30年ほど前、高校の同級生と八ヶ岳を縦走しました。麦草峠から、雨の中を歩いたこと、夜中も歩きつづけたことしか思い出せません。風景の記憶がないのです。
そんなこともあり、天狗岳を下りたあと、なんとなく車で麦草峠へ。
麦草峠のバス停の前を通り過ぎようとしたとき、ヒッチハイクのゼスチャーの女性が飛び出してきました。偶然にも、天狗岳の登山道ですれ違い、ほんのちょっと話を交わしたふたり組の女性でした。
これもご縁と、車を停めました。聞けば、あると思っていた定期バスが全く運行していなかったのだそうです。麦草峠から茅野の駅まで25km。歩けば5時間はかかるので、ヒッチハイクを決め込んだとのこと。天狗岳で出会っていた偶然はともかく、茅野駅までお送りすることに。
40分ほどの車中、山の話からはじまって・・・。
おふたりは、職場の同僚で神奈川在住。たまたま、ともに郷里は福島。生まれ育った家は、帰還困難区域にあると。
震災や原発事故の生々しい話をいっぱい聞きました。
ずるいようですが、ボクは原発の推進派でも反対派でもありません。行くも地獄、戻るも地獄、なのだと思っています。
手におえないものが、原理もわからないままそこにある、という現実の前で、とりあえず何かしなければならない状況があり、けれどさっぱりどうしたらいいのか、どうすることができるのかわからないという感じ、です。第三者的ですが。
なんとなく想像はしていたのですが、偶然、現場を知るおふたりの生の声を聞いて、メディアではあまり流れない原発事故の深い深い傷を思い知らされました。
推進でも反対でもいいけど、愚かであっても人智を束ねるときなのだと思いました。
サイモンとガーファンクルの『アメリカ』では、ヒッチハイクをしながら”アメリカ”を探す若者が描かれます。
『アメリカ』が歌われた1970年代、たぶんそのころ、ヒッチハイクをして何かを探していたかもしれない女の子が、今は甲状腺がんの孫の心配をするおばあちゃんになったという現実。
若者が”アメリカ”を探していた時代はずいぶんと遠く、変わってしまった時代の何かは、とてつもなく重いものなのかもしれない、と思う次第。
ボクも、たぶん、あのおばあちゃんたち二人組も、何も考えずに享楽的に山登ってるんですけどね。
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