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ボタ燃やし
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雨が降って延期になっていたボタ燃やし。「野焼き」等と呼ぶのが一般的かもしれませんが、当地では「ボタ燃やし」と言います。

村役としては遅い午前10時から。露が乾いてからということです。なんとなく、みんながワクワク・ソワソワする田舎の楽しみみたいなところがある行事です。

ご法事からの帰り道。あちこちで煙が上がっていました。以前は、村ごとの行事でしたが、消防団がいざというときの警戒体制をとるようになったことから、今は、校区一斉に行っています。

どこへ行っても、遠くも近くも煙。なかなか壮観です。

ボクは法務で出られないので、坊守があちこち火を着けて回りました。

午後、ボタ燃やしが終わった河原を少し散策。もう、たんぽぽが咲いていました。




                    
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by e.wash-r | 2016-02-28 23:21 | ふるさと | Comments(2)
紅葉形焼饅頭
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2/27分

Y家おじょうはん。

おまいりの前、居間でお茶をいただきました。そのとき、目に止まった空き箱。レトロなラベルが印象的です。いわゆる「もみじ饅頭」の箱のようです。

「昔の箱ですか?」と聞くと、「つい最近のものだけど・・・」というお答え。意外でした。昔の意匠そのままの箱ということみたいです。

宮島特産
登録商標
厳島紅葉谷
高津堂謹製
紅葉型焼饅頭
(紅葉と鹿の絵)

必要十分な情報を組み合わせた質実剛健なシンプルなデザイン。この存在感、ボクは好きです。

すべてにおいてとは言いませんが、今、本願寺になんとなく乏しい姿勢だと思うわけです。


コーポレート・アイデンティティにもましてコーポレート・ガバナンスに注力しなければならない世相。

なんとなく、さみしいですね。

◆なお、本願寺がコーポレーションかどうかは、今回はスルーにて。







by e.wash-r | 2016-02-27 23:56 | そらごと、たはごと | Comments(0)
長良川漁協へ
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漁協へ行って、出資金の返還手続きをしてきました。

組合費を滞納していたので、退会になったという次第。

ウナギの仕掛けをしたり、ヌマチチブの見釣りをしたり、夜の川でアユと格闘したり、ということは、これからはできません。ここ数年、全くご無沙汰なので、相応の流れなのだと思います。


高校の頃から、いつも一緒に川と海で遊んできた長良川の住人、畏友E。彼は教員に、ボクは坊主になりました。

教員と坊主が、密漁で捕まっては面目ないということで、漁協の組合員になって30年。Eは、相変わらず川を棲み家としていますが、ボクは、川とは疎遠の日暮らしになってしまいました。


2005年のコクチバス調査、岐阜市の川遊び教室の事始め等、恩着せがましいですが、少しは川へのご奉公もできたし、まあ、潮時です。

手続きをして、思わぬ深い寂寥感にちょっと戸惑っていますが。


Eと、川に潜って、アユを手掴かみで獲ることを蒸し暑い夏の夜の楽しみにしていた時期があります。

漁具を使わないので、漁業権はいらないのではと思っていたのですが、ウエットスーツも水中マスクも水中ライトも漁具に相当するのだそうです。

夜の川、フリ◯ンで、マスクなしで潜って、月明かりに光るアユを手掴かみで獲れば、漁業権が失効したボクでも、密漁にはならないかなあ、などと・・・。

ただ、フリ◯ンだと、別件で捕まりそうです。例えば、水草で隠したりした場合、水草も漁具に相当するんでしょうか。


川への未練は止みません。



by e.wash-r | 2016-02-26 01:53 | ◆伊自良川だより | Comments(2)
それを言っちゃあおしまいよ
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「それを言っちゃあおしまいよ。」

寅さんのセリフ。そう口にするかどうかは別として、誰もが、そう叫びたいときがあるのではないでしょうか。

俯瞰した物言いになりますが、やはり、人にはそれぞれに思いがあり、往々にして、その思いと思いがどうしようもなくねじれの関係にある場合がある、と思うのです。

「それを言っちゃあおしまいよ。」という叫びは、永遠に交わることのないすれ違いの場の嘆きなのかもしれません。


ものごとを大勢で取り組むとき、少なくとも2つの立場が存在すると思っています。

一生懸命の認証が大事という立場。

論理の共有が大事という立場。

いわゆる八方美人で、どちらも大事という立場もあると思いますが、その立場は、おおよそ「論理」が破綻していても「一生懸命」を否定しない傾向。事なかれ主義は、基本「一生懸命」派だと思います。


