お母さんの初盆に、お母さんのお骨といっしょに、お母さんの郷里・岐阜を巡っておられるEさん。
市内のホテルに滞在され、昨夜はお母さんのお骨を抱いて鵜飼船に乗られたそうです。今日は、googleくんの指示に従って、岐阜駅から大垣を経由して本巣駅、そこからタクシーで当寺へおまいりくださいました。
Eさんのお母さんは、当寺ご門徒の家から東京に嫁がれ、この春、ご往生されました。Eさんは、お母さんの里の寺に、お母さんといっしょにおまいりしたかったのだそうです。
悲しみのなか、何もわからないまま、葬儀社さんのお世話でご葬儀をつとめられ、不安のなかで、当寺を訪ねてくださったご様子。本堂でおまいりをしたあと、ゆっくりお話を伺いました。
ボクの知らない、都会の宗教事情を垣間見たような気がしました。Eさんが、この田舎の、ただのお寺を、とりあえずくつろいでくださったのなら、ボクとしてはうれしいのですが。
「おつとめのなかの、『なもあみだぶつ』がなつかしかった。」
「おじいちゃんやおばあちゃんがいる京都の本願寺(大谷本廟)に分骨したい。」
そう話されるEさん。お仏壇のあるお母さんのお里で過ごされたこどものころの思い出が、Eさんを当寺にまで連れてきてくださったんだろうなあと思いました。
坊守が、岐阜駅までEさんをお送りしました。
帰ってきた坊守の話。
”「東京のお寺さんに厳しいことを言われていたので、田舎のご住職はもっと厳しいいだろう、と思って」、Eさんは、覚悟してウチにいらっしゃったみたい。「でも、想像していた住職さんと全然違っていて、安心しました。お寺はいいですね。」って、おっしゃってたよ。だから、『それは、そういうおみのりだからです。住職は、いい加減です。』って話しておきました。”
”坊守は、ご法義はまちがっていないが、一方向にやさしくない。”というのがボクの感想。
夏の寺の、まるでお盆のような、Eさんのおまいりでした。
お盆は、いいね!
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