『おなべさま』
間もなく90才を迎えられるMさんとTさんは、県庁職員時代の同僚です。今日、偶然お二方のお取り越しでした。遠く離れて、「Mさんは元気ですか。」「Tさんは元気ですか。」という話題。

それぞれの家で、昔話が盛り上がりました。そんななか、Tさんが、こどもの頃の仏さまのお給仕の思い出を懐かしそうに語られました。

Tさんは、仏様のお給仕のこと、お荘厳のことを『ごっつぉおする』と言われます。「ごちそうする」の訛りだと思います。その『ごっつぉおする』思い出のひとつが、『おなべさま』です。

『おなべさま』。はじめて聞きました。

『おなべさま』とは、お仏飯を炊く専用の鍋のことだそうです。それは、一合ほどのお米を炊くようにできている、つるのついた小さな鍋で、毎朝、「くど」の茶釜でお茶を沸かすとき、焚き口から漏れる火にかざして、お仏飯を炊きあげるのだそうです。

普段食するのは割れたお米でも、『おなべさま』で炊きあげるのは選って粒のそろったお米。子ども心に、『おなべさま』で炊いたご飯がおいしいことが判っていたので、お仏飯を食べるのが楽しみだったと言われます。

当たり前のように、人が仏さまといっしょに暮らしていた時代が確かにあったのです。そのことが、80年も経った今、生き生きと語られることの意味を大切にしなければと思います。

「今」の80年後も、必ずおとずれます。


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『おなべさま』の写真がないので、
「お仏飯器入れ」。

やたら重い。

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# by e.wash-r | 2004-12-20 00:01 | おまいりにて | Comments(2)
お手植えの木
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本年6月2日、本願寺即如御門主の黒野組御巡教がありました。その時の記念植樹の横に立てる石碑に刻む字が書き上がったと言うことで、Mさんがみえました。

「どれがいいな?」
書の才も学もないボクに聞かれても・・・。
フィーリングのみの好みを伝え、あとは、前住職とMさんにお任せです。

すでに済んだことに、意見するのはみっともないですが、あえて記録します。

記念植樹、ボクの希望は「甘茶の木」でした。はなまつり・初参式の時、
「御門主がお立ち寄りになったとき植えられた『甘茶の木』からつくった甘茶ですよ。」
といって、みんなで、よろこんでいただけたらなあと考えていたのです。

御門主お手植えの木が、末永くご教化してくださるというボクの思いは、実現しませんでした。お手植えの木の選定も、所詮は好みの問題なわけで、ボクの好みは万人受けしなかったということです。残念。

この先、御門主のお手植えの機会のある方、「甘茶の木」を一考されてはいかがでしょう?

「甘茶の木」をお手植えしていただいたという方、その枝1本わけていただけませんか。○○寺、御門主お手植えの「甘茶の木」の挿し木として、活躍してもらいますので。

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# by e.wash-r | 2004-12-19 00:01 | ようこそ正蓮寺へ | Comments(0)
のらねこ ②  -言い訳-
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ほんの少し気を許したために、居着いてしまいそうな猫を巡る家族の確執が続いています。

猫を飼う気はないし、境内をウロウロしてもらうのも困る、と言うのが、ボクの意見。こどもたちに、あの猫に食べ物を与えてはいけない、優しくしてはいけない、近づいてきたら絶対に毅然と追っ払うようにと厳しく命令しました。

こどもたちは、猫がかわいそう、父ちゃんはヒドイと言うばかりです。

前置きがとても長くなりました。(前回分も含めて)本題です。

死にそうな猫を見たとき、何とかしてあげたいと当然ボクも素直に思ったのです。でも、同時に、どこまで責任を持ってそう思い、どこまでのことができるのだろうかと考えると、限界を感じたわけです。

目の前の事実に、全力で対処すればいいというのは、道理ですが、きれい事では済まない部分もあるのです。もし、ボクがあの猫を養うことがあるとすれば、「諸々の事情、自身の利己的な思いのうえで、そうしたいと思うから」の他に理由はないでしょう。

「正義感」「かわいそうだから」「命の尊さ故」「ボク自身の良心」等で、できることではないように思うのです。

飼う気のないボクとしては、「求め合う飼い主と出会うか、遠くで野良猫としてたくましく生きてくれ」と突き放すのが、本音であり、責任を持ってできることの限界だったのです。