「どういう道理ですか?」の問いに「こんなに一生懸命やっているんだから。」という答え。

たぶん、こんなすれ違いがあちこちで起きているんだろうなあ。


一生懸命派に「道理に合わない。」と言うこと。

論理派に「一生懸命やっているのに。」と言うこと。

それぞれの「それを言っちゃあおしまいよ。」が、すれ違っていくわけであります。


お互いさまとはいえ、疲れますね。

なんまんだぶ。






by e.wash-r | 2016-02-23 23:39 | そらごと、たはごと | Comments(0)
政治(家)のこと
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書くことがないので、禁じ手の政治のことなど・・・

最近話題になった政治家の言動について、偏見私見を少々。


◆丸川珠代環境・原子力防災担当大臣
 
【1ミリシーベルト発言】 撤回済み

たぶん、親派へのリップサービスだったと思う。民主党を意識しすぎ。大臣として王道の話をすればいいのにと思う。
勉強不足の発言だったとしたら、マズイと思う。

●自力を批判して、肝心の他力を間違えてるような感じ。



◆島尻安伊子沖縄北方担当大臣

【歯舞が読めなかった件】

読めないはずはないので、たぶん、ふっと何かあったんだと思う。単なるミスと信じたい。
ただ、北方領土問題の解決への強い意志が感じられない雰囲気ではあったと思う。不満は、そこだと思うが。

●眠くて、お経のどこを読んでいたのかわからなくなって、咳払いをするような感じ。



◆丸山和也参議院議員

【奴隷発言】 撤回済み

問題になった部分は、たぶん、”アメリカという国の変革のダイナミズム”という意。文脈は賞賛であり、差別的ではないと思う。言い方がヘタだった。
差別を意識せざるを得ない表現だったとしたら、むしろそう感じた人々の中に差別意識が存在するということ。

●人は分別の眼しか持ちませんと言うと、「差別者だ!」と言われるような感じ。



ことばというのは、放たれた時点で、受けてのものになる。

それで何度も失敗したものとして、身につまされる。立場のある方は、つくづく大変だと思う。




番外

◆宮崎謙介氏
 
【不倫問題】 議員辞職・離党済み

生理的に擁護はしたくないけど・・・。
自己申告とはいえ、倫理に反したら議員辞職という風潮ってそれでいいのかなあ。議員の仕事ではなく人間性を評価する社会はコワイと思う。
程度の差こそあれ、みんな似たようなもの。バレないようにすることを努力する世の中になりそう。

●「趣味は?」と問われ「魚突き」と答えたら「坊主のくせに」と言われるような感じ。



                    
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by e.wash-r | 2016-02-21 23:27 | そらごと、たはごと | Comments(0)
1000円
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書くことがないので、無理やり。


法務を手伝いに、京都から長男が帰ってきた。久しぶりに坊守と3人で遅い夕食。

長男に、同居している妹は元気か?と聞くと、次のような答え。


2月14日、S(妹)が「チョコを買いに行くけど、一緒に行く?」というので、暇だしつきあった。

大丸でチョコを買った後、ふたりで知り合いのカフェへ。コーヒーを飲み終わると、Sは、テーブルにボンと千円札を叩きつけて「残りでケーキでも食べて!」と言ってバイトに行った。

コーヒー二人分で1000円。1000円でケーキは食べれんし。


云々。

その話を聞いて、「17日にSちゃんの通帳みたけど、14円しか入っていなかったよ。」と坊守。

羨ましいほど楽しそうな下宿生活である。



by e.wash-r | 2016-02-20 23:20 | そらごと、たはごと | Comments(0)
綱渡り  ―仏教婦人会引き継ぎ― 
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今年度、仏教婦人会会長を退かれるWさんと新しく仏教婦人会会長をつとめてくださるKさんで、引き継ぎの懇話。

仏教婦人会は、「お寺の婦人会」ということに付嘱して、婦人会連盟の一単位という側面があるわけですが、階層的な組織の一端を担えるかどうかというのが現実。

来年度から2年、順番で、黒野組の仏教婦人会連盟の会長を、当寺会長さんがつとめることになっています。

当寺ののスタンス、黒野組の婦人会のスタンスの違いをうけとめたうえで、引き継ぐこと・つとめることを、丁寧に確認しました。

「最強」の組織であった婦人会ですが、過渡期を迎えていると思っています。上部組織である「組」や「教区」や「連区」や(本願寺)のことは、各寺の代表がひとり関われば、まさに物理的な組織力において、十分に活況です。表面上は活発で盛況に見えるのです。でも、現場はちょっと違う雰囲気です。少なくとも当寺においては。

現場と組織の乖離。あらゆる場で起こっていることだと思います。結果、現場ではなく、疲弊しつつある組織のための組織になってしまう可能性。

綱渡りです。


とにかく、組織のことは、ぼちぼちまじめにつとめていこう、ということになりました。

新旧会長さんの献身に恐縮しています。
by e.wash-r | 2016-02-19 23:18 | ようこそ正蓮寺へ | Comments(0)
「承安」の読み方再考
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2016/2/17の当blog『なんと読みますか?』にて、「承安」の読み方について書いたところ、nomoさまから丁寧なご意見をいただきました。ありがとうございました。

 ◆namoさまのご意見  → http://pochi21.exblog.jp/25369394/

例えば、「承安」と「正安」は、ともに「しょうあん」と読むことができる。混乱を避けるために、「承安」は「じょうあん」と読み習わしたのではないか?

