母方の曽祖父は、日露戦争から奇跡的な帰還をしています。(小説にもなっています。)
そのことと何か縁があるのかどうかはわかりませんが、曽祖父は、戦時中(WWⅡ)は、戦の神とされる毘沙門天の寺に住持していました。当時は、出征した兵士の家族の方々のお参りが絶え間なかったそうですが、今は廃寺となり、毘沙門天は本寺にご安置されているとのこと。
たまたま、近くを通ったので、こどものころ、母に連れられて尋ねたかすかな記憶を頼りに、曽祖父の寺のあった御油へ。母が疎開していたところでもあります。
特に、何かがわかったわけでもなく、記憶と同じ風景にも会えたわけでもなく。
ただ、なんとなくゆかりの地・御油探訪。
ボクの記憶の中の曽祖父は、火鉢の傍でキセルをふかす穏やかな老人です。それ以上のことをボクは何も知らないのですが、伝え聞く話からは、曽祖父の生きた時代が戦争の世紀であったということを実感します。
満州の官吏であった祖父、従軍看護婦の祖母、御油に疎開後満州の生活を送った母の時代もまた然り。
キレイ事ではなく、戦争は起きてしまうもののような気がします。だから、政治の最も大切な役割のひとつは、少なくとも「今」戦争を起こさないこと、先にのばすこと、なのだろうと思います。70年、事実として、日本はそういう政治をしてきました。継続にはさらに努力が必要なんだろうと・・・。
曽祖父ゆかりの地を訪ね、まじめにそんなことを思いました。
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