一人暮らしのおばあちゃんの嫁がれた娘さんから電話。内容はおおよそ次の六つ。
1、今月でおじょうはんを最後にしたい。
2、門徒を離れることになる。
3、母を私のところに迎えることにした。
4、これからは当家のお寺にお世話になる。
5、門徒になるのにどれほど包めばいい?
6、門徒を離れるのにどれほど包めばいい?
1、いつもの時間におまいりします。
2、さみしくなります。
3、安心ですね。
4、お東さんだそうです。
5、・・・
6、・・・
5、6の質問には答えにくい、というか、たぶん答えはない・・・。そういうことには、答えないで、微妙に話を変えて逃げました。
ボクが聞く限りのお寺側の、お寺をかわるときのルールというか仁義みたいなものをお伝えしました。
今のお寺から、新しいお寺へ、「お願いします。」という内容の礼をつくすということ。
今回の場合、当寺が、お東さんのお寺さんにご挨拶をするということ。
お寺をかわるというのは、物理的な事情ばかりでなく、感情的な問題の場合も多々。礼を尽くす(仁義をきる?)のが、感情的に難しい場合が多いというのも現実ですが。
どこまでも娑婆ですね。
おばあちゃんのところへ最後のおじょうはん。
おじょうはんのあと、遷座のおつとめをしました。おばあちゃんは、泣いて「娘のところへ行って、居られなくなったら戻ってきます。そのときはまたお願いします。」とおっしゃいました。
「はい。」とお答えしましたが、状況を思うと、今日がお別れの日だと思いました。
おまいりを終え、玄関を出て、路地から見える岐阜城の写真を撮りました。