1945年7月9日、岐阜空襲。
午前9時から『平和の鐘』と称して、梵鐘を撞きました。ボクはおまいりに出ていたので、撞いたのは坊守ですが・・・。
岐阜別院で婦人会の研修会。坊守と婦人会長さんが参加。
7月9日は、婦人会長さんの誕生日。研修の帰り喫茶店でお祝い。
法友Sm師から電話。「いっしょに誕生日お祝いしない?」
7月9日は、次女とSm師の奥さんの誕生日。
夜のおまいりがあるボクは不参加でしたが、ふたりの誕生会だったそうです。
岐阜空襲に限らず、終戦直前は全国各地の街が空襲に遇っています。
岐阜は、7月9日の岐阜空襲が最初の激しいものだったそうですが、それより少し前の同年1945年の4月12日、各務原市蘇原にB29一機が爆弾を投下しています。
当時、新聞はこの空襲を『被害なし』と大きく報じたそうです。実際大きな被害はなかったそうですが、蘇原S寺のご門徒さんから、次のような話を聞きました。
飛行機が爆弾を落とし、その爆発で吹き飛んだ屋根の瓦が自分の頭に当たりケガをした。次の日、新聞に『被害なし』と出たが、ワシの頭は被害にあっとる。ワシは岐阜で最初の空襲の被害者や。
報道されなかった64年前の戦争の記録としてlogを残します。
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