山の中の火葬場からの帰り、小さな峠を越えました。
洞の奥まで拓けた水田の脇に、風情のある小屋が見えました。里から離れた田畑なので、専用の農具等が納めてあるのだと思います。
山仕事の場合は、山の中の作業・宿泊用の小屋を、『杣小屋(そまごや)』といいますが、農作業用の小屋の場合、何か呼び名があるのでしょうか。
飛騨の山の中で、雪の中、杣小屋に泊まったことがあります。
炊事用具と食器がおいてありました。印象深かったのは、壁に作りつけた板の棚に、軍服を着た若い兵隊さんの写真が置いてあったことです。想像ですが、戦死なさった息子さんか、ご主人なのでしょう。言い尽くされたことばですが、誰もいない山の中でも、戦争・戦後は終わってはいませんでした。
小泉純一郎という人が靖国神社に参拝したことが話題になっています。
彼が言うように、彼の信仰であり心情ならば、何の気兼ねもなく、一国の首相らしく堂々と参拝するべきだった、公人とか私人とかいうまやかしはするべきではなかった、ボクはそう思っています。
信仰や心の問題といって神妙な顔をしつつ、どこかでちゃっかり計算をして、政治的なかけ引きがなされているところに、そのパフォーマンスに、ボクは不快感をおぼえます。
ボクには、杣小屋に写真を置いた人の気持ちと、小泉純一郎という人の気持ちが、同じとは思えません。小泉さんが、もし同じだというなら、ゆるぎない行動をとらないといけない、それが無理なら、裏で陰で、こっそり行動し、誰にも認められなくても自分だけが納得していればいい、そう思います。そうでないと、むしろ、多くの人たちの信仰や心情を冒涜することになると思うのですが・・・。
人のことは何とでも言えますので、一応自分の場合どうかというと、信仰は自己完結、聖者ではないので、裏表のある人間です。