当地には、50回忌に、お赤飯を炊く習慣があリます。(炊かなければならない、ということではなく)
同じように、お取り越し報恩講に、お赤飯を炊くというご門徒さんもあります。(炊かなければならない、ということではなく)
”親鸞さまは小豆がお好きだった”という伝承を受け、いわゆる報恩講料理としてつくられることの多い小豆料理のひとつです。T家では、毎年、栗入りの赤飯というお手間入りです。
ボクがいただいたことのある、それぞれのご門徒さん特有のお取り越し報恩講のための料理は、赤飯、ぼた餅、いとこ煮(ぜんざいのような甘いもの、小豆の入ったけんちん汁のような塩味のもの、があります。)、ぜんざい等、という小豆料理。
小豆料理ではありませんが、手作りの甘酒、混ぜご飯、自然薯の汁、干し柿等を、お取り越し報恩講の定番にしていらっしゃるご門徒さんもあります。白いご飯が報恩講のご馳走だ、とおっしゃるご門徒さんもあります。(白飯が食べられなかった時代の名残。)
当地では、ハレの日には、赤飯、ぼた餅、混ぜご飯等々を作る習慣もあるので、報恩講料理ということではなく、特別な日の流儀ということなのかもしれません。そういう意味では、いわゆる盆・正月、祭りと並んで、お取り越し報恩講は、ご馳走を食べることができる恒例の日だったのだと思います。
宗教や共同体において、「儀礼」とともに「食べること」は大切なことだと思っています。ご往生されましたが、寺に帰ってきたボクを、ずっと育ってくださった総代さんは、常に「食べること」「お斎」を大切にするようにと、ご指導くださいました。
激しい時流のなか、新しい何かを模索することと同様に、足下を見据えていくことも大切にしないとね。(宗政?への皮肉ではありません。自坊のことです。)
宗門のシゴトとして、各地のこういう習慣を(報恩講料理に限らず)、真宗風土として、体系的に、それが無理なら断片的にでも、調べておくといいのになあ、と思ったりしています。
ボチボチ、お取越がはじまりました。年内は、膝と喉と胃の試練の日々。