タグ:慈悲 ( 225 ) タグの人気記事
美濃四十八座 正尊寺真宗講座 桑羽隆慈師
b0029488_8122794.jpg
b0029488_8123852.jpg
b0029488_8124937.jpg
b0029488_8125798.jpg


本年度最初の美濃四十八座。

正尊寺真宗講座昼座1席目と夜座2席目をお聴聞。山口の桑羽隆慈先生のお話でした。

楽しいお話を聞くうちに、気がつけば、しみじみ他力のお慈悲のなか。


今年も、美濃四十八座がはじまりました。

昨年の11月からおよそ5ヶ月ぶりに会う他寺の方々と「お久しぶり、今年も始まりましたね。」とごあいさつ。多くは、お顔はよく存じ上げていても、失礼ながらお名前を知らない方々。

たぶん、はじめてお会いする方々も何組もみえました。ご住職の、お誘いようを想像。

とにかく、満堂のなか、今年の美濃四十八座が、賑々しく、衒いなくはじまりました。

ただお座で会う、というお仲間と聞くお慈悲のお話。つくづく、お座の力、お座の楽しみを思います。


なんといってもお寺と仏事がおみのりのひろまるところ、とお話くださった先生のことばの重さを、住職として、凛と受け止めました。




                    
Tumblr 『西蔵防だよん』


 
2016年の今日のblog
2015年の今日のblog
2014年の今日のblog
2013年の今日のblog
2012年の今日のblog
2011年の今日のblog
2010年の今日のblog
2009年の今日のblog
2008年の今日のblog
2007年の今日のblog
2006年の今日のblog
2005年の今日のblog
2004年の今日のblog
2003年の今日のblog

by e.wash-r | 2017-04-20 23:08 | お聴聞 | Comments(0)
座布団が3枚
b0029488_01525570.jpg


冬の夜ね、灯りの点いた仏間を外から眺めるの、なかなかいいものです。

縁から仏間に入るとね、ストーブでほんのり暖かくて、お仏壇がきれいにお飾りされていて、座布団が3枚。

3枚の座布団。1枚はお仏壇の前。1枚はご院さん。1枚はおばあちゃん。

3枚あるけどね、座るのはふたり。

ボクが帰ると、おばあちゃんひとり。

よく“ひとりじゃないよ、ふたりだよ”って言うけど、でもね、やっぱりひとりはひとりじゃないかと思うわけで。

ひとり。

ひとりならね、“ひとり、お念仏。”でいいんじゃないかと。

ひねくれていると言われそうだけど、そういうことだよなあ。

と、ひとり思っています。














by e.wash-r | 2017-02-20 23:54 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
美濃四十八座 黄鐘会冬座 成照星師
b0029488_23561728.jpg
b0029488_23564070.jpg


成先生をお迎えして、美濃四十八座・第23回正蓮寺真宗講座・黄鐘会冬座をつとめました。

「たて分け」ということばに代表される先生のお話のスタイルのままに、終始一貫して、丁寧な他力のご法義をお取り次ぎいただきました。

ボクたちが分別智しか持ち合わせない以上、法話とは言え、何に執着し、何が語られるのかという大前提、言ってみれば、少なくともなんとか共有できるモノサシが必要です。

先生の話は、いつもそこからはじまります。仏教におけることばの定義、その共通理解があって、はじめて、ともに分別智の中の、ほぼ同じ仏教の論理が展開されるわけで、普段、生活のなかで使うことばであればあるほど、丁寧に用いられお話しをされる先生の思いを、真摯に受け止めたつもりです。


受け取るお慈悲はそのまま。どう受け取るかはボク次第。

受け取ったボクが規定される普遍的な因果関係の科学とは趣の違う、迷いのままの私のうえに成立する因果の道理、有り難く聞かせていただきました。

お座のあと、先生は「ちょっと難しいたとえだったかな、ほかの言い方のほうがよかったかもしれない・・・」とおっしゃいました。難しかったです。でも、お同行は身を乗り出して聞いていらっしゃいました。

先生にもお同行にも失礼な言い方になりますが、ボクたちは、わからないときも、間違いのないお慈悲が語られている、そう思って聞き入っていました。わからないときも、本堂で今、仏法が説かれている、そう思って同座していました。

おみのりが取り次がれるということ。ボクは、間違いなく、それがお座の姿だと思っています。生意気に言えば、お寺の存在する意味だと思っています。

そういう意味で、当たり前のことととは言え、ボクは住職として、お座をたてることができたと実感していました。むちゃくちゃうれしい気持ちでいました。


世間のことを知らされて、世間の生き方を身につけることができたとしても、それをお座とはいいません。(ボクはそう思っています。)

