小学校へ
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小学校の会議へ。

この会議、何がうれしいかと言えば、会議机の上の名札の肩書が「正蓮寺住職」となっているところ。他の方々の相応のオフィシャルな肩書を眺め、”当方こんなんでいいのかなあ”と少し肩身が狭い気がしないでもないのですが。

先生方から、夏休み以降の学校の様子のお話。詳しい資料とともに。丁寧で緻密な現場に頭が下がるばかりです。


地域の住人として、学校に対して何ができるか?を考えるとき、できることは協力したいと思うわけです。ただ、ジレンマがあって、ボクは、学校は勉学の場だと思うので、ボクたちが関われば関わるほど、根本の勉強の時間が圧迫されるのではないか、というような気がするのです。

ボクは、こどもには、たいへんだろうけど、勉強して欲しい、学力をつけてほしいいと思うのです。

学校に、学校生活での社会性、学校生活の中の人間性のようなもの以上のものを求め過ぎているのではないかと思うのです。

地域の住人として、困ったときの後方支援、教育環境に係る経済支援、などができたらいいと思います。社会性や人間性は家庭と地域の役割として、学校とは付かず離れずで、あくまで家庭と地域がつとめるというスタンスが必要なんじゃないかと。


そんなことを思っていますが、会議では言わないので、ずるくココに書きました。


翻って、坊主。

社会性とか人間性とか、あまりカッコつけて(”あたかも仏法のようなフリをして”という意味)言わない方がいいと思います。言うだけなら言えますが。

坊主の、お寺の役割は、そういうことじゃないと思うわけで。

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ところで、小学校のトイレに入ったら、トイレのスリッパが乱れないような工夫がしてありました。

「トイレのスリッパを揃えましょう!」ということを言わなくてもいい分、いろんな意味で少し余裕で勉強ができますよね。

もし、家に帰ったこどものトイレのスリッパが乱れているようなら、それが気になるようなら、それは家庭の領域のこと。なんか、そんな気がしました。

そう言うボクですが、家に帰るとスリッパが乱れるタイプかもしれません。



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by e.wash-r | 2017-12-16 02:09 | ふるさと | Comments(0)
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