復元された渡海船
龍谷大学の岡本善史先生が本願寺新報に連載されている『歴史の中に聖人を訪ねて』。
8月20日号には、平安時代の末法思想と浄土願生のことが書かれ、那智勝浦の補陀洛山寺の補陀洛渡海のことが紹介されていました。
いくつもある仏の浄土のうち、南方の海上にある観音菩薩の浄土のことを「補陀洛」と言います。(「補陀落」「普陀洛」とも書き、"ふだらく""ほだらく"と言う。)その補陀洛浄土への往生を願い、南へと船をこぎ出してゆくことが補陀洛渡海です。
数年前、法友と奈良・和歌山をめぐったとき、たまたま通りかかって参拝したお寺が、補陀洛山寺でした。住職が補陀洛渡海する慣わしがあったことで有名なお寺です。
当初、補陀洛渡海は補陀洛浄土往生を願う捨身行として行われていましたが、次第に、「補陀洛山寺の住職は、60歳になると渡海船に生きたまま閉じこめられ、南の海に向かって流される」という儀式へと変化していったそうです。
金光坊という住職が、死を恐れ、渡海船から逃げ出した事件を契機に、この儀式はなくなったそうです。様々な評価がある話だと思いますが、個人的には、こういうおぼつかない人間のエピソードが好きです。
今回の『歴史の中に聖人を訪ねて』の中で、岡本先生は、"親鸞聖人のお示しくださった浄土信仰は、単なる来世主義でないことが重要である"という意で結ばれています。
ほとけさまの慈悲のめあては、ボクたち、おぼつかなく死を恐れるものです。
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仏教のこと、山や川や海のこと、TIBETのこと等、思いつくまま書いています。
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