昨日、長男が、言いました。
「捕まえて公園に置いてきた。食べ物をやってはダメだと言われたけどミルクをあげた。おいしそうに飲んどったよ。」

今日、舞い戻ってきた猫を、長男はまた、自転車に乗って、もっと遠くの公園に置いてきたそうです。理由を尋ねると、
「だって、うちにいたら、父ちゃんがいじめるやん・・・。」
と半ば怒って答えました。

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sinjurieさんから辛いコメントをいただきました。

であってしまった子猫は 縁があったと思うしかないのでは?
と思いましたが。どうでしょ。
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結果的に、苦悩をこどもと「遠くの公園」に押しつけてしまったことを反省します。それにしても、こどもはエライ。

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# by e.wash-r | 2004-12-18 22:43 | ようこそ正蓮寺へ | Comments(1)
のらねこ  -畜生とは-
(前提として、あまり猫は好きではありませんが、猫に対して、特別な悪意をもっているわけではありません。)

一昨日の朝、鳴くこともできないほど衰弱しきった子猫が、車庫の壁ぎわにうずくまっていました。このまま放っておいたら、生死に関わるなあと直感しましたが、そのまま、おまいりに出かけました。夕方帰ってくると、子猫は、まだ同じ場所にいました。

猫を飼う気は毛頭ないし、居着かれるのも困る、できることなら、知らないうちに視界から消えていると言うのが一番いいが・・・、などと思ってはみても、子猫は現実、目の前にいます。

どう考えても、ボクはこの猫を救う気はないし、たとえ、一瞬優しくしたとしても、それは偽善だ、などと思いを巡らしながら、自分たちの食事の一部を子猫の前に差し出しました。

これが最初で最後、少しでも体力をつけたなら、さっさとどこかへ消え失せて、二度とボクの前に現れないで、この件はなかったことにしてほしいという悲痛な気持ちでした。

おびえた様子の猫は、差し出した食事を食べようとはしませんでした。

昨日の朝、、一応少し気になって子猫を見ると、すこし食べています。夕方には全部食べてあり、オマケに声まで出しています。あとは、心を鬼にして追い出すだけ。どこかで、求め合う飼い主と出会うか、遠くで野良猫としてたくましく生きてくれ、と願うばかりです。

今朝、少し元気になった子猫を見ました。いやな予感。お昼、お客さんがみえたので、庫裡に上がってもらうと、そこに、猫のウンチが・・・。
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猫に悪気がないことは判っていても、怒りはおさまりません。そのほんの数分後、玄関で物欲しそうに「ニャーオ」と鳴いたのを聞いて、追い打ちがかかりました。思いっきり追っかけて行って、隠れたらつつきだし、さらに逃げる猫を追いかけ、石を投げつけました。

本能のおもむくままにむさぼる子猫の姿は「畜生」そのもの、でも、自分も似たようなモンかと思いつつ、ますます、子猫の処遇に悩むのです。
                                                つづく ?

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# by e.wash-r | 2004-12-17 01:15 | ようこそ正蓮寺へ | Comments(2)
キャラバンの去る日
b0029488_1461068.jpg2003年8月

帯広再訪











Mモータースさんからの電話。
「年末は手続きが滞るので、廃車予定のキャラバン、そろそろ、取りに行ってもいいでしょうか。」

長い間、いろいろ乗り継いできた最後の1BOXカーとのお別れの時が来ました。生活のスタイルが変わったてきたことのひとつの帰結です。

K幼稚園の送迎バスが廃車になることを聞き、譲ってもらったのがきっかけでした。職を辞めて、しばらくのんびり旅してみたいという思いが、『渡りに船』を得て、あっさりと実現してしまい、ボクは無職になり、約1年の流浪の日々が始まります。

以来約15年、幼稚園バス、ハイエース、ホーミー、キャラバンといずれもロングボディのバンは、トランスポーター、兼宿泊場所、兼物置として我が家族にはなくてはならないモノでした。

いつの間にか(ほんとうは、なにがしかの覚悟をもって)、寺に定住し、遊びはおまいりにかわりました。遊びを捨てたわけではありません。格好をつけて言うなら、遊びと同じ楽しさ・よろこびが、おまいりにあると感じることができるようになったということでしょうか。

そのうち余裕ができたら、門徒さんを乗せるトランスポーターを考えるのもいいのではないかと思っています。遊びにも使えるだろうし・・・。

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# by e.wash-r | 2004-12-16 01:48 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
お坊さんのヘンな忘年会報告
東の空にいくつも流れ星を見ました。ふたご座流星群だったと言うことを、今朝、Kさんのお取り越しに行ってはじめて知りました。

