誰かが楽しんでいるすがたを見たとき、やっかみと同時になんとなく楽しいと思う気持ちもほんの少しはあることを書きました。
昨日は、そんな複雑な心模様を9ブロックでイメージしてみました。あくまで勝手なイメージですが。
その後、いろいろなことを考えました。
こころはモザイクだと。
小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもふまじ
如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき
親鸞聖人がご和讃で述べられた「小慈小悲もなき身」ということについて。
ボクは、こころはモザイクだと 前述しましたが、それはボクの基準でボクのこころをみたときのことです。
親鸞聖人が我が身を「小慈小悲もなき」と述べられたのは、「如来の願船」のお働きをうけてのことです。親鸞聖人は往生の因を問題にして、そのうえで「のせてかならずわたす」と呼びかけてくださる如来の慈悲を謳っておられるのです。
たとえば「こころはモザイクだ」とボクが思ったことと「小慈小悲もなき身」と親鸞さまがおっしゃったことの違い。
混同すると、ときに造悪無碍となり、ときには・・・。
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