タグ:慈悲 ( 228 ) タグの人気記事
美濃四十八座 超宗寺真宗講座 若林真人師
超宗寺真宗講座、昼座と夜座後席のお聴聞。
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昼座。高座のお説教。親鸞聖人が三部経千部読誦をやめられたことを思い出される場面の物語。物語中、「お念仏に何の不足があるのか」の強いことばに圧倒されました。


親鸞さまと私の関係。私は、

阿弥陀佛と私の間に立ち、私の方を見て、阿弥陀さまの願いを説かれる親鸞さまを仰ぐのか?

阿弥陀さまの方を見て、阿弥陀さまの願いをよろこばれる親鸞さまの後ろ姿を仰ぐのか?

信仰のうえでは、後者とお聞きしました。


親鸞さまのお姿を通して、どこまでも約仏のお話しでした。

善導大師の往生礼讃の御文。

   自信教人信  みづから信じ人を教へて信ぜしむること
   難中転更難  難きがなかにうたたさらに難し
   大悲伝普化  大悲をもつて伝へてあまねく化するは
   真成報仏恩  まことに仏恩を報ずるになる

親鸞聖人は、下記の異本の御文を引いていらっしゃいます。

   自信教人信  みづから信じ人を教へて信ぜしむること
   難中転更難  難きがなかにうたたまた難し
   大悲普化  大悲弘くあまねく化する
   真成報仏恩  まことに仏恩を報ずるになる




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夜座。『寒くとも 袂に入れよ 西の風 弥陀の国より 吹くと思えば』の句を引用され、お慈悲のあたたかさのお話し。若林先生のこの話を聞かれ、句碑を寄進してくださったKさんのことを思いながら聞きました。

Kさんがこの句を聞かれたのは、かれこれ10年前、まだ美濃四十八座が立ち上がる前の正尊寺真宗講座。
そのKさんがご往生され数年。


いいこともわるいことも全部ご縁ですね。法座あればこそ、です。
















                    
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by e.wash-r | 2017-10-13 23:19 | お聴聞 | Comments(0)
美濃四十八座 林雙寺真宗講座 服部法紹師
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林雙寺真宗講座、夜座のお聴聞。夜座も満堂。

法務を終え、直行しましたが、少し遅刻。一席目途中からのお聴聞でしたが、仏さまはとはお慈悲のお方であるというお話し、しっかり聞かせていただきました。

慈悲のお方である仏さまと、そのお慈悲を仰ぐわたしたちとの関係を出発点に、丁寧なお取り次ぎ。夜座特有の凛とした本堂で、お話しに引き込まれました。

疲れていたこともあり、空腹であったこともあり、休憩時間にいただいた、ご院さんご自慢の芋汁、たいへん美味しかったです。


法座のあとの帰り道、昼座からお聴聞していた若院に付き合ってもらって、遅い夕食。若院から、昼座のことも聞きながら、お座のあとの濃密な時間を過ごしました。

10月なのに、昼間は30度という暑さ。終日、法務にお聴聞に談合と、とても充実した一日ではありましたが、まだ治らない風邪もあって、バテバテです。







                    
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by e.wash-r | 2017-10-10 23:18 | お聴聞 | Comments(0)
正源寺住職継職法要 
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6月18日、もっとも近いお寺である正源寺さんの住職継職法要。若いはつらつとした新住職が法灯を受け継がれました。おめでとうございます。

前ご住職は、あぜ道で農作業中のご門徒さんと話し込んだり、報恩講を賑々しくつとめたいと近隣のお寺の報恩講にはほとんどおまいりしてまわってみえたり、と、ボクの尊敬しているご院さんのひとり。新ご住職といっしょに、前ご住職の示してくださったお姿を引き継いでいけたら、思いました。

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庭儀
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献灯献花
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伝供
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おつとめ
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記念撮影

村を挙げて、という雰囲気の有り難い法要でした。

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記念講演は、国際仏教学大学院大学教授の斉藤明先生。「仏教における愛と慈悲」というお話しでした。

仏教においては、肯定的な愛と否定的な愛があるということ、ことばの定義の問題等から、慈悲のお話しへ。

ボクは、自身、愛欲・渇愛の意の愛しか持ち合わせず、慈悲はほとけさまの側にしかないと思っているので、興味深くは聞きましたが、なんとなくわかるようなわからないようなもどかしい感じがしました。

