70年、戦地で亡くなられたご住職の後を守られたD寺前前坊守さまのお通夜とご葬儀。
ボクがこどものころ、前前坊守さまは、兼務で多忙のご住職に代わって、毎月おじょうはんに来てくださっていました。
10kmほど離れたD寺さまから自転車で。いつも、門前に自転車を停め、袴を脱いで山門をくぐられました。阿弥陀経をおつとめし、相応の時間、結構長い時間だったように思いますが、祖母たちと歓談をして、やはり、山門をくぐったあと、門前で袴を履いてから、自転車で帰って行かれました。
伊自良川の堤防あがる坂がきついので、堤防に上がるまでは、坊守さまは、おおかた自転車をひいていかれました。伊自良川まで、坊守さまについていって見送った記憶があります。
私事ながら、お通夜の法話でも少しお伝えしたのですが、ボクはそのおじょうはんをいつも楽しみに待っていました。おまいりをイヤだと思った記憶がありません。木がこんもりと茂った当時の境内や旧本堂とともにある、懐かしい思い出です。
「Mちゃん、Mちゃん・・・。」といって、可愛がってくださった坊守さまも歳を重ねられ、ご院さんんがお参りに来てくださるようになったとき、「Mくん、Mくん・・・」といってやはり可愛がって下さる雰囲気が、坊守さまと同じだったので、とても嬉しかったことも、なんとなく思い出しています。
ほんとうにありがとうございました。
土葬だった頃、ボクたちこどもも、葬列について、いつもお墓まで行きました。そういう習慣だったのかもしれません。そのせいか、家を、村を、お棺が出て行くときが好きです。
土葬の土地柄なので、「ヤキバノカエリ」という情景を幼い記憶としては持っていません。でも、出棺と同じように、お骨を抱えた当主が、葬儀の後片付けが終わった家に帰ってくるときの雰囲気が好きです。
前前坊守さまのお骨を抱えたご住職が、山門をくぐって帰っていらっしゃるところを、写真に撮ろうと計算していたのですが、まさに計算が狂って間に合いませんでした。
想像して、楽しむことにします。
悲しくて、寂しくて、辛くて、苦しくても、葬儀はいいなあと思うわけです。
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