『歴史を語る会』主宰のMさんが往生されて3年。現役のお二人も90歳を超えられ、会は実質休止状態です。
が、Mさんの後を継いで、Sさん・Yさんと若院が、以前とはまた一味違ういい雰囲気でつどい、自然発生的に『歴史を語る会』の第2部が始まったような感じになっています。
明治以降の正蓮寺境内伽藍の変遷を、少ない資料と、ご縁の方々の記憶を頼りに辿っています。
そんな中、86歳の前坊守と92歳の叔母の話を聞く機会を設けようということになりました。
Sさん、Yさん、前坊守、若夫婦で、上石津S寺の叔母を訪ねました。
・濃尾震災で全伽藍が倒壊したあと造られた旧庫裏御堂。
・前住職の代にほぼ平坦に造成される前の、石垣で構成された立体的な境内。
叔母も前坊守も、凛としており、100年以上前から50年ほど前までの当寺のだいたいの姿を聞き取ることができました。
過去に執着することを仏教は是としません。というか、すべての執着を苦の因とします。
ボクたちが執着を離れる道を生きようというのであれば、過去を詳らかにすることは、必要のないことなのかもしれません。分別する身である以上、知見は執着を増やします。
ボクたちの日暮らしは、分別執着から離れられません。怪しい日暮らしならば、知見は多くてもいいと思うのです。正しい判断などできないとしても、です。
理屈としては、そんな思いで、過去を辿っています。
Sさんは、叔母が小学校の教員をしていたときの教え子。再開をよろこんで、Sさんは、叔母に花束贈呈。
70年ほど前の昔話にも花が咲きました。それも記憶に留めておこうと思います。
家庭で、親から子に伝わったことが、今回は、長老から思いのある初老に伝わりました。その場にー若夫婦が同席してくれたことに、つくづく感謝です。