というご意見です。

なるほどと、思いました。が、疑問もあります。

nomoさまも指摘しておられますが、「昭和」と「正和」はともに「しょうわ」、「承和」と「貞和」はともに「じょうわ」と読むようです。同音を避けるためということに、普遍性はないということになります。

nomoさまは、そのことについては、同音回避の読み方は、年代が比較的近い場合の措置ではないかと考えておられるようです。

  「承安」1171~と「正安」1299~は約百年の隔たり。同音回避。

  「正和」1312~と「昭和」1926~は約6百年の隔たり。同音のまま。
  「承和」834~「貞和」1345~は約5百年の隔たり。同音のまま。

比較の問題ではありますが、確かに近い時期の同音回避の措置と考えることはできそうです。


今回、nomoさまのご意見をいただき、あらため考えさせていただきました。


元号が定まったときには、定まった読み方があったと考えるのが普通だと思います。しかしながら、過去に遡って、今、それらすべてを特定することはできないというのが現状のようです。その結果、後の解釈の「読み方」、あるいは便宜上の「読み方」も現行している、ということなのでしょう。


人のおぼつかなさを、「ことば」は柔軟に受け止めて存続している、ということなのだと思います。




                    
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by e.wash-r | 2016-02-18 23:55 | そらごと、たはごと | Comments(2)
なんと読みますか?
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過日、某寺報恩講で表白の読み方が話題になりました。

親鸞聖人がお生まれになった『承安3年』。この年号『承安』を、本願寺では公的?に「じょうあん」と読んでいます。(公的な文章に「じょうあん」のふりがながあります。)

Y先生が『承安』の読みは「しょうあん」ではないか?と。

「じょうあん」と聞き慣れているボクとしては、「?」という感じでしたが、調べてみると、どうも「しょうあん」のようです。

「しょうあん」とも「じょうあん」とも読む、と示してあるものもあるので、「じょうあん」が間違いということではないと思いますが、一般的なのは「しょうあん」でした。

後日、Y先生から丁重な手紙が届きました。年号の読み方の資料を添付され、【表白等においても、年号の一般的な読みかたである「しょうあん」がよいのではないか。】という内容でした。


例外や曖昧は常ですが、本願寺が一般的ではない方の「じょうあん」を読みとした理由があるのなら、知りたいと思います。

ひとこと、「昔から」とか「伝統」とか「読みグセ」という返事が返ってきそうですが・・・。

如何。


ちなみに我が国名「日本」。

「ひのもと」、「にっぽん」、「にほん」・・・。正式名は決まっていないようですね。


人間がすることはあてにならないということ。だから、約束事をつくるとも言えますが。




                    
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by e.wash-r | 2016-02-17 23:11 | おまいりにて | Comments(3)
ポスト・モダン・タイムス
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『モダン・タイムス』。1936年のチャップリンの作品です。

歯車のように、無機的に働く労働者が描かれます。当時の時流からすると、急激な産業構造・労働環境の変化が、従来の感性を伴う労働を阻害したということだったのだと思います。批判と風刺の眼差しはそこに向けられています。


80年後の今も、たぶんクリエイティブな労働への羨望は変わりません。しかし、何がどのように変わったのかを説明することはできませんが、「歯車」というキーワードについて言えば、今は、「歯車であること」は、むしろ存在価値であるという認識のような気がします。

社会の・組織の一部であるというある種の自覚のようなもの。チャップリンの時代、チャップリンの危惧とは異なる感覚で、ボクたちは、恣意的な、もしくは無機的な歯車であることを受け入れ、自負しているのではないかと思うのです。

時代の成熟なのか退廃なのか、いいのか悪いかは別問題として。


俗に言うブラック企業、あるいはブラックな労働環境ということについて、オモシロイ喩えを聞きました。

『認識が古いよ、歯車って。燃料。』

正義面してブラック批判をしてもしかたがないので、自戒を込めて受け止めたいと思うわけです。

ボクは、(または「お寺」は)、誰かを同じ歯車と思っているのか、それとも燃料と思っているのか、ということ。


絆とか 寄り添うとか仲間とか友情とか愛とか邪な恋とか、そういうノリじゃなくて、ね。




                    
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by e.wash-r | 2016-02-16 23:54 | そらごと、たはごと | Comments(0)