ちょっと冷え込んだ土曜の夜。ストーブを焚いて仏教壮年会例会。
今回のテーマは、「大谷本廟とお墓」。
『御伝鈔』の第六段「洛陽遷化」、第七段「本廟創立」の意訳を読んで、本願寺成立の過程と大谷本廟創立の歴史を、たどたどしく辿ってみました。
ボクたち門徒にとっての大谷本廟の意味と伝統的な墓所、墓の意味を考えてみたわけです。真宗はこうあるべきというような話ではなく、おだやかに歴史と現状を語り合ったという感じ。
みなさんのお話を聞くなかで、わかったこと。
基本的にすべての遺体を引き受ける、埋葬を拒まないという伝統的な墓地埋葬のルール(ローカルルールも多いのでしょうが)が、意外と消えかかっているということを感じました。
ここ十数年の間に、急速に土葬が火葬に変わりました。それとともに墓地、墓の性格も変わり、その中で、埋葬の伝承も途絶えていったのかもしれません。
そんな話のなか、ボクと同年代のMさんが「僕は、行き倒れの人であっても埋葬を拒んではならない、と聞いているよ。」と。なんとなくホッとしました。
秋の夜長、ほのかに暖まった本堂、なんとなく和んだ時間でした。
組だとか、教区だとかでは「研修会」や「話し合い法座」が盛んです。それを望む人たちが集われることに全く異論はありません。ただ、それを望むなら、それぞれのお寺でも、まったりとやればいいのに、と思ったりするわけです。(ついつい余言です。)
Tumblr 『西蔵防だよん』
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