録画してあった『北のカナリアたち』を観ました。映画館で予告編をみて、本編も観てみたいと思っていたのですが、見逃していた映画です。
北の島の美しさ、無理やり整えたような物語の展開の違和感等々は置いておいて、なんとなく共感したくなる映画でした。
改めて『唄を忘れたカナリア』の歌詞を味わっています。
「唄を忘れたカナリアが、再び唄をうたうのはいつか?」
「それは、うたう時と場所がみつかったとき。」
たぶん、こんなようなことだと思うわけです。
オトナがコドモにできることは、いっぱいステージをつくってあげることなんだろうなあ。『北のカナリアたち』を観ながら、『唄を忘れたカナリア』を聞きながら、そう思った次第。
"ボクたちは、ひとつしかないステージに上がるコドモを育てようとしていたのかも知れない。"
またしても、傲慢を反省。
居場所としてのお寺のことを、テキトーに考えるボーズでいたいものです。
Tumblr 『西蔵防だよん』
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