「食べる」ことは、生きることの根源。信仰においても。
彼岸会。ふだんおつきあいのある若いKさんご夫妻がおまいり。
ご門徒のTさんのところに「まだ門徒じゃないけど、おときについてもいいやろか?」と、Kご夫妻からのお尋ねがあったそうです。Tさんは「遠慮せんでいいよ。お斎について。」と応えられたとのこと。
おまいりを迎える側の思っていることは、たくさんのおまいりと、その方々がよろこんでくださること。お勝手方は、お斎の席についてくださることががうれしいのです。
ようこそでした。
今日の朝ごはんは、昨日の彼岸会のお斎のごはんを握った「おにぎり」。彼岸会のお斎の漬物入り。
美味しかったです。
高校生のころ、お彼岸のあとの弁当のおかずは、2~3日、丸アゲとコンニャクとレンコンだったことを思い出します。望んではいませんでしたが、美味しかった記憶。
午前11時から、Y家おじょうはん。Y家は、いわゆる老老介護。78歳のおじいちゃんがおばあちゃんのお世話をしてみえます。
おまいりのあと、おじいちゃんが、「お昼やし、いっしょにご飯食べてかんかね。」と。
おじいちゃんがつくるお昼ごはんをおばあちゃんといっしょに遠慮なくいただきました。ごちそうさまでした。
ボクにできることは、せいぜい同じ食卓につき、いっしょに食べること。おじいちゃんのマネは、とてもできません。おじいちゃんの衒いのない日々の献身には、頭がさがるばかり。
食べることが普通にできることは、本当は特別なことなのかもしれません。
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