午後8時から、当寺にて、広報誌「スートラ」編集。深夜まで。ご自身のつとめを終えた方々の献身に頭が上がりません。11/1の発行に向けて、ほのぼの、かつ、熱い時間を過ごしました。
今回、法話の担当は、つい先日、京都・伝導院での100日間の勉学を終えたばかりのO師。
生死の苦海ほとりなし
ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける
上記ご和讃を讃題に、「他力本願」という直球勝負の原稿をいただきました。原稿の読み合わせをしながら、『弥陀弘誓のふね』についてのご法義話。そのとき、Z寺さんがおっしゃった話。ボクのお気に入りです。
Z寺さんには、舟の形をした輿があるそうです。葬儀のとき、棺を乗せるだそうです。
お浄土まいりは、自ら歩いてゆくのではなく、自らの功を頼りにゆくのではなく、『弥陀弘誓のふね』にのせられてゆくのだということの儀礼化です。
ボクはこういう宗教的情緒が好きです。
土葬が火葬に変わった今、儀礼としては、この舟形の輿のお役は終えたのかもしれません。先人が形にしてよろこばれ伝えようとなさったこと、できれば、せめて話として受け継いでいきたい思いです。
いつかZ寺さんをたずね、舟形の輿の写真を撮らせてもらおうと思っています。そのときは、写真UPします。
Tumblr 『西蔵防だよん』
【
1年前の今日のblog 】
【
2年前の今日のblog 】
【
3年前の今日のblog 】
【
4年前の今日のblog 】
【
5年前の今日のblog 】
【
6年前の今日のblog 】
【
7年前の今日のblog 】
【
8年前の今日のblog 】