”ご講師をお招きした住職がひとりよろこべば、それでお座は成り立つ”という美濃四十八座のコンセプトのひとつ。おみのりが説かれ、おみのりを聞く。それだけ。

夜座が終わったとき、ここにお寺があってよかった、と思いました。




                    
Tumblr 『西蔵防だよん』


 
2015年の今日のblog
2014年の今日のblog
2013年の今日のblog
2012年の今日のblog
2011年の今日のblog
2010年の今日のblog
2009年の今日のblog
2008年の今日のblog
2007年の今日のblog
2006年の今日のblog
2005年の今日のblog
2004年の今日のblog
2003年の今日のblog

by e.wash-r | 2016-11-17 23:52 | お聴聞 | Comments(2)
今月のことば  fool proof
b0029488_2261482.gif


「fool proof」。

直訳すれば、「愚か者にも耐えられる」。
意味するところは、「よくわかっていない人が扱っても安全」。

“その思想の根底には「人間はミスするもの」「人間の注意力はあてにならない」という前提がある“のだそうです。



音楽家の細野晴臣さんが、以下のようなことをおっしゃったとか。

  人間、練習すれば間違える。
  計画すると失敗する。
  覚えていると忘れる。
  生きていると、死んじゃう。



ほとけさまのおこころ -仏説無量寿経-

  為諸庶類 
  作不請之友 
  荷負群生 
  為之重担  

  もろもろの庶類のために
  不請の友となる
  群生を荷負して
  これを重担とす




なんまんだぶ





.
by e.wash-r | 2016-11-01 23:20 | 【今月のことば】 | Comments(0)
あさましきかな
b0029488_08080119.jpg


X証券から電話。

X証券:「一度訪問させていただき、ゆっくりご住職のお話をお聞きしたいと思いまして・・・」

言葉尻を捉えて、素直にお答えしました。

ボク:「えっ、仏教のお話、聞いてくださるんですか?」

X証券:「あっ、いや、株式投資についてです・・・」


ボクは、企業活動に経済的な投資をしたいという気持ちがあまりありません。

ハイリスク・ハイリターンのギャンブルしませんか、と言われたら、興味なくもなくもなくもないんですが。

悲しいかな、損か得かという思考までしかできないのです。社会の在りようとか、人類の幸福とかまでは、なかなか思いが及びません。

こういうことについて、ボクは、俗にいう利己的なと刹那主義、もしくは、単なる金儲け主義なんでしょうね。

楽しく遊ぶほどに余裕がないということで、丁重に訪問をお断りしました。


ほとけさまの慈光に照らされて、わたしのほんとうの姿が見えてきた、というような表現があります。ボクも、無責任にそれに近いことを言ったことがあるかもしれませんが、今はそう思っていません。

もれなく照らす、それがほとけさまのお慈悲です。そこまで。

もし、ほんとうのわたしの姿を知ることが目的なら、例えば、株を持つことがお勧め。お念仏より確実です。









by e.wash-r | 2016-10-28 23:59 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
花火
b0029488_1894937.jpg
「Mちゃんの見た花火」



夜、揖斐へおまいり。ちょうど揖斐川の花火がはじまったところで、田んぼ道に浴衣姿。

今年は、長良川の花火を見ることができなくて寂しい思いをしていましたが、、思わぬ場所で、通りすがりながら、夏を味わうことができました。


過日、お孫さんのご法事をつとめられたNさんのおまいりの後のお話し。

「孫は花火の日に亡くなりました。今もまだ、花火を楽しむことができずにいます・・・」の意。

「花火」は見る人の情に映る、のですね。


情という思い入れがなくなればいいのか?
分別の世界を厭いきれるのか?

人は人としての有様に執着し続けるんでしょうね。ことばを換えると、人は死ぬまで人でいたいということ。

その人の人たる迷いをめあてにするほとけさま。

”花火が美しく見えなくてもいいよ。” そういうお慈悲。

”花火を美しく見えるようにすること”が、他力ではないと思うわけです。









                    
Tumblr 『西蔵防だよん』


 
2015年の今日のblog
2014年の今日のblog
2013年の今日のblog
2012年の今日のblog
2011年の今日のblog
2010年の今日のblog
2009年の今日のblog
2008年の今日のblog
2007年の今日のblog
2006年の今日のblog
2005年の今日のblog
2004年の今日のblog
2003年の今日のblog

by e.wash-r | 2016-08-14 00:33 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
慈雨
b0029488_22594172.jpg


境内と山の墓地に除草剤を散布しました。

なかなか都合よく時間が取れないので、早朝、法務の前に。

その時は晴れていましたが・・・


朝な夕なに
雨が降る
お寺にお墓に
雨が降る

草には慈雨のようだけど
ボクは
ため息ついているんです


『大漁』あらため『慈雨』、字余り。


除草剤説明より

Q散布後雨が降りましたが大丈夫ですか。

A散布後6時間経っていれば、大丈夫です。散布後の天気に注意して使用して下さい。








by e.wash-r | 2016-07-16 23:55 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
2016美濃四十八座 正尊寺真宗講座 紫藤常昭師
b0029488_056428.jpg
紫藤常昭師 聴聞はお楽しみ   黒板には比叡山と鴨川と知恩院
b0029488_0581176.jpg
超満堂 堂内も
b0029488_0584475.jpg
超満堂 北の縁も
b0029488_059355.jpg
超満堂 南の縁も
b0029488_101088.jpg
新玉ねぎのカレーライス
b0029488_10451.jpg
サテライト会場


