第27回正蓮寺の歴史を語る会 -襖の下張り-
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27回目の「正蓮寺の歴史を語る会」。今回も引き続き『宗門人別改帳』について。

T地区H氏宅の襖の下張りになっていたという当正蓮寺の『宗門人別改帳』。同じくH氏宅からは、隣村の臨済宗・東光寺、天台宗・慈明院の『宗門人別改帳』が見つかっています。

書式、文言等がほとんど同じなので、ある程度統一された様式で、「宗門人別改め」という名の戸籍作りが、少なくとも当地においては整然と行われたことが想像されます。

いわゆる統一政府の施策が、津々浦々まで徹底していたこと、つまり、全土において、かなり確実な行政(例えば年貢の徴収等)が行われていたことは、日本の中世(一部古代も)以降の歴史の謎のひとつだそうです。

少なくとも、地域社会が生きていた、機能的だったということは言えそうです。


現代や如何。


さて、1972年、永井荷風の春本『四畳半襖の下張り』の雑誌掲載が、世間を騒がせました。当時、こどもながらに、なんとなく、「襖の下張り」=「怪しいモノ」という印象を持ちました。

襖の取っ手(引手)の部分が欠落した襖の下張り(資料)を見るにつけ、なんとなく「怪しいモノ」を見ているという錯覚。

余談ですが、「怪しさ」には、どこか「艶やかさ」に通じるものもあるような気がします。


襖の下張りになって残ったお寺の歴史。感慨深いなあ。




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by e.wash-r | 2013-07-21 23:38 | ようこそ正蓮寺へ | Comments(0)
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