当地では、お通夜は「同行勤め」といって、地域の長老が調声をして、みんなで大きな声でお正信偈をよむのが習わしでした。
最近は、僧侶が調声をすることが一般的になり、また、職場やおつきあいの方々も、定刻のいわゆる「お通夜のおつとめ」にまいられるので、地域の方々が故人といっしょにおつとめする最後の「おゆうじ」という雰囲気が少し変わってきたように思います。
過日、山口地区のお通夜におまいりしたときのことです。当家に着くと、仏間から大きな声でお正信偈を唱える声が聞こえてきます。
「今、地元の方がおつとめしてみえるので少し待ってください。」
と、葬儀社の方に言われました。
「お汁講」という念仏講も残っているありがたい土地柄だから、いわゆる「お通夜のおつとめ」とは別に、「同行勤め」をしていらっしゃるんだと思っていました。
今日、初七日のおつとめのおりに、「同行勤め」のことを尋ねました。すると、最近はしなくなったとのこと。「お通夜のおつとめ」の前のお正信偈は、故人からいうと孫さんがつとめている建設会社の方々が、揃っておくやみにみえて、社長さん自らが調声をされ、みんなであげていかれたのだそうです。
しみじみ、いい話でした。
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『西蔵坊だより』は、 森鏡山 正蓮寺の住職の日記です。
仏教のこと、山や川や海のこと、TIBETのこと等、思いつくまま書いています。
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