過日、母の入院先でのこと。
「外は暑いよ。」と言うと、「外は暑いの?ここは暑くも寒くもない。外が見えないから、何もわからない・・・。」と。
確かに、カーテンで仕切られた大部屋の中では、白い壁と天井、ベージュのカーテン以外何もみえない。空調が行き届いた院内は、暑くも寒くもない・・・。
ホテルの廊下よりずっと広い廊下を歩き、エレベーターに乗り、通用口を経て外に出た。真夏だった。
病院は病気の治癒のためにある。つくづく目的(治療行為)のための利便性に特化した構造だと思った。
昨日、大学病院へ行った。次女がちょっと入院しているので、顔を見に。
母の入院先で感じたことと同じことを思った。
病室は治療する側が治療に専念する空間として成立しているということ。
そう進化してきたのだと思う。
病院の役割と機能を享受し、そのことをとても感謝している。その上で、あえて言おうと思う。効率の追求は大切なことだが、受け手としてみたとき、ボクの場合、何か息の詰まるものを感じるのも事実だ。
そのうち、効率追求ではない、ちょっと違う視点のデザインの病院ができてもいいんじゃないかと思った。
病院に限らず・・・。さて、当正蓮寺は?
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