方県老人クラブ講演会 『信長時代の岩利正蓮寺』
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老人クラブから、「信長と正蓮寺の関係を話して欲しい。」という依頼を受けました。

「信長と正蓮寺の関係は不明ですが、その時代の当地岩利と正蓮寺について、4年間「歴史を語る会」で語り合ってきたこと、姫路塚本氏と駄知塚本氏からの話を合わせて、お伝えすることならできます。」ということで、本日、講師?になってきました。

方県公民館に60名以上の方々がご参集。今まで聞いてきたことを、ボクなりにまとめてお伝えしました。

話の中心は、「塚本小太膳」のこと。謎の多い人物です。

思い入れも含めて、信長が岐阜城主になってから本能寺の変までの、塚本小太膳についての記録・口碑等をもとに、状況から想像できうる歴史を物語のように私見で。


小太膳は、名古屋市博物館蔵の『木下秀吉言上状』から、信長のナンバー4と読み取ることができます。信長の施策の情報・経済・交渉の重要な部分をになっていた智将というのが、ボクが考える塚本小太膳像。

後の塚本氏と本願寺との関係から、小太膳は石山合戦の和睦に関わっていた可能性もあると思います。

小太膳が当地で浄土真宗に帰依しているとことを考えると、西蔵坊(正蓮寺)を岩利に移転したは、小太膳である可能性が高く、ならば、岩利森山の麓に移すことに何の意味があったのか?という興味は尽きません。

信長と本願寺の関係を思うとき、微妙なのは、当正蓮寺が『信長方』なのか?『本願寺方』なのか?という点。コウモリのように振る舞っていたかもしれませんし、確信犯的に親信長の本願寺末であったかもしれません。本願寺の楔、反対に信長のスパイという可能性も否定はできません。

いずれにしろ、信長と本願寺の間で翻弄される当地の複雑な時代を想像します。本能寺の変を前後して、当地に「何かがあった。」ことは間違いないと思います。

そんな想像の部分と、史実として顕かになっていることをしっかり分別してお伝えしたつもりです。「理系のお話しですね。」とのご講評をいただきました。ボクにはうれしい褒め言葉でした。


講演後半は、「黒野城と加藤貞康公研究会」の方々の『黒野城と方県の城 ー石谷郷と明智光秀ー』。土岐時代の各地の城を精力的に調べられた資料による講演でした。フィールドワークに頭が下がりました。


反省点は多々あるにしろ、ボクとしては、正蓮寺住職として老人クラブに招かれたことがありがたかったです。


黒野組総代会研修と時間が完全に重なり、そちらは欠席。住職が行けなくても、宗派宗門の行事に足繁く通ってくださる総代さん方に感謝。



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by e.wash-r | 2018-06-12 23:59 | ふるさと | Comments(0)
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