ある合唱団が、25周年を迎えます。いままでは、そういう節目に、記念にと、トロフィーや盾をつくっていたそうです。今回は何にしようかという話題になった時、ある方が、『紅白饅頭というのはどう?』と言われたそうです。
なんとなくほのぼのとする話です。
ボクたちが子どもの頃は、今から30年以上も前のことですが、村で結婚式があると村内に紅白饅頭が配られました。小学校の運動会でも、最後に紅白饅頭をもらって下校したものです。それも直径が10センチほどある大きなものでした。
何かのキッカケで、なんとなく、ある時期、大きな『紅白饅頭』という、言わば文化というか風土が生まれたのだと思います。
そういう時代を過ごしたボクにとって、『紅白饅頭』というのは、好きとか嫌いとか、おいしいとかマズイとかには関係なく、何とも心に染みる食べ物であり風物なのです。
仏事とは何か、宗教儀礼とは何か、と言うことにを専門的に定義することはできるでしょう。でも、それを理解することと、『仏事にあう』ということは同じではありません。仏事は、苦もあり楽もある煩雑な日常のなかで、時に不合理さも含めて、まさに節目としての仏縁として成り立つものだからです。
仏事にも押し寄せてきている合理化・簡素化の波に、何かさみしさを感じます。
準備の煩わしさ、仏事でしか食べないような食べもの、久しぶりに会う叔父さん叔母さん、正座の足の痛さ、死の悲しみ。すべて仏事の内。
仏法のない話をしているつもりはないんです。
『紅白饅頭』とおなじように、現象として現前と『仏事』はあり、そのすべてを見通して、摂めとってくださる如来の慈悲がそこにあると思うのです。
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『西蔵坊だより』は、 森鏡山 正蓮寺の住職の日記です。
仏教のこと、山や川や海のこと、TIBETのこと等、思いつくまま書いています。
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