「ふたご座流星群、見られましたか。」
「ふたご座流星群だったんですか。忘年会の帰りに車の中から大きなのいくつも見ました。」
「エッ?お坊さんも忘年会するんですか。どんな感じなんですか。なんかヘン。」

まだ20代のKさんのが想像したお坊さんのヘンな忘年会は、こんな感じ↓なのでしょうか。
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実際、こんな感じ↑です。

下世話な話から、高尚な話まで、何でもありの無礼講です。とは言え、この時期、毎日のお取り越しで、みんな体はボロボロで、正信偈とお念仏以外口にしていないはずなのに、結局、行き着くところ、話題は、ご法義のこと・お寺のこと。つくづく、やっぱり、お坊さんの忘年会です。

それぞれに、問題を抱え、忙しくなってきているということ、そして、ちゃんと年を重ねているということを、実感した夜でした。

ボクが、岐阜に帰ってきて、お寺に入って以来、ずっとお世話になっているみなさん、感謝しています。まだまだ、やることがいっぱいあるので、ますますよろしくお願いします。

来年の研修、「先崎、そして再び九州へ」という計画も持ち上がったことだし、すくなくとも、金子みすずさんのふるさとをUPするまで、がんばらないと・・・。

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# by e.wash-r | 2004-12-15 00:01 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
おみがき -昔は干した苗でみがきました-
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今日は、報恩講のおみがきです。今年はA地区の当番の方々が6人、朝8時から本堂に参集されました。

ちょうど、ささやかな日曜学校の時間と重なったので、おみがきにみえた方々といっしょにおつとめをし、こどもたちもいっしょに少し歓談しました。

Hさんは、今まではおばあさんががんばってみえたので、70歳を越えて初めてのおみがきだそうです。Tさんは、一番若いけれど、おみがき歴は最長です。大げさですが、それぞれの人生を映して、おみがきは続いていると言えそうです。

報恩講は報恩の講、宗祖を師と仰ぐなかまが、如来大悲の恩徳を報ずる衆会です。信仰の賜としか言いようのない手間をかけて、つとめあげ、おみのりにあうのです。

昔は、春、田植え用の苗を何束もあげていただき、それを干して保存し、おみがきに使っていました。こどもの頃手伝ったおみがきの記憶は、干した苗の香りでもあります。

いつ頃から、干した苗を使わなくなっってしまったのか、そんなことを話しながら、ふとある思いが湧いてきました。

     なぜ、大切な苗をわざわざ干して、おみがきに使ったのだろう。

たぶん、他にも適したモノはあったけれど、尊いお佛具をみがくものだからこそ、大切な稲のその苗を、選んで使ったのではないだろうか。

真相はわかりません。でも、もし、干した苗を使うことそのものに、お敬いの気持ちが込められていたのだとしたら、ボクたちは、大切なものを見失っていたということになりそうです。

合理化、簡素化の大きな波が打ち寄せてきています。どこでどう押しとどまるのか。伝統を受け継ぐと言うことは、そこにある信仰の姿を受け継ぐことであり、それは私自身の信仰の体現でもあると考えています。

A地区のみなさん、ご苦労様でした。きれいになってよかったですね。


      ◆どなたか、『おみがき用の干した苗』の所以、ご存じありませんか。

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# by e.wash-r | 2004-12-14 00:01 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
住職継職法要にて
H寺さんの住職継職奉告法要におまいりしました。

たくさんのご門徒さんといっしょに、(ちょっとして失礼な言い方かも知れませんが)お寺の機能のひとつが相続される現場に同座できたこと、とてもうれしく思いました。

おつとめのあと、並んでお聴聞しておられる総代さんとご住職のうしろ姿を見て、僭越ながらいい感じやなあと思いましたので、写真を撮らせていただきました。

ご法話は、野村法宏師。法務の関係で途中でご無礼する予定でしたが、引き込まれてしまい、遅刻覚悟で最後までお聴聞しました。

ともにお浄土へ生まれていくなかまということを、しっかり聞かせていただきました。
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一日の終わり、ともに如来さまの願いの中にある生をよろこび、家族の誰かに「○○さん、ありがとう。明日もあえるといいね。」と言えますか、是非言ってみてください、さあココで練習しましょうと野村師。

男性と女性に分かれ、男性は「お母さん、ありがとう・・・」、女性は「お父さん、ありがとう・・・」と練習のはじまり。そんなこと照れくさくて言えないし・・・と言う雰囲気でしたが、野村師の術にはまり、気がつけば、みんな結構大きな声を出していました。

