第21回 本典勉学会
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7月29日、岐阜別院にて、本典勉学会。安方先生の真仏土巻の講義でした。

15分遅刻し、2講半聴聞して、法務へ。


過日、ご法事のあとのお斎の席で、質問を受けました。

「京都アニメの放火事件は許せません。あの犯人の男もお浄土に往くのですか?」

3つお答えしました。

“阿弥陀さまのお慈悲は、苦悩の一切衆生を救うというものです。阿弥陀さまは、救うと誓われました。”

“浄土往生は、わたしの問題と伺います。厳密には、第三者(犯人)のことは、わからないし、わからないことは言わないというのが、スジかなと思います。わたしが、お慈悲を聞く、お念仏するというご縁をよろこびたいですね。”

“とはいえ、亡き方を偲ぶとき、ほとけさまになられたと手を合わせるのも私たちですし、例えば放火犯人のような人が同じく浄土往生するということが、納得いかないというのも私たちです。その感情は、人の感情として否定できないと思います。”


質問をされた方は、なんとなく言いくるめられた感じだとおっしゃいました。


安方先生の講義の中で、小児往生の話がありました。ご門徒さんからの質問のこととともに、住職として、他力に敵う答えができるよう、もっと勉強しないとと思いました。

他力ゆえ、難しいとなれば難しいし、易しいとなれば易しいはずなんですが・・・。


ボクが早退したあとの講義(ご法話)が、ありがたかったとあちこちからの情報。生で聞きたかったです。







by e.wash-r | 2019-07-29 23:50 | お聴聞 | Comments(3)
Commented by みちのくからお念仏 at 2019-08-01 12:27 x
先生、こんにちは。
梅雨明けから一気に夏本番の暑さが続きますね。どうぞ熱中症や冷房での体調不良には十分お気を下さい。

岐阜県といいますと、有名な多治見市がありますね。一体どのような暑さなのか気になるところです。まさに暑さ上位の土地を有する岐阜県の夏はなかなかのものかと推察いたします。

「別院にて本典勉学会。真仏土巻の講義」

なんと、うらやましい。
わが教区で、教区内僧俗が聖教や本典の勉学できる機会は未だにありません。意欲もさることながらその機会すら無いのは辛いところです。僧侶や学階学僧が個々に研鑽するしかないのが辛いところです。

先月、初めて本山安居に数日だけですがお邪魔いたし素晴らしい経験を得ました。そして安居参加の方々から自分の勉学の足りさなを痛感するばかりでした。10~20年前、若い頃にもっと勉学できたのに、しておけばこの程度ではなかったのに…と後悔ばかりです。

「少年老い易く 学成り難し」
しかし、年齢に関係なく
「今、法をよろこべるなら今が聴聞盛り、今が聞法青春」
だと感じます。

来夏に安居専修科で一から始めたい思いになりました。
Commented by みちのくからお念仏 at 2019-08-01 12:49 x
つねづねのブログ更新、有難うございます。

「京都アニメの放火事件は許せません。あの犯人の男もお浄土に往くのですか?」

オウム事件から30年?でしょうか長く経ちましたがその当時も「オウムの教祖でも浄土真宗では救うのでしょうか」
という質問が多々あったそうです。
私でみれば「あの教祖が救われる・仏となれる」のは納得できませんが、人間の知識を超えた大悲の如来さまなら「十方衆生目当てで選び分けぬ」お救いですからオウム教祖も京都アニメ社放火殺人犯も救い摂るのが如来の仏心でしょう。

そうなりますと、ふと思い出すのが歎異抄の第13章のお言葉です。
かなひぬべき業縁なければ害すことはなく、かなひぬべき業縁あれば一人どころか百・千・万でも、戦争となれば当たり前のように害する「業縁」を持つのが私と思うばかりです。

小児往生ですね。本願も分からない、十念もまだ出来ない、名号を聞いても信心歓喜はまだ難しい年齢。なかなか深い質問ですね。

宗祖が行巻で引文された「大阿弥陀経」に
「諸天・人民、蜎飛蠕動(けんぴねんどう)の類、わが名字を聞きて慈心せざるはなけん。歓喜踊躍せんもの、みなわが国に来生せしめ、この願を得ていまし作仏せん。この願を得ずは、つひに作仏せじ」とあります。

阿弥陀如来の救済対象は小児もペットも蜎飛蠕動も目当てとし救おうと分け隔てなく対象に差を付けずにはたらく為に成仏されたのですね。
Commented by みちのくからお念仏 at 2019-08-01 13:07 x
ふと、歎異抄を思い出してみますと「深いことをお示し下さっているなあ」と感じ入ります。

[第5条]
「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。」

この時期ですから先祖供養と読経の功徳回向有無という観点もありますが、仏のまなこで見れば「一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり」ですね。

加害者と被害者は過去世前生では、父母・兄弟かもしれない。愛おしい間柄も有りえる。それが無明の迷いによって相手を否定し存在を消しても構わないという悲しみを作る。仏法では無関係も抹殺してもいい不必要な命など無い訳ですね。

しかし、本願を疑い迷いに沈み私達にはそれが分からないので煩悩に惑い自分の損得価値観で命とその存在を切り捨ててしまう。

最後に思うのは、仏力によって浄土往生させていただいた後には還相回向する訳ですから、その殺人犯をも還相の菩薩として救おうとは力を尽くしていくのでしょう。

まさに人智を超え人心では計り知れぬ名号を通した不可称不可説不可思議なお救いですね。
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