりにて | Comments(2)
浄明寺前住職葬儀
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総代さんや現ご住職が、挨拶の中で、前ご住職の豪快でユニークなお人柄に触れられました。ボクの周りの参列のご門徒さん方が、みな、ウンウンと頷いていらっしゃったのが印象的でした。

ご出棺。山門を通って往かれる前ご住職をお送りしました。

お送りする。迎えてくださるお浄土があるから・・・。
by e.wash-r | 2011-08-24 23:15 | おまいりにて | Comments(0)
飯田・元善光寺
b0029488_0113382.jpg元善光寺

本堂

b0029488_012034.jpg元善光寺

平和殿



お盆を過ぎて長男が帰省してきましたが、ボクの手の具合が悪く、海にも山にも行けません。そこで、以前から、一度走ってみたいと思っていた飯田から浜松へ抜ける天竜川沿いの道をドライブしようということに。

下調べなし、行き当たりばったりのドライブ。そこで、飯田ICを下り、飯田のバスターミナルの観光コーナーで情報収集。

大鹿村にヒマラヤの青いケシ・ブルーポピーが咲く中村農園という農場があることを知り、気分はチベットだったのですが、季節はずれ。大鹿村はあきらめました。

あちこち悩んだ末、やっぱりお寺へ。元善光寺へおまいりしました。

長野善光寺の阿弥陀さまは、飯田の座光寺からお遷座されたのだそうです。長野善光寺の寺号も座光寺開基の本多善光の名に依るといわれています。二ヶ寺のそのような深い関係から、長野善光寺に対し、飯田の座光寺を元善光寺と呼ぶようになったそうです。

親鸞さまが手を合わせられた長野善光寺の阿弥陀さまは、その昔此処におられたのだと、時空を超えた浪漫に酔うこともできたのですが、上記のことは、帰ってきてから知ったことです。ナンマンダツにかわりはありませんが、予習は大事ですね。

飯田でゆっくりしすぎて時間がなくなり、天竜川沿いを下るのはあきらめ、いわゆる飯田街道をのんびり南下して豊田へ。まさにドライブの夏休みの一日。いいお休みでした。
by e.wash-r | 2011-08-23 00:02 | おまいりにて | Comments(0)
『コクリコ坂から』  -「初恋の頃」と「淋しい雲」-
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こどもたちを誘って『コクリコ坂から』を観ました。

よかったです。うまく言えませんが、見終わってよかったと思いました。

描かれる時代(背景)にあこがれがあるのかも知れません。多分に思い込みだとしても、あの時代の反動のなかを過ごしたものの嫉妬と羨望とでも言うか・・・。


思わず、思いを巡らせたこと。

前半の挿入歌「初恋の頃」(曲:谷山浩子、詞:宮崎吾郎)を聞いて、歌詞のモチーフが、「淋しい雲」(曲・詞:森田童子)と同じだと思いました。

ひょっとして、宮崎吾郎は、「淋しい雲」を聞いていた?



参考までに。


 「初恋の頃」 手嶌葵 

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 「淋しい雲」 森田童子




なんか、小恥ずかしいことかいちゃったような・・・。
by e.wash-r | 2011-08-22 01:52 | 溺レル | Comments(0)
「すべての悲しみに寄り添う」とか「みんなちがってみんないい」とか
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過日、某研修会で。


  「すべての人々の悲しみに寄り添う」のは誰?

  「みんなちがってみんないい」と言うのは誰?


それは、やっぱり阿弥陀さんです。




ときどき、こんなことを言う人がいます。

  「だから、南無阿弥陀仏をいただくものは、違いを認め、寄り添うことが大切なのだ。」


ほんとかなあ。いくつかの疑問。


①まず、ほとけさまに出遇わなくても、「違いを認め、寄り添うこと」は大切ですよね。

②ボクなりに「違いを認め、寄り添う」ことは、すこしは出来るかも知れません。
 でも、ほとけさまは、「すべての人々」「みんな」と呼びかけられます。
 ボクはボクの範疇で「違いを認め、寄り添う」んですよね。

