唄を忘れたカナリア
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録画してあった『北のカナリアたち』を観ました。映画館で予告編をみて、本編も観てみたいと思っていたのですが、見逃していた映画です。

北の島の美しさ、無理やり整えたような物語の展開の違和感等々は置いておいて、なんとなく共感したくなる映画でした。

改めて『唄を忘れたカナリア』の歌詞を味わっています。


「唄を忘れたカナリアが、再び唄をうたうのはいつか?」

「それは、うたう時と場所がみつかったとき。」


たぶん、こんなようなことだと思うわけです。

オトナがコドモにできることは、いっぱいステージをつくってあげることなんだろうなあ。『北のカナリアたち』を観ながら、『唄を忘れたカナリア』を聞きながら、そう思った次第。

"ボクたちは、ひとつしかないステージに上がるコドモを育てようとしていたのかも知れない。"

またしても、傲慢を反省。


居場所としてのお寺のことを、テキトーに考えるボーズでいたいものです。





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by e.wash-r | 2013-12-22 23:57 | 溺レル | Comments(0)
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