「今晩、H寺さんとH寺さんのご門徒さんの家では、あちこちで、みんながそう言っていると思うと有り難いですねえ。」
と、住職継職の日、野村師からH寺のご門徒のかたがたへの餞の法話でした。

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せっかくですので、先ほど、ボクもちょっと試しに言ってみました。

「しょうちゃん(小3)、ありがとうね。明日もあえるといいね。」
「(にっこり笑って、)うん。」

「ゆうくん(中1)、ありがとうね。明日もあえるといいね。」
「は? なんで? まあ、あえるといいね。 変な会話。」

「あーちゃん(坊守)ありがとう。明日またあえるといいね。」
「(疑いのまなざしで無言。そして、ため息。)」

我が家族は、まだまだお聴聞がたりないようです。(たりるわけないですが・・)
”試しに”言っているボクの方が問題あり?。
# by e.wash-r | 2004-12-13 01:38 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
コンビニとパトカーと巻き巻きパン
おまいりの途中、何かネタになる風景はないかと車を走らせています。とりあえず写しておけば、あとは何とかなるさという調子です。

コンビニに停まっているパトカーを発見。

ちょうど信号で止まったことだし、一枚撮らせていただき、おまいりに向かいました。そんなに長くはない過去を振り返り、「コンビニに停まっているパトカー」から、いかにさりげなく話を展開するか、を考えながら・・・。
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去年の夏、このコンビニの自動販売機が荒らされました。犯人は逃げる途中、深夜の伊自良川へ車ごと落ちたそうです。

その翌日、事故現場と目と鼻の先の竹ヤブで、S師とボクは、蚊やクモの巣と戦いながら、竹の切り出しをしていました。岐阜教区、正尊寺さん、そして拙寺のサマースクールのお楽しみ『巻き巻きパン』に使う竹の棒を準備していたのです。

切り出した竹を、あぜ道を引きずってお寺の駐車場まで運んだとき、お巡りさんがやってきました。

「昨夜、自販機荒らしがあって、逃げた犯人が車ごと川に落ちて、その後走って逃げたんだけど、変な二人組見ませんでしたか。事故の様子からいって、顔か頭に相当の怪我をしているだろうと思うんですが・・・。」

真夏の炎天下、ボクたちも汗だくでしたが、お巡りさんも汗だくでした。

こんな経緯でできあがったのが、サマースクールでこどもたちを楽しませた『巻き巻きパン』の棒なのです。
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『巻き巻きパン』の生地づくりのプロ、M寺S氏・J寺N氏の技とレシピは、またの機会に。



・・・やれやれ。

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# by e.wash-r | 2004-12-12 00:01 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(2)
私説 「松茸の減少とクマの出没」
濃尾平野北縁・美濃山地の低山地帯は、松茸の産地として有名でした。年配の方は、時々、往年の松茸のことを、今のボクたちが想像もできないような表現で懐かしがります。

「お正月前は、塩漬けにした松茸しか食べるものがなかった。」
「松茸はいくつでも焼いて食べた。そんなにおいしいモンでもない。」
「山では松茸を踏まないように歩くのが難儀だった。」・・・等々。

松茸が採れなくなって、およそ30年。原因は、様々に言われています。

・伊勢湾台風・室戸台風による倒木被害等、赤松林の荒廃。
・まつごかき(松の落葉を集めること)・下草刈りなどの山の手入れ・管理不足。
・松食い虫による赤松の枯死。・・・等々。


b0029488_2221395.jpgかつては、どこも赤松の林だったので、秋の紅葉・春の新緑の美しさをあまり感じなかったように思います。初冬を迎え、この頃、山の雑木の紅葉がきれいです。当地の低山は赤松から落葉広葉樹の山に変わりつつあります。

この地域の極相は、金華山に見られるような、椎の木などの常緑広葉樹林です。江戸時代以降の人口の急激な増加により、燃料として、里山の木(当時はたぶん常緑広葉樹)は、ことごとく伐採され、その後二次林として最初にできたのが、赤松の林なのだそうです。

今、再び極相に移り変わる段階として、赤松は枯れ、松茸が採れなくなって、落葉樹が育っています。そして、いずれはそれらも、極相の常緑広葉樹に変わっていくのでしょう。

さて、私説です。

『紅葉したの山を見て、何となく東北の深い山を想像しました。ひょっとすると極相へ向かう途中の落葉広葉樹の山は、クマにとって、住みやすい場所なのではないかと思うのです。落葉広葉樹の山は、赤松の林や植林した山よりずっと、クマを涵養する能力を持っているのではないか、クマはそれを知っているのではないかと・・・。』


