明治初期、神道国教化の流れのなか、神仏分離令に端を発した仏教排斥の運動は、一部地域では、仏・寺院・仏具を破壊するに至りました。このことを、廃仏毀釈(運動)と呼んでいます。
苗木藩は、もっとも激しい廃仏毀釈をした藩のひとつです。藩政のの中枢に国学者が多かったことが、その理由とされているようです。ボクは、それだけが理由なのだろうかと思っています。
眼下の木曽川に湧く霞に煙ることから「霞ヶ城」、城壁が漆喰を塗らない土壁であったことから「赤壁城」とも呼ばれた苗木城の城趾を見てきました。自然の花崗岩を利用した石垣。とにかく立派です。見事です。
苗木を訪ねた日の朝まで、徹夜で「チベット問題」についてのレポートを書いていました。
チベット問題を考えながら、廃仏毀釈、そして、あそか苑事件のことを思いました。
チベット問題 人民解放という名の下に、ラサに侵攻した、中国。
廃仏毀釈 国学の具現として、仏教を排斥した、苗木藩。
あそか苑事件 社会福祉のためといって、黒野別院を壊した、岐阜教区。
結果的に、仏教と対峙することになった人民解放、国学、社会福祉という思想について言及することより、仏教徒としてのわたしの姿勢・思い、つまり信仰の問題として考える必要もあるような気がするわけです。
ラサ侵攻から50年以上たった今も、チベットは消えていません。
チベットがチベットであることを願い続けている人々がいるからです。
ダライ・ラマのことば。
身分を問われて、「私はブッダの弟子。みおしえに生きるひとりの僧侶です。」
毛沢東に対して、「わたしを解放するのはあなたではない。わたし自身です。」
形骸化した宗教は、以外と簡単にそのかたちを失うのかも知れませんが、生きた信仰は、そう簡単に消えてなくなるようなものではない、そんなことを思っています。
そのあたりは、次回。 ・・・に書けるかなあ。
【
1年前の今日のblog 】
【
2年前の今日のblog 】
【
3年前の今日のblog 】
【
4年前の今日のblog 】
【
5年前の今日のblog 】
【
6年前の今日のblog 】
【
7年前の今日のblog 】