留年考
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橋下大阪市長が、小中学生の留年制度の検討を指示したというニュース。高校の時ではありますが、留年の経験のあるものとして、ひとことふたことみこと・・・。


結論から言うと、ボクの場合、普通に1年間で2年生になれなくて、1年生を2回しているのですが、ムチャクチャ楽しかったという感じです。受け入れてくれた2回目の1年生のともだちの力が絶大です。恵まれていたと思います。

◆プレッシャーはありました。だから、プライドと体裁で必死に勉強しました。2回目の1年生の時の前期の成績は、すごかったです。(2回授業受けてるわけで・・・。)ただ、そういうことが長続きするわけはなく、後期はボロボロでした。

◆2回授業を受けて思ったのは、先生は同じところで同じギャグを言うのだなということ。

◆先生は、何かあったとき、年長者であるということで、ボクをある意味うまく利用しました。ボクも協力しました。なんとなく特別な存在という一面もあったと思います。


いやだったことは何もありません。ただ、やはり、留年という事象の現実を思うと、学力の習熟がどうのこうのということより、メンタルなことが問題になってくるのは間違いないと思います。


繰り返しになりますが、ボクは先生にも友だちにも恵まれていたなあとつくづく思います。普通にするという特別な関係を築いてくれたわけですから。


小中学生の留年制度が導入され、留年をすることになるこどもがいたなら・・・。

その子も、ボクと同じように先生や友だちに恵まれるといいなあ。





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by e.wash-r | 2012-02-26 00:23 | そらごと、たはごと | Comments(2)
Commented by 空扇 at 2012-02-26 18:24 x
そうでしたか、1123。私も1123でした。ある意味ビョーキだったのですが。仕切り直しの123で、オケでクラリネットを吹き、ギター部を立ち上げ、ノー天気に過ごした気がします。11の友達はどっちの1だったか今でも混乱します。
嫌だったことはないのですが、色々な意味で11から吹っ切れるのに10年ほどかかりました。社会人になって、寮でばか騒ぎしているうちにそうだったのか、と吹っ切れました。
今回の留年制度の話題は、違うと思います。留年制度は大学でこそ有るべきで、これをしなかったが故に大学卒業生と称する若者を受け入れた社会がいまどれほど戸惑っていることか。
留年制度が、いい意味で個別の能力に見合った進度を守るため、となればよいのですが、多分今の日本では偏見しか生まないだろうな〜。大人がそういう眼で見る限り継承して続くのでしょうね。
Commented by e.wash-r at 2012-02-27 10:50
おたがい、いい経験をさせてもらったみたいですね。そう思います。

ボクも、自分の留年と今回の小中の留年制度の問題は違うような気がしています。空扇さまのご意見に同感です。

すこし、ボクの思いを言わせてもらうなら、小中学生は、こどもらしく遊んでいればいいと思うのです。おとなは、こどもをこどもらしくみていればいいと思うわけです。

おとなの論理を教え込む必要はないと思うのです。おとなの論理は、おとなになればイヤでもそれに対応するわけですから。

もし子どもに伝えることがあるとしたら、それは、今自分がしていて、楽しくて楽しくてしかたがないとおもうことなのだと思うのです。

ボクたちは、ついつい、おとなの世界で生きてゆくことは大変だよ、ということを教えたくなっちゃうんですよね。結果的に競争社会で生きていくスキルを教えこもうとしているような気がします。

小中の留年制度の根底にあるのは、そういう苦労賛美の、ほんとうは満足していないおとなの論理のような気がします。

苦労こそが生き甲斐で、目的で、それを心から好きいえるなら別ですが・・・。


空扇さま
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