2001年12月15日、『私たちは、なぜチベットをめざしたか』と題し、「日本人チベット行百年記念フォーラム」が行われました。
その記録と解説・新たな書き下ろしによって構成された『チベットと日本の百年』中の「雷鳴、冷雨の暗いチベットから」という色川大吉氏の1編より抜粋。
暗い陰鬱なチベットを何度も経験した。だから私には鼻唄まじりのルンルン気分で歩くようなチベットは語れない。・・・
・・・悪路を五体投地でラサを目指す娘たちがいた。見ると、顔も手も荒れてささくれだっている。パンを喜捨し、「どこから来て、どこへゆくのか」と尋ねると、はにかんで答えない。この若い三人の巡礼は、私などの百倍も苦労してきたにちがいない。それなのに表情に不安や迷いや曇りがない。あどけなく、たくましく、幸せそうなのはなぜだろうか。何か根本的な問題を突きつけられたような気がした。それは数年後、カイラスの巡礼調査に行ったときにも念頭を離れることのない主題であった。
人間にとって生きるとは何であるのか、信仰や宗教とは何であるのか。人をあれほど自足した豊かな表情に変える力を持つ思想はどこから来るのか、考え込まないではいられなかった。
シガツェで隊員の一人が高山病で急死した。ラサのセラ寺の裏で鳥葬にしたとき、鷲たちに天空に持ち去られていく友の肉片を見上げながら、生と死の境にいることを感じ、人間なにが幸せで、なにが不幸なのか判らなくなった。この世の向こうにある世界をイメージできる人たちと、虚無しかないと観念する人種の断絶を、彼我の立脚点の差を超えて自覚したのである。
ラサ、セラ寺の鳥葬が行われる岩場 1998・夏
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『西蔵坊だより』は、 森鏡山 正蓮寺の住職の日記です。
仏教のこと、山や川や海のこと、TIBETのこと等、思いつくまま書いています。
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