2013年 11月 01日 ( 1 )
今月のことば  「苦労は買ってでもする奴に売れ!」
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需給関係から言えば、当然そのような取引があっていいはずなのですが、今まで苦労を苦労として売買した人に遇ったことがありません。

たぶん「若いときの苦労は買ってでもしろ。」というのは、バーチャル(仮想)なんですね。

リアリティがあるとすれば、苦労が報われた人の話ということかも。

報われなかった苦労はどうなっちゃうんだろう?



組織・集団・倫(なかま)の内の理(ことわり)を倫理といいます。やるべきことするべきこと、という意味合いがあります。

一方、溢れ出るときめき、めまいのようなモノを遊びといいます。遊べと言われて遊ぶこどもはいないので、それはやるべきことするべきことではありません。やりたいことしたいことです。

やるべきことするべきことが好きな人は、より倫理的な人なのでしょう。自己より組織・集団・倫(なかま)を優先させることができる人なのだと思います。

ボクは遊びたいと思います。(倫理と遊びは相反する事柄ではありませんが)


なぜこのような理屈っぽいことを書いたかというと、なんとなく倫理(やるべきことするべきこと)と苦労は相性が良く、遊び(やりたいことしたいこと)と苦労は相性が良くないような気がしたからです。ボクの場合、倫理のために苦労することはあるだろうけれど、遊びのために苦労するとは言わないような気がするわけです。

要するに、ある種の苦労と倫理というのは同位相にあり、ときにそれは精神論というバーチャル(仮想)なのではないかと思うのです。苦労を買う人がいないような。

もう少し言うなら、倫理や苦労を他者に語るような精神論は、リアリティがないということの裏返しなのではないかと思うのです。

現場のない他人事として語られる倫理 や苦労って、迷惑ですよね。そんなことを思っています。



過日、偶然おふたりの方から、先生の人事についてあるお話を聞きました。(出所真偽は不明の話ですが)

最近の人事の方途として、地元に赴任という方針があるのだそうです。「地元で苦労せよ」ということらしいです。ボクなりに訳すと「しがらみがあり逃げ場のない地元で、余分に苦労せよ」ということかと。

こういう苦労って必要なのかなあ。現場にとって、その苦労って有効なのかなあ。


少なくとも苦労が必要だと考えている人は、苦労している人から買い取るというのが道理なんですけどね。たぶん、主導している人は、バーチャル(仮想)なんでしょうね。


この類のバーチャル(仮想)は、ある意味、根拠のない精神論であったりするわけで、他人事として語れる人、現場がない人、リアリティのない人の得意技だと、ボクは思っています。


だから、そういう人には、苦労を売ってあげましょう。


でも、よく考えたら、探しても苦労が見あたらないような・・・。





独善的な断定が多く、客観性に欠き、ブレもありますが、意図をおくみとりください。





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by e.wash-r | 2013-11-01 23:41 | 【今月のことば】 | Comments(0)