ところで、「涵養」ということばが好きです。広辞苑によると、「自然に水がしみこむように徐々に養い育てること」とあります。お寺の形容詞にしたいものです。

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# by e.wash-r | 2004-12-11 00:15 | そらごと、たはごと | Comments(0)
確信犯 -駐車違反か否か-
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朝、10時、Kさんのお取り越しが終わったところへ、携帯へT寺のM氏よりメール。
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岐阜の『王将』の2本東の筋に、路上駐車されてるのは、鷲岡さんのレガシィでしょうか。
因みに、私は、車正面の『○○軒』にお取越しです。
ご苦労さまでございます。m(__)m

M○○○
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路上駐車した車に戻る道の正面に『○○軒』が見えています。かねてより、お供物のお菓子等も作られる老舗『○○軒』さんがT寺さんのご門徒さんであることは伺っていました。

M氏は今、あの建物の中でお正信偈をおつとめしているんだろうなあと思いながら、車に乗り込み、次のおまいりに向かったのでした。

この時期、街や村のあちこちで、それぞれのお取り越しがつとまっている。そう思うと、とにかく、うれしくなってきます。

ところで、上記の地図の通りの状況で、ボクは路上駐車しています。実は、以前、同場所で駐車違反になり素直に罰金を払いました。その後、よく確認してみて思うのですが、どう考えても駐車違反ではないような気がするのですが・・・。

そんなわけで、今は、半ば確信犯?で、駐車しています。

過日、法座の折、ご講師さんのお話にあったのですが、「確信犯」というのは、厳密には、信仰・信条に基づく犯行を言うのだそうです。

確信犯とは

確信犯という言葉も誤った使われ方をすることが多いです。 よく「悪いことだと知りながら行なった犯罪」のような使われ方をすることがあります。 しかし、本来の意味ではありません。
『広辞苑』に依れば、確信犯とは 道徳的・宗教的または政治的確信に基づいて行われる犯罪 とあるように、思想上の理由から犯行に至ったものを指します。
確信犯は「正しいと信じて行なった(けど結果的には)犯罪」ということなので、本来とは逆の意味で誤用されているとも言えます。 「言想風景」より

ボクの場合、確信犯なのか、それともただのあまのじゃくなのか、まあ、どっちでもいいんですけど、それより罰金ってやっぱり戻ってこないんでしょうか?

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# by e.wash-r | 2004-12-10 11:53 | そらごと、たはごと | Comments(0)
お寺に「エホバの証人」の方々が訪ねてみえました。
最近ちょっと疲れ気味で、午前11時すぎの空いた時間、ボーっと放心状態でいましたら、「エホバの証人」の方がお二人訪ねていらっしゃいました。坊主に休むヒマはないなと思いながら、時間の限りお話を伺いました。
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前回、半年ほど前「エホバの証人」の方々がおみえになった時、
「お寺と承知で来てくださったのでしょうから、仏さまの話も聞いていってください。」
とお願いしました。しかし、
「仏教の話は聞きたくありません。同様に、あなたが私たちの話を聞く気がないのなら、帰ります。」
と明快に言われてしまいました。結果、そのときボクは一方的に彼女たちの話を聞くことになったのです。

今回みえた方々も、そうかと思って、遠慮しつつ、
「せっかくみえたのだから、仏さまの話も聞いていってください。」
と言うと、拒まれることもなかったので、ボクも快く、彼女たちの話に耳を傾けました。

お互い、それぞれの信仰ですから、疑問や相容れないところがあって当然です。ボクとしては、それを承知の上で、それでも、「摂取して捨てることのない如来の慈悲」を伝えることだけはしたいと思ったのです。

ボクが、彼女たちの信仰する全知全能の創造と裁きの唯一神“エホバ”の教えに信順することができなかったように、彼女たちも、エホバ以外の不完全な神“仏陀”の慈悲を認めようとはしませんでした。それはそれでいいと思うのです。

彼女たちの信仰に基づく熱意ある伝道の姿勢に敬服しつつも、少し危惧したことがあります。

これは、あくまで、彼女たちとボクの信仰の問題です。だから、お互いの信仰の違いを議論することはいいと思います。しかし、そこで一般的な共有の自然科学や社会科学を関連づけて、自らの信仰を主張しだすと、信仰以前のこととして、どうしても認めることができない部分・対立する部分が出てきてしまうように思うのです。

