カテゴリ:愚考( 19 )
手前味噌考
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一昨日の法事のお斎の席。和食の店A。

北陸から嫁いでこられたJさんが「なかなか岐阜の味に馴染めません。」とおっしゃいました。

ボク:赤味噌とかですか。濃い色が受けつけられないとよく聞きます。
Hさん:色だけじゃなくて、味もです。
ボク:・・・

(美味しいんだけどなあ・・・)と味わって、赤だしをいただきました。


本日、昼、Mさん手作りの白味噌の味噌汁。
浮いた豆腐とネギとなめこがきれいでした。
美味しかったです。

本日、夜、Hさん手作りの郡上味噌のじゃがいも入り味噌汁。
郡上味噌の素朴な味。
美味しかったです。

「みんな違って、みんないい」というのは、一般論化するんじゃなくて、たまたまこういうことがあったときに使うとちょうどいいんじゃないかなあと思った次第。


製法とその文化からしたら、味噌という一括りなんでしょうが、そもそも、味噌というのは、それぞれ、味も材料も作られる風土も全く別。
目玉焼きに、ウスターソースと醤油とケチャップと塩のどれをかけるかというくらいの違いがあるような気がします。

ということからすると、手前味噌というのは、手前(私)とあなたは、味噌ほど違う、要するに醤油とケチャップほどに違うと言えるのかも。
”味噌も糞も”とも言うし・・・。


昨日今日、たまたまあちこちでごちそうになった味噌汁が全部美味しかったということを書きたかっただけです。



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by e.wash-r | 2019-01-27 23:01 | 愚考 | Comments(0)
総代さんのありがたさを思う
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無給の国家公務員というものが法で定められて存在します。

字面だけ見れば「公僕」とはこのことかと思う次第。非常勤ながら、縁あってボクはそのお役を引き受けています。


その”自主”研修というものを受けてきました。所轄官庁の方が、新年の挨拶のあと、そのお役の人員不足・老齢化という問題について述べられました。要するに、なり手がないのです。

(宗教の社会貢献を言うお坊さんには、消防団、水防団、このお役をおすすめしたいです。)


そのお役の”なり手がない”ということについて思ったこと。

無給で、主な職務の時間はおおよそ平日の夜か土日、ということを考えれば、所轄官庁の職員さんが勤務時間外に、まさに無給ですればいいのに、と思ってしまいます。ボクたちも普通に自分の勤めのなか、その職務を担っているわけなので、条件は同じではないかと思ってしまうのです。僻み、やっかみかもしれませんが。


そう思って、ふっと総代さん方のことを思いました。

お寺のために一生懸命尽くしていらっしゃる総代さん。「総代のシゴトは、ご院さんがすればいいのに。」などとはおっしゃいません。ほとけさまのため、おみのりのため、お寺のため、宗門のため、それだけです。

そのことを思うと、住職として、やることやらないといけないし、言っては(思っては)いけないことがあるなあ、と真摯に思いました。

非力ながら、少しはお国のシゴトもしないとね。

成り行きで、引き続き来年度も、相応に大変なシゴトの担当になりました。ちょっと気が重いです。イヤとは言えないし・・・。なお、でも、愚痴は言うことにします。



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by e.wash-r | 2019-01-10 23:57 | 愚考 | Comments(0)
路上の思索
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町のあるガレージでみかけた『ワンちゃん、猫ちゃんの飼い主の方へ』というの貼り紙。

論理的に言えば、「ワンちゃん」ならば「ニャンちゃん」、「猫ちゃん」なら「犬ちゃん」という関係が妥当かと思うわけですが、特に違和感は感じません。


この張り紙を見て、ふっと、いわゆる本尊論について、思ったわけであります。

本尊論というのは、「名号(南無阿弥陀仏という声の字)」と「絵像(阿弥陀さまの絵)」と「木像(阿弥陀さまの木像)」、どれがいいか?みたいなこと。(かな?)


『ワンちゃん、猫ちゃんの飼い主の方へ』で、意味がわかっちゃったボクとしては、要するに、「ワンちゃん」でも「犬ちゃん」でも「ニャンちゃん」「猫ちゃん」でも、まあどれでもいいということになるわけで。

少し付け加えるなら、犬がワンと鳴く、猫がニャンと鳴くと知っていればこそではありますが。


ただ、「ワンちゃん」と「ワンコちゃん」、「ニャンちゃん」と「ニャンコちゃん」の違いを問われると、それは???なのであります。


悪ノリして、ゴメンナサイ。



・・・ところでみなさーん、16日は岐阜別院の朝粥の日ですよ~。






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by e.wash-r | 2018-12-15 23:29 | 愚考 | Comments(0)
桃太郎の桃のはちまき
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高校の頃、『ロッキング・オン』という雑誌に大友克洋が連載していた童話のパロディを楽しみに読んでいました。

『金の斧、銀の斧』の編は、誤って斧を池に投げ込んだ木こりの前に、頭に金と銀と鉄の斧が刺さった血まみれの女神が池から現れるというものだったように記憶しています。

その頃からずっと思っていること。

桃太郎のはちまきの下には、おじいさんが桃を割るとき、勢い余って桃太郎の額につけてしまった包丁傷が隠されているのではないかと・・・。

ネットで軽く検索してみましたが、そういう記述は、自分のblog以外に見あたりませんでした。ひょっとすると、出生の秘密の重大な証拠を、ボクは暴いてしまったのかも知れません。


その桃太郎の物語について、もうひとつ、ボクが気になっている記述があります。

tumblrで流れてきた”お婆さんに拾われなかった桃の流れ着く先が鬼ヶ島なのではないか。”という誰かのつぶやきです。

しみじみ味わってしまうわけです。


さて、11月21日の黄鐘会の挨拶で、何か気の利いたことが言えたら思っていたところに、tumblrで面白いつぶやきが流れてきました。

”天狗はピノキオが野生化したもの”

我が身を省みると、ちょっとゾッとすることばです。

ところで「天狗」って何者?と思い、お手軽にネットで調べてみました。そのなかの一説に、仏教を間違って解釈したもの、つまり増上慢のものが陥る世界を天狗道というものがありました。

「天狗になる」という慣用句が、「自惚れること」「慢心」を意味することを思うと、一説とは言え、なかなか示唆に富む話だと思います。


嘘つき(妄語)のピノキオが、野生化して増上慢の天狗になる・・・

私を語っても、あまり真実はありません。放っておくと道を外れ、うぬぼれの塊になる・・・


耳の痛いことです。


ということで、やっぱり阿弥陀さん。「ピノキオであっても、天狗になってしまったとしても、今日は、ただほとけさまのお慈悲の話を聞きましょう。」という挨拶をしました。



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by e.wash-r | 2018-11-30 23:15 | 愚考 | Comments(0)
モザイク有り
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23日夕刻、友人から、何かただごとならぬLINE。

そのことについて、夜中にようやく確認。

以下のように、友人に返信しました。(プライベートな文なので、全文そのままには、とても転載できません。)



『読みました。ため息ですね。

中央には、物言える人いないんですかね。

****************************************************かな。

「*さま」の部分を「いつくしみ深き友なる***」にしても、「全能なるアラーの*」にしても、「将軍さま」にしても、大丈夫な文ですね。**************************************がにじみ出ているような気がします。

せっかくなら、小学校の道徳の教科書に載せてもらうように運動したらいいのに。

宗教色がないから、と意外と採用されたりして。

もう一度、ため息です。』



一部を伏せ字にしなければならないさみしさ。

これは、「踏み絵」か、それとも当流「文化大革命」がはじまるのか・・・。


「私たち」のことだから、そらごとたわごとまことあるなきに、そう聞けばいいか・・・と思ってはみるのですが、悲しい。


自己満足のわかりにくいlogで申し訳ありません。
ちょっと違うけど、以前のlogのこんな気持ちです。






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by e.wash-r | 2018-11-23 23:25 | 愚考 | Comments(0)
手前味噌、若しくは机上の空論
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Tumblrで、”アメリカの諺に「机の上を整然ときれいにしているやつの頭の中身は大体空っぽ」というものがあるらしい。”というテキストが流れてきました。

信憑性は???だと思います。軽くsurfingしてみましたが確認できませんでした。


「机の上を整然ときれいにしているやつの頭の中身は大体空っぽ」かどうかはわかりません。でも、少なくとも、机の上が雑然としているボクの頭の中は、雑念・妄想でいっぱい、ということは自信を持って言えます。


ところで、本題とは直接関係ないですが、「頭の中が空っぽ」というのは、お悟りとも言えなくはないわけで。
かと言って、机の上をきれいにすれば、お悟りに至るというわけではないわけで。


整然としていなくてもいいような気になってきます。



・・・とりあえず、仕事はかどっていません。




by e.wash-r | 2018-11-09 23:42 | 愚考 | Comments(0)
世のため人のため
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浄土真宗の生活信条は、勝如上人が1958年発布の『御消息』でお示しになられたものです。

ある方が、「私は前半で十分。」の意を、”本当はそんなこと言ってはいけないんだけど・・・”と遠慮気味のおっしゃったことがありました。

”本当はそんなこと言ってはいけないんだけど”、ボクもそう思いました。



人のせいにして、続けます。


tumblrで流れてきたテキスト。

【1対1なら「あなたのため」、世間に向けては「世のため人のため」。これを口にしただけでその人の信頼度は大きく低下する。】

性格の悪いボクは、「そうだよな。」と思うわけです。

さらに余分なことを言うようですが、自分の行為を自ら「報恩行」と言うのも、なんだかなあ、と思うわけです。すればいいし、したのならそれだけのこと、じゃんじゃん、でいいんじゃないかなあ、と。なお、ボクも「御恩報謝」「報恩行」と、さんざん言いますけど。



浄土真宗の生活信条の4番目。

み仏の恵みを喜び 互いにうやまい助けあい 社会のために尽します


そうなんだけど、社会というのはそういうものであり、それでもそうはいかないところに、み仏の恵みはそそがれているわけで・・・。




*毎度のことですが、宗門人として問題がある内容だったら、即、消します。



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by e.wash-r | 2018-11-07 22:28 | 愚考 | Comments(0)
家族葬とか
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いわゆる「家族葬」が増えてきました。
「家族葬」の定義がないので、「家族葬」云々の話はややこしいいことになります。

以下は、いわゆる近隣縁者のとりもつ従来の葬儀ではなく、家族(身内)で完結させようとする葬儀を「家族葬」と仮定しての話しです。

このごろ、このような形態の葬儀の場合、いわゆる「出棺」のとき(自宅から葬儀場へ向かうとき)に、通夜葬儀に参列されない近隣の方々がお見送りされることが増えてきたように思います。考えてみれば、新しいけど、実は古いパターン。

儀礼儀式というものは、原則をなんとなく踏襲しながら、なんとなく変わってゆくものなのかも知れません。


お参りの方々が、家族兄弟だけ、という法事も増えてきました。


思うことは、「家族葬」であっても、家族兄弟だけの法事であっても、それでもまだ、ご院さんがいっしょということです。

祖父(先々代)が常に言っていたこととして伝え聞いていることがあります。

ご門徒とお寺の付き合いは、親戚よりも長い。
親戚付き合いは、せいぜい3~4代。
ご門徒とお寺は、開闢以来。


確かに、たとえば、本家さんがいらっしゃらない法事でも、ボクはいるわけで。

世の中どんどん変わっていくんでしょうが、ボーズとしては、最低限、まだつながっているご縁にあったならば、そこで最大のパフォーマンスをしたいと思うわけです。


またカッコいいことを書いてしまった・・・
そのうちカッコ悪いことになりそう・・・



*写真は、Xさんの出棺を見送る近所の方々。数年前。


◆最近、疲れがとれません。昨晩遅かったこともあり、今朝は9時まで寝ました。ぐっすり休んだみたいですが、眠った時間がずれただけ。
◆7時から黒野組広報部会。間に合わないと連絡してありましたが、7時半には、もう終わったそうで、遅刻にもならず欠席。

by e.wash-r | 2018-10-30 23:03 | 愚考 | Comments(0)
柿の葉
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T家おじょうはん。

おまいりを終え、縁をでると、庭の柿の木の下にきれいな柿の葉。気に入ったのを一枚拾うと、Tさんが「病気なんだけどね。」と。

本来の柿の紅葉は、柿紅葉といわれるほどの赤。落葉病という病気になると、複雑なまだら模様となり、早く色づき落葉するのだそうです。


人間が考えてできる美しさじゃないなあ、俗にいう自然の作り出す造形美だなあ、と思って眺めたのですが、ボクが拾ったのは、その落葉病の葉っぱらしいのです。


病んだものを美しいと思う感性を、ボク(