カテゴリ:愚考( 29 )
祖父のこと ー戦争のことー
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朝刊(9/11)に、母が戦中戦後のことを書いた手記と歌集のことが載りました。

戦中の中国での暮らしと、終戦と同時にはじまった日本への引き揚げのことです。

記事には、こどもの頃よく聞いた母の話とは、微妙にニュアンスの違う視点もあり、複雑な気持ちも少しあります。(メディというのはそういうものなのかもしれません。)


特務機関の吏員であったということからなのか、帰国後、当時のことは語らなかったといわれる祖父から、一度だけ戦争の話を聞いたことがあります。

ギャンブラーで、楽しいことをすることしか考えていない田舎の元気な老人だった祖父が、その時は別人のようでした。ひとりごとのように話し、スッと消えていった祖父のことを、異常に鮮明に憶えています。

自動車の免許を取り、車の運転をするようになって、やはり一度だけ、祖父と祖父が行きたいという場所を巡ったことがあります。

語らなかった戦争の話を、聞いておくのがよかったかどうかはわかりません。ただ、祖父が行きたい場所へ、もっと一緒に行きたかったということを思います。

自分の能力の範疇でなんとかなる、特別じゃない普通の日暮しということの難しさ。


平和の尊さや戦争の惨状の話はよく聞きます。でも、世界と日常が混沌とし、その中で戦争という手段を選んでいったプロセスや、そのときの市井の雰囲気を、ボクはほとんど聞いたことがありません。

戦争という手段を持ち得るものとして、ボクたちは、戦前のことを聞いておくべきなのかもしれません。






by e.wash-r | 2019-09-12 23:26 | 愚考 | Comments(0)
山のあなたの空遠く
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残暑の秋空に入道雲。

山の向こうの入道雲をみて、思い出したこと。


昔、永観堂で『山越阿弥陀図』を見たとき、なんとなく、初代『ゴジラ』の出現シーンに似ている、と思いました。

というか、初代ゴジラが山から顔を出すシーンは、山越の阿弥陀さまがモチーフなのではないかと、ボクは推論するわけです。


理想郷なのか、尽きない欲望の延長なのか、山のあなたには、なんとなく心踊らせる何かがあるような気がします。

山の向こうじゃなくて、山の手前でもいいので、どこかへ行きたいなあ。

毎日おまいりには行ってるんですけどね。


上の写真:山のあなたの入道雲
下の写真:ゴジラと山越阿弥陀図の写真を見比べて「似ているなあ」と眺めているところ。アウトかなあ。
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by e.wash-r | 2019-09-10 23:08 | 愚考 | Comments(0)
先か後か?
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第11期、9回目の黒野組連研。

2年で12回の連続研修なので、2年目の3回目ということになります。自坊壮年会例会と日程が重なるので、ボクが参加したのは3回目くらい。

今回のテーマは「信じない信心」。

当組は、「話し合い法座」という形式を踏襲しています。好みの問題なのでしょうが、ボクは苦手。

テーマについて「話し合う」のであれば、「自分の意見を述べてから、まとめの法話を聞く」のか、「おみのりを聞いてから、語り合う」のか。

ボクは、どちらかといえば、後者の方が好きです。

そんなこんなを、終了後、O師と朝まで激論。(対立したわけではありせん。)

という流れで、眠くて別院の16日のおあさじサボりました。







by e.wash-r | 2019-06-15 23:32 | 愚考 | Comments(0)
今日もムカデの話 ーたてわけということー
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暑い日でした。午後、X家にてご法事。汗をかいて三部経。

お取り次ぎをはじめて、1分くらい経ったところで、ボクとお聴聞の方の間にムカデ出現。普通に、ちょっと混乱。

「押さえて!」
「カーペットの下に入った!」
「そっち!」

そんな叫びが飛び交う中、冷静なX家次男のYくんが、いよいよ捕獲体制に入りました。Yくん、一瞬ためらってやはり冷静に質問。

Yくん:「こんなときに、殺生していいんですか?」

ボク「気にしない方がいいんじゃない!」

無事ムカデは捕獲され、仏間から運び出されて(その後どうなったかは知りません。)、お取り次ぎ再開。


ところで、『こんなときに、殺生していいんですか?』という問いへの答えは、どういうのがいいんでしょうね?

