『二つの道』・『白い道』
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ある研修会に出席し、法務省企画の『二つの道』という映画を観てきました。

簡単に、すこし乱暴にいえば、非行少年が、彼を見守り支える周囲の人たちのあたたかい眼差しによって、更正の道を歩むと言う内容です。

解説によれば、『この物語の本当の主人公は、彼を取り巻く周囲の人々であり、そしてこの物語を見ている皆さん一人一人なのです。』とあります。


言いたいことはわかります。でも、人間のあたたかい眼差しで、本当に人は変るんだろうか?と、ボクは思うのです。確かに、あたたかい眼差しは必要かもしれませんが、詰まるところ、本人の意識改革がなければ、なんともならないことです。意識改革においては、あたたかさや優しさだけでなく、厳しさや冷たさ、無関心すら、同等に重要な要素なのです。

そもそも、人間のあたたかさや優しさほど、危ういものはないとボクは思っています。人間のあたたかさや優しさは、多くの場合、極めて利己的と考えていいんじゃないでしょうか。

だから、重要なのは、欺瞞であっても、むしろ役割分担としての徹底したあたたかい眼差しや、厳しさだと思うのです。もちろん、普遍的にそうあることができるならば、それにこしたことはないと思いますが・・・。

例えば、この映画において、更正をめざす少年へのあたたかさはあっても、彼を取り巻く不良グループに対するあたたかさは、ほんのわずかもありません。むしろ、単なる社会悪として描かれるのみです。映画のストーリー上の問題ではなく、それがリアリティを持っていることに、ボクたちの実は偏狭な眼差しを、見せつけられたような気がします。


甘ったるいほどの優しさから、全くの無関心まで、すべて混在するのが人間の世界であり、そこでボクたちは、都合よくそれらを選び、責任を転嫁して、生きているのかもしれません。



さて、『二つの道』のどちらかを選び、その選んだ道を行くという歩みは、まさに、人の歩み。

信仰の歩みは、たしかなほとけさまの慈悲をよろこぶという歩みです。
貪りと怒りに覆われてはいても、たしかな慈悲の『白い道』が足下に広がっていると、安心して歩む、そういう歩みがあるのです。
by e.wash-r | 2006-04-08 00:24 | 智慧と慈悲 | Comments(4)
Commented by 西蓮 at 2006-06-09 13:25 x
二つの道・・・
『お正信偈』では、信疑決判ですもんね!
「人は生まれたら、そこには二つの道が広がっている、
一つは三悪道、もう一つは西方の都。
相変わらず、二つの道の別れ道に居るか、
すでに 白道 に居らせていただいているか を 教えて下さる。
単に 二つに一つを選べ!とゆう元祖・宗祖の御意図ではないはず・・・
どんな者にも、お浄土から、私の足下にまで
救いを用意して下さっている本願成就の道が届いている!と。」
お互い、道が一本だけに決まって、よかったですね 

Commented by e.wash-r at 2006-06-11 02:34
宮崎先生は、「道というと線みたいですが、面なんですよね。」とおっしゃいました。"よかったですね"ということばと重なります。

西蓮さま
Commented by 西蓮 at 2006-06-11 19:39 x
なるほど・・・
面。
まのあたりにある って 事ですもんね!
さすが 宮崎先生m(_ _)m
有難いです。

Commented by e.wash-r at 2006-06-14 03:54
「話していて、とっさにそう思った。無限に広がる面。」ともおっしゃっていました。

西蓮さま
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