おじょうはん。薄茶色の夏の布抱の大性寺老僧さまがおまいりくださいました。
ボクも、たぶん大性寺老僧さまも、珍しく時間に余裕があったので、おまいりのあと、ゆっくり歓談しました。
「おじょうはん」(月命日のお参り、お逮夜参り、月参り、月忌参りなどともいう。)を「つとめないといけないのか?」ということをよく聞かれます。
「つとめないといけない」ことはないです。が、「つとめなくてもいい」こともありません。そういう考え方をすることではないと思います。
ボクは、「するといいよ。」と言います。おじょうはんをつとめていてそう思うからです。
「どういう風にいいのか」と聞かれても、実はわかりません。「なんとなくいい。」のです。
「なんとなくいい。」から、なんとなくつとめています。
なんとなくつとめてみて、「なんとなくいい。」と思ったら、つとめられたらいいと思うのです。
たぶん、毎月つとめていると、都合の悪いときもあります。面倒なときもあります。例えば、食べないと死んでしまう食事や、反故にすると大切な人を裏切るようなことになる約束でも、都合の悪いときや面倒くさいときがあるのと同じように。
「なんとなくいい。」ばかりではありません。でも、
「なんとなく楽しい。」
「なんとなく、心地よい。」
「なんとなく、うれしい。」
たぶん、たまにでもそんな風に思えることもあるから、「するといいよ。」ということになるんです。
Tumblr 『西蔵防だよん』
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