宗教(信仰)と科学(社会の有り様)という観点で、ボク自身の、また当教団の伝道の姿勢を深く反省したことでした。

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帰途につかれるお二人に、当Blogのことをお伝えし、文章と写真を載せることの了承をお願いし、記念撮影。写真は、事情でお一人だけの撮影となりました。
それから、彼女たちの宗教は「キリスト教」ではなく「エホバの証人」であり、文中「エホバの証人」と記すことを申し受けましたので追記いたします。

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# by e.wash-r | 2004-12-09 00:56 | ようこそ正蓮寺へ | Comments(0)
リクエストにおこたえして
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Commented by ○○○○ at 2004-12-05 10:46

リクエストです。なんか、そーいう、細やかな文化というか、こころづかいを日常としている方の同和の話というのを、私も聞いてみたい。
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2004-12-5の当blog「蒸した上用饅頭」について、上記のような公開コメントをいただきました。

リクエストに対し、ボクの能力では、すべてに対応することはできませんが、初めてのことでもあり、遅くなりましたが、できる範囲でおこたえしたいと思います。
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まず、Tさんが参加されたのは、市が主催する同和の研修会です。名称・具体的な内容等は聞いていません。お誘い、機会があると参加していらっしゃるそうです。

Tさんは、70を超えていらっしゃいます。情報として、またその情報に基づく心情として、いわゆる差別意識を持っていることを、認められた上で、具体的な差別事象については、あまり実感したことがなかったと言われます。息子さんが、学校で同和の話を聞いてこられたときも、いわゆる「寝た子を起こすな」という思いをもたれたそうです。

研修に何度も参加され、率直に感じてみえるのは、今は差別を肯定する時代ではない、と言うことだと思います。

研修の後、いっしょに参加された方々とコーヒーを飲みながら、すぐ身の回りで起きている差別にまつわる悲劇の事実、をいくつか聞かれたそうです。現実の問題として、まだまだ差別がことある事に具現化してくることを知って、差別意識の深さを痛感されたそうです。

他人事なら、気楽に構えていられるけど・・・と言うようなことをおっしゃっていました。

淡々と、一市民以上でもなく以下でもなく、つとめとして研修を受けていらっしゃるその姿勢に、ほんとうに頭が下がる思いです。
それに比べ、ボクは・・・。


Photo:この時期、余間に仰ぐ御絵伝。“細やか”といえば、よく見ると実に細部まで書き込んであります。
# by e.wash-r | 2004-12-08 12:24 | おまいりにて | Comments(0)
飽食の時代の『イナゴ』
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9月下旬、伊自良川の堤防を歩いたとき、随分イナゴを見ました。その何日か後、鳥羽川の堤防の脇で、タモでイナゴとっているおじさんを見かけました。

今日はH地区のお取り越し。

Oさんの家で、ご主人が、しみじみ言われました。
「家内が煮てくれた大根やイナゴやイチジクを食べとるのが有り難いと思うようになった。」
いい話だなあと思いつつ、“イナゴ”のことがちょっと気になりました。

Sさんの家では、挨拶をすませるとすぐ、奥さんが言われました。
「ご院さん、イナゴは好きかね?ちょっと食べてみる?」
生臭坊主のボクは、大喜びで、いただきました。

H地区では、イナゴが流行っている模様。

Sさん談(イナゴの捕まえ方と調理方法など)
体調を崩したので、気晴らしに秋以降イナゴをたくさん捕った。昼間は飛んで逃げるので捕れないし、あんまり朝早いと露に濡れる。手で簡単に捕まえるには、朝8時頃がちょうどいい。
捕ったイナゴは、1~2日放っておいて、ウンコをさせる。その後、羽をむしって、フライパンで煎って、からからにし、さらにまた天日で干す。干し上がったら、瓶に入れて保存。食べる分だけを、調理する。昔は、串に刺して醤油をつけて焼いて食べたが、今は佃煮にしている。云々。

昔の重要なタンパク源が、時を経て、懐かしい珍味としてよみがえったと言うこともできるでしょう。しかし、貧しい時代であっても、飽食の時代であっても“イナゴの味は変わらない”のです。

ちょっとこじつけすぎ?

ところで、この手のことについては、下記の本に詳しいです。どちらもお薦め。

◆「野外手帳」          白土三平  小学館ライブラリー  
◆「こんなものを食べてきた」 本多勝一  朝日新聞社      

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# by e.wash-r | 2004-12-07 01:54 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(1)