15周年記念の正尊寺真宗講座。ご講師は、紫藤常昭先生。親鸞聖人のご生涯を通して。

イメージをふくらませながら、お説教というライブ。本堂はまさに劇場でした。

あたらしい話に頷き、いつもの話に頷き、引きこまれて感嘆し、当たり前のことに苦笑いしながら、全編お念仏の話を楽しく聞きました。

なんにも考えないでただ聞く、心地良い時間です。


今回、15周年を迎えられた正尊寺真宗講座。15年前の第1回正尊寺真宗講座開座は、後の美濃四十八座の黎明でもありました。

本堂にあふれる、おそらく過去最高のお同行が、絶妙なお話し吸い込まれました。

先生は「ひとりの妙好人が生まれるお座を開く。自分がそのひとりになればよい。」という稲城和上の言を座右の銘にしていらっしゃるとおっしゃいました。

正尊寺ご住職が美濃四十八座を立ち上げられるにあたって提唱されたのは、「少なくともひとり住職がよろこべばお座は成り立つ、住職が聞きたい法を聞く。」ということ。

表現は違っても同意。その先に、淡々と美濃四十八座があることに鳥肌が立つような思いです。(実際は、あの手この手で奔走しているのですが・・・)



15周年を祝して、いつもお聴聞のお同行のことば。

「何回聞いても、いつも、今日のお話が今までで一番!って思うんですよね。前の話、覚えてるわけじゃないんですけど。」

どっぷり、やっぱり阿弥陀さんです。


開座15周年記念の200食の新玉ねぎのカレーライス、ごちそうさまでした。




                    
Tumblr 『西蔵防だよん』


 
2015年の今日のblog
2014年の今日のblog
2013年の今日のblog
2012年の今日のblog
2011年の今日のblog
2010年の今日のblog
2009年の今日のblog
2008年の今日のblog
2007年の今日のblog
2006年の今日のblog
2005年の今日のblog
2004年の今日のblog
2003年の今日のblog












  
by e.wash-r | 2016-07-12 23:54 | お聴聞 | Comments(0)
2016美濃四十八座 浄妙寺真宗講座 浅田恵真師
b0029488_01148100.jpg
b0029488_012754.jpg
b0029488_0121824.jpg


池田町浄妙寺真宗講座昼座のお聴聞。ご講師は勧学の浅田恵真先生。


光雲無碍如虚空
一切の有碍にさはりなし
光澤かふらぬものぞなき
難思議を帰命せよ   
(浄土和讃)


両親(おや)おくり 妻先にゆき 子の急ぐ
茜(あかね)の雲は 美しきかな
(浅田先生の恩師、土橋秀高師の句)



ふたつのうたを通じて、「ひかりくも」のお味わい。

”雲を通して届く光”というイメージだけを持っていましたが、”沈んでなお茜雲となって届く光”というイメージも。

分別の目には難思議ですが、悲喜の身に一如の光ということ、有り難く聞かせていただきました。


”あたたかく笑顔のあふれるお座”を開かれるご住職。
報恩講のような立華でお荘厳される前ご住職。
燭を整えられる未来のご住職。

三代揃って、満堂のお同行を迎えられるご院さん方に少々嫉妬しながら、心地良いお座を楽しみました。




                    
Tumblr 『西蔵防だよん』


 
2015年の今日のblog
2014年の今日のblog
2013年の今日のblog
2012年の今日のblog
2011年の今日のblog
2010年の今日のblog
2009年の今日のblog
2008年の今日のblog
2007年の今日のblog
2006年の今日のblog
2005年の今日のblog
2004年の今日のblog
2003年の今日のblog

by e.wash-r | 2016-07-10 00:00 | お聴聞 | Comments(0)
「捨」
b0029488_238232.jpg
b0029488_2381278.jpg


溢れるモノに囲まれた生活なので、興味を持って「捨てたい!」という特集の雑誌を見る。

”整理整頓のルールあれこれ”なんだけど、生き方指南みたいで、あまりおもしろくない。

次に出てきたのが、「どこまで捨てれば楽になる?」と題した人生なんでも相談。

捨てたいNo.1は夫。そうなんだ、という感じ。


「捨てたい!」は凡夫の分別、「捨てぬ!」はほとけさまのお慈悲。


雑誌もいいけど、お寺もね。




                    
Tumblr 『西蔵防だよん』


 
2015年の今日のblog
2014年の今日のblog
2013年の今日のblog
2012年の今日のblog
2011年の今日のblog
2010年の今日のblog
2009年の今日のblog
2008年の今日のblog
2007年の今日のblog
2006年の今日のblog
2005年の今日のblog
2004年の今日のblog
2003年の今日のblog

by e.wash-r | 2016-06-24 23:51 | そらごと、たはごと | Comments(0)