③南無阿弥陀仏のおこころがうれしい。
 でもそれは、ボクのこころが阿弥陀さまと同じになったということではありません。
 ボクが「違いを認め、寄り添う」ということの中身は、たぶんちょっとあやういんです。



社会の常識として、できるときに、できることを、まちがっているかもしれないけれど、ボク流に「違いを認め、寄り添う」ことをしてみるしかないんでしょうね。

あみださまの願いだから、すべて平等に、真実の正義として「違いを認め、寄り添う」というのは、傲慢だと思います。



まあ、どうでもいいことですが・・・。







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by e.wash-r | 2011-08-21 23:47 | 智慧と慈悲 | Comments(2)
第2回 黒野組「法話会」 
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安養寺さんにて、第2回黒野組法話会。

組内僧侶4人の方々が、それぞれ一席のお取り次ぎをしてくださいました。

石榑わかな師 15分  凡夫について
板垣正雄師  15分  お名号について 節談で
加藤憲師   15分  聞くということについて
牧野大修師  30分  まとめの法話

できれば、一席30~50分くらいで、おひとり一座一席か二席のお話を、ゆっくり聞きたいと思いました。


お取り次ぎ・お説教の場を、お座、法座といいます。
また一回のお取り次ぎ・お説教を一座といいます。
一座のお説教に休憩が入るなどして、数回に分かれるとき、それぞれを一席といいます。

例えば、休憩のないお座は一座一席、例えば、途中休憩が一度はいるお座は、一座二席。
by e.wash-r | 2011-08-20 21:52 | おまいりにて | Comments(0)
黒野組住職会 8/19
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何年かぶりで、黒野組の住職会が行われました。

親鸞聖人750回大遠忌法要の団体参拝の打ち合わせと、来年度以降の組の組織・運営等について、説明を聞きました。

肥大化した教団組織、組組織について、そろそろ、その有り様を検討するときなのではないかと、ボクは思っています。その観点で、会議中、思うところがいろいろあったのですが、静かにしていました。関わると、それがまたややこしくなって、さらに複雑怪奇なことになるような気がしているからです。

姑息に、この場で、溜飲を下げておこうと思います。

抽象的ですが、お寺で自分がしようとしないことを、組織の中でしようという意図がわかりません。そういうことが多すぎるのでは?

現場と乖離した既存の組織の存在があり、そこへ助成金(予算)があてがわれることで、世間同様、大義名分はあるけれども、ときに陳腐なできごとが、構成員の一見献身によって成り立つという構造。しかもそれが膠着状態にあるというのが現状のような気がします。

そういうのも、有閑サロンとしてはいいと思いますが、他にやりたいことがあるし、それほど余裕がないし、ボクが思うに負の影響もあるし・・・。

消極的イエスマンになって、血圧の上昇を抑えるのが生きる知恵と心得、時には見て見ぬふりをする、そういう作戦がいいかなあ。
by e.wash-r | 2011-08-19 23:55 | そらごと、たはごと | Comments(0)
美濃四十八座 根尾西光寺真宗講座 葛野洋明師
b0029488_14251974.jpg根尾谷水鳥

標高165m

b0029488_14254149.jpg第2回真宗講座

葛野洋明先生

b0029488_1426610.jpg百日紅

夏のお座


お聴聞と避暑を楽しみに、ふたつ半の峠を越え20km、根尾谷を上り、西光寺さんへ。

ただ、根尾谷も残暑厳しかったです。

昨年の第一回に続いて、葛野洋明先生のお話。前回は、先生曰く、ちょっと厳しいお話。今回は、ほのぼの聞かせていただきました。

根尾のこどもたちがほとんど泊まったという大盛況のお泊まり会に続いての法座。大変だったろうなあ思ってご住職を見ると、縁までいっぱいになったお同行を見て、ほんとうにうれしそうにしていらっしゃる・・・。なにもかもいい感じです。

予想外の暑さのお座でしたが、開けた障子の向こうに夏の花・百日紅を見ながら、まさに夏のお座を楽しみました。

来年は、お聴聞と避暑、もうひとつ淡墨温泉も加えて、半日ゆっくり夏のお座を楽しみたいなあ。
by e.wash-r | 2011-08-18 23:22 | おまいりにて | Comments(0)