「すえとおる」ということに固執し、二元論というかデジタル思考しかできないという悪いクセなのかもしれません。

いただいたレジメを、論文として、もう一度じっくり読み直してみようと思います。




                    
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by e.wash-r | 2017-06-19 23:31 | おまいりにて | Comments(0)
美濃四十八座 正尊寺真宗講座 桑羽隆慈師
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本年度最初の美濃四十八座。

正尊寺真宗講座昼座1席目と夜座2席目をお聴聞。山口の桑羽隆慈先生のお話でした。

楽しいお話を聞くうちに、気がつけば、しみじみ他力のお慈悲のなか。


今年も、美濃四十八座がはじまりました。

昨年の11月からおよそ5ヶ月ぶりに会う他寺の方々と「お久しぶり、今年も始まりましたね。」とごあいさつ。多くは、お顔はよく存じ上げていても、失礼ながらお名前を知らない方々。

たぶん、はじめてお会いする方々も何組もみえました。ご住職の、お誘いようを想像。

とにかく、満堂のなか、今年の美濃四十八座が、賑々しく、衒いなくはじまりました。

ただお座で会う、というお仲間と聞くお慈悲のお話。つくづく、お座の力、お座の楽しみを思います。


なんといってもお寺と仏事がおみのりのひろまるところ、とお話くださった先生のことばの重さを、住職として、凛と受け止めました。




                    
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by e.wash-r | 2017-04-20 23:08 | お聴聞 | Comments(0)
座布団が3枚
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冬の夜ね、灯りの点いた仏間を外から眺めるの、なかなかいいものです。

縁から仏間に入るとね、ストーブでほんのり暖かくて、お仏壇がきれいにお飾りされていて、座布団が3枚。

3枚の座布団。1枚はお仏壇の前。1枚はご院さん。1枚はおばあちゃん。

3枚あるけどね、座るのはふたり。

ボクが帰ると、おばあちゃんひとり。

よく“ひとりじゃないよ、ふたりだよ”って言うけど、でもね、やっぱりひとりはひとりじゃないかと思うわけで。

ひとり。

ひとりならね、“ひとり、お念仏。”でいいんじゃないかと。

ひねくれていると言われそうだけど、そういうことだよなあ。

と、ひとり思っています。














by e.wash-r | 2017-02-20 23:54 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
美濃四十八座 黄鐘会冬座 成照星師
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成先生をお迎えして、美濃四十八座・第23回正蓮寺真宗講座・黄鐘会冬座をつとめました。

「たて分け」ということばに代表される先生のお話のスタイルのままに、終始一貫して、丁寧な他力のご法義をお取り次ぎいただきました。

ボクたちが分別智しか持ち合わせない以上、法話とは言え、何に執着し、何が語られるのかという大前提、言ってみれば、少なくともなんとか共有できるモノサシが必要です。

先生の話は、いつもそこからはじまります。仏教におけることばの定義、その共通理解があって、はじめて、ともに分別智の中の、ほぼ同じ仏教の論理が展開されるわけで、普段、生活のなかで使うことばであればあるほど、丁寧に用いられお話しをされる先生の思いを、真摯に受け止めたつもりです。


受け取るお慈悲はそのまま。どう受け取るかはボク次第。

受け取ったボクが規定される普遍的な因果関係の科学とは趣の違う、迷いのままの私のうえに成立する因果の道理、有り難く聞かせていただきました。

お座のあと、先生は「ちょっと難しいたとえだったかな、ほかの言い方のほうがよかったかもしれない・・・」とおっしゃいました。難しかったです。でも、お同行は身を乗り出して聞いていらっしゃいました。

先生にもお同行にも失礼な言い方になりますが、ボクたちは、わからないときも、間違いのないお慈悲が語られている、そう思って聞き入っていました。わからないときも、本堂で今、仏法が説かれている、そう思って同座していました。

おみのりが取り次がれるということ。ボクは、間違いなく、それがお座の姿だと思っています。生意気に言えば、お寺の存在する意味だと思っています。

そういう意味で、当たり前のことととは言え、ボクは住職として、お座をたてることができたと実感していました。むちゃくちゃうれしい気持ちでいました。


世間のことを知らされて、世間の生き方を身につけることができたとしても、それをお座とはいいません。(ボクはそう思っています。)

”ご講師をお招きした住職がひとりよろこべば、それでお座は成り立つ”という美濃四十八座のコンセプトのひとつ。おみのりが説かれ、おみのりを聞く。それだけ。

夜座が終わったとき、ここにお寺があってよかった、と思いました。




                    
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by e.wash-r | 2016-11-17 23:52 | お聴聞 | Comments(2)
今月のことば  fool proof
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「fool proof」。

直訳すれば、「愚か者にも耐えられる」。
意味するところは、「よくわかっていない人が扱っても安全」。

“その思想の根底には「人間はミスするもの」「人間の注意力はあてにならない」という前提がある“のだそうです。



音楽家の細野晴臣さんが、以下のようなことをおっしゃったとか。

  人間、練習すれば間違える。
  計画すると失敗する。
  覚えていると忘れる。
  生きていると、死んじゃう。



ほとけさまのおこころ -仏説無量寿経-

  為諸庶類 
  作不請之友 
  荷負群生 
  為之重担  

  もろもろの庶類のために
  不請の友となる
  群生を荷負して
  これを重担とす




なんまんだぶ





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by e.wash-r | 2016-11-01 23:20 | 【今月のことば】 | Comments(0)
あさましきかな
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X証券から電話。

X証券:「一度訪問させていただき、ゆっくりご住職のお話をお聞きしたいと思いまして・・・」

言葉尻を捉えて、素直にお答えしました。

ボク:「えっ、仏教のお話、聞いてくださるんですか?」

X証券:「あっ、いや、株式投資についてです・・・」


ボクは、企業活動に経済的な投資をしたいという気持ちがあまりありません。

ハイリスク・ハイリターンのギャンブルしませんか、と言われたら、興味なくもなくもなくもないんですが。

悲しいかな、損か得かという思考までしかできないのです。社会の在りようとか、人類の幸福とかまでは、なかなか思いが及びません。

こういうことについて、ボクは、俗にいう利己的なと刹那主義、もしくは、単なる金儲け主義なんでしょうね。

楽しく遊ぶほどに余裕がないということで、丁重に訪問をお断りしました。


ほとけさまの慈光に照らされて、わたしのほんとうの姿が見えてきた、というような表現があります。ボクも、無責任にそれに近いことを言ったことがあるかもしれませんが、今はそう思っていません。

もれなく照らす、それがほとけさまのお慈悲です。そこまで。

もし、ほんとうのわたしの姿を知ることが目的なら、例えば、株を持つことがお勧め。お念仏より確実です。









by e.wash-r | 2016-10-28 23:59 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
花火
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「Mちゃんの見た花火」



夜、揖斐へおまいり。ちょうど揖斐川の花火がはじまったところで、田んぼ道に浴衣姿。

今年は、長良川の花火を見ることができなくて寂しい思いをしていましたが、、思わぬ場所で、通りすがりながら、夏を味わうことができました。


過日、お孫さんのご法事をつとめられたNさんのおまいりの後のお話し。

「孫は花火の日に亡くなりました。今もまだ、花火を楽しむことができずにいます・・・」の意。

「花火」は見る人の情に映る、のですね。


情という思い入れがなくなればいいのか?
分別の世界を厭いきれるのか?

人は人としての有様に執着し続けるんでしょうね。ことばを換えると、人は死ぬまで人でいたいということ。

その人の人たる迷いをめあてにするほとけさま。

”花火が美しく見えなくてもいいよ。” そういうお慈悲。

”花火を美しく見えるようにすること”が、他力ではないと思うわけです。









                    
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by e.wash-r | 2016-08-14 00:33 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
慈雨
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境内と山の墓地に除草剤を散布しました。

なかなか都合よく時間が取れないので、早朝、法務の前に。

その時は晴れていましたが・・・


朝な夕なに
雨が降る
お寺にお墓に
雨が降る

草には慈雨のようだけど
ボクは
ため息ついているんです


『大漁』あらため『慈雨』、字余り。


除草剤説明より

Q散布後雨が降りましたが大丈夫ですか。

A散布後6時間経っていれば、大丈夫です。散布後の天気に注意して使用して下さい。








by e.wash-r | 2016-07-16 23:55 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)