おじょうはん -月の命日のおまいり-
おじょうはん -月の命日のおまいり-_b0029488_12302293.jpg


おじょうはん。薄茶色の夏の布抱の大性寺老僧さまがおまいりくださいました。

ボクも、たぶん大性寺老僧さまも、珍しく時間に余裕があったので、おまいりのあと、ゆっくり歓談しました。



「おじょうはん」(月命日のお参り、お逮夜参り、月参り、月忌参りなどともいう。)を「つとめないといけないのか?」ということをよく聞かれます。

「つとめないといけない」ことはないです。が、「つとめなくてもいい」こともありません。そういう考え方をすることではないと思います。

ボクは、「するといいよ。」と言います。おじょうはんをつとめていてそう思うからです。

「どういう風にいいのか」と聞かれても、実はわかりません。「なんとなくいい。」のです。

「なんとなくいい。」から、なんとなくつとめています。

なんとなくつとめてみて、「なんとなくいい。」と思ったら、つとめられたらいいと思うのです。

たぶん、毎月つとめていると、都合の悪いときもあります。面倒なときもあります。例えば、食べないと死んでしまう食事や、反故にすると大切な人を裏切るようなことになる約束でも、都合の悪いときや面倒くさいときがあるのと同じように。

「なんとなくいい。」ばかりではありません。でも、

「なんとなく楽しい。」
「なんとなく、心地よい。」
「なんとなく、うれしい。」

たぶん、たまにでもそんな風に思えることもあるから、「するといいよ。」ということになるんです。



                    Tumblr 『西蔵防だよん』
 
                    【 1年前の今日のblog
                    【 2年前の今日のblog
                    【 3年前の今日のblog
                    【 4年前の今日のblog
                    【 5年前の今日のblog
                    【 6年前の今日のblog
                    【 7年前の今日のblog
                    【 8年前の今日のblog
                    【 9年前の今日のblog
by e.wash-r | 2013-06-21 23:39 | おまいりにて | Comments(0)
<< 美濃四十八座号  美濃四十八座 正尊寺真宗講座 ... >>