正解は、『そういうことを坊さんに聞いてはいけない。』だと思います。

坊さんには、難しいことはわかりません。経験もそれほどありません。だから、娑婆の有りようを尋ねられても、ひとりよがりの自分の意見を言うことしかできません。

こんなことを書くと、ある種のお坊さんからは批判を受けるかもしれませんが、生き方を語るなら、それはあさはかな人のただの私見だという認識が必要だと思います。そして、私見は仏教ではありません。私見なら私見として述べるべきで、わかってもいない仏教の教えから導きだされるもののように語ったり、教えにあったもののすがたのように語るのは、どう考えても、越権行為です。

『こんなときに、殺生していいんですか?』という問い。「消し去りたい。」という思いと「殺していいのか。」という思いの葛藤。そこにある苦悩。形こそ違え、生きているということはそういうことの繰り返しですよね。

たぶん仏教的な生き方などないのです。その苦悩を見据える慈悲があるのみ。「なんまんだぶ」だけです。


坊さんの言う娑婆のことは、あまり頼りにしないほうがいいと思います。


*写真は過去のものです。

*文に問題あるようなら削除します。




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by e.wash-r | 2019-05-12 23:32 | 愚考 | Comments(5)
お茶を飲みに行く

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連休中、なかなかまとまった時間が取れない。


帰省している長女が、3時間ほど空いたボクに、たぶん気を使って「お茶でも飲みに行く?」と誘ってくれた。


それを聞いていた母が、「家で飲めばいいじゃない。お金かからないから。」と、野暮なことを言ってきた。


母は、茶会から帰ってきたところである。


そもそもそ、お茶というのは、なんだかんだ理由をつけて、折々を楽しむというものではないのか?


経済観念で「お茶でも飲みに行く」という営みを一蹴する発言をするなどいうのは、茶道を楽しむものとして忌むべき蛮行だと思うのだが。


このようなことは、本来の楽しみが形式化されることによってよく起きる現象だ。ボクたちもよく陥る。



例えば、形式化した伝道は、事あるごとに発せられる宗門のスローガンのフレーズを、まさにその時だけ脈絡もなくスティロタイプに語ったりする。


形式化した勤式(仏事作法)は、事あるごとに定められる宗門の新しい作法を率先して取り入れ、それまで正統としていた伝統を一瞬にして上書きして過去のものにしたりする。



「お茶でも飲みに行く?」という一見煩悩まみれの軽いノリの、いかに清々しいことか。


飾った言動・形式化した楽しみは、いずれ変節したスガタを露呈するのだと思う。変わってしまった本質が顕になるのだから、それはそれで何の問題もないが・・・。


本質は本質なので、ある程度どうあってもいいと思うが、飾ること、形式化は、あまりかっこよくないような気がする。



たのしくない忠告には従わず、ちょっと気晴らしにお茶を飲みに行ってきました。







by e.wash-r | 2019-05-04 22:19 | 愚考 | Comments(0)
「REIWA」考
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「令和」という元号の時代を迎えました。

個人的に思うことは、どうしてもお位牌等、人目につく書き物をしなければならない身としては、「令」の字は難しい、ということです。

少し練習しましたが、なかなかうまく書けません。


もうひとつ、個人的に・・・。

「REIWA」という響きがなかなかいいなあと思います。巷の意見もおおよそそのようです。

その因を訪ねてみました。

たぶん「REIJOU WASHIOKA」に起因すると思います。



いい時代にしたいですね。




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by e.wash-r | 2019-05-01 23:58 | 愚考 | Comments(0)
注意書き
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稀有のハプニングの連続で疲れていて、夜のなるともう起きていられなくて、blog滞っています。

あまり空けてもと思い、葬儀場のことで、常々気になっていることを少々。


ご遺体を火炉まで運ぶ台車は、なぜ、電動なんでしょうか。


普通に人力で押した方が、スムーズなような気がするのですが。

炉に納めるときも、電動でリフトアップなくても、人力でハンドルグルグル回すような仕組みのほうが、微調整しやすいと思うのですが。


如何?


それと、岐阜市営のの火葬場のエントランスの壁のオブジェが気になっています。

壁をくり抜くような感じで、黒い半球の空間があり、底に白い札が置いてあります。

「はいらないでください!」という札も、シュールですが。

「ここにものを置かないでください!」と書いた札がて置いてあれば、なかなか洒落たジョークになると思うのですが。


とりあえず書いただけ、という感じのlogになりました。




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by e.wash-r | 2019-04-18 00:13 | 愚考 | Comments(0)
仏の子は いつも本当のことをいいます
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指を組んで、右親指が上になる人は、情報を左脳で(論理的に)理解

指を組んで、左親指が上になる人は、情報を右脳で(感覚的に)理解


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腕を組んで、右腕が上になる人は、理解を左脳で(論理的に)伝達

腕を組んで、左腕が上になる人は、理解を右脳で(感覚的に)伝達


2018年、上記のようなlogを残しました。

ボクは、上記の写真の通りで『論理的に理解し、感覚的に伝達』するタイプらしいです。



最近、同じく右脳・左脳の話の中で、『論理的に理解し、感覚的に伝達』するタイプというのは、『理想と現実のギャップに苦しむタイプ』であり、結果、要するに『細かいことはどうでもいい』タイプなのだという記事を読みました。


細かいことはどうでもいいのですが、最近、苦しんでいる理想と現実のギャップ。


4月2日の日曜学校・こども会の本山参拝で、阿弥陀さまと親鸞さまの前で、子どもたちと一緒に、『仏の子は いつも本当のことをいいます』と大きな声で「ちかい」ました。

こどもたちは、素直なので、本当にそう思って「ちかい」を述べたのだと思いますが、ボクは「いつも本当のこと」を口にすることの難しさを知るずるいオトナなので、「いつも本当のこと」を言いません。

そういうオトナが、子どもたちに「ちかい」を言わせていることに、得も言われぬ苦しさを感じていました。所詮、人の「ちかい」なのだから、気にすることでもないのかな、とは思うのですが・・・。その程度のことなら、わざわざ言わないほうがいいよね。


そう思いながら、ところで「本当のこと」って何なのかな?と真面目に考えました。


例えば、です。

ボクの思っていることに、おおよそ真はありません。真は「ほとけさまのおこころ」です。

「 煩悩具足の凡夫 火宅無常の世界は よろずのことみなもてそらごとたわごとまことあることなきに ただ念仏のみぞまことにておわします」(歎異抄・後序)です。


そうか、「本当のこと」というのはお念仏のことか。

『仏の子は いつも本当のことをいいます』というのは、『仏の子は、いつも「なんまんだぶ」と言います』の意だったのか。


妙に納得はしてはみたのですが・・・。それにしては遠回しだなと思ったりして。


本当のことは言わないほうがいいずるいオトナのたわごとです。






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by e.wash-r | 2019-04-10 23:49 | 愚考 | Comments(2)
カレーヌードルを食べる理由
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『まんぷく』が終わりました。

知らなかった「日清食品」の歴史はわかったかなあ、という感じ。

朝ドラのコンセプトとは、ちょっと違うんじゃないかなあ、という感じ。


さて、山では「カレーヌードル」を愛用しています。(前にも同じこと書いたかも。)

お湯を少なめにして、スープを全部飲むことができるからです。

ボクが属していた山のクラブには、「山には、下界のモノを残さない!」という掟?がありました。

当然といえば当然ですが、ゴミ、食べ残し(残ったスープも)等を捨てることは、ご法度ということです。(糞尿は残してましたが。)

『山のデリケートな自然に、栄養満点の下界の人工物は残さない。』というのは、科学というよりは哲学、哲学というよりは道徳倫理だと思っていました 。

また、一方で、『山は何でも受け入れてくれる。全て自然に還る』という理屈で、何でも埋めてしまうクラブがありました。宗教だと思いました。

とりあえず、道徳倫理の方が染み付いていて、カップラーメンのスープは飲み干さなければならないという強迫観念があります。

飲めなかったら捨てるしかないし、いくらか濾過しているとはいえ、生理的に捨てるモノは捨てているんですが。

道徳倫理はその程度のこと、ということです。

そのうち、カレーヌードルがカップ焼そばに変わる日が来るような気がします。









by e.wash-r | 2019-03-31 23:05 | 愚考 | Comments(0)
屋根裏で起きていたこと
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・1階の天井裏に銀杏の実入りの糞。

・2階の屋根裏に銀杏の実を食べた殻。

このふたつの痕跡とハクビシンのことに詳しいYちゃんの知識を受け、ひとつの推論。


1、ハクビシンは、境内の銀杏を大量に食べている。
2、ハクビシンは、銀杏の皮(果肉)だけを食べる。
3、ハクビシンの糞には、銀杏の実が入っている。
4、ハクビシンは、一階の天井裏に侵入している。

結論、銀杏の実入りの糞はハクビシンのもの。


5、ネズミは、銀杏の実を食べている。
6、ネズミは、銀杏の実の殻を残して食べる。
7、ネズミは、2階の屋根裏に侵入している。

結論、2階屋根裏の銀杏の殻は、ネズミが食べた残り。

推論、どうも、ハクビシンの糞の中の銀杏の実を、ネズミが食べているらしい。







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by e.wash-r | 2019-03-12 00:04 | 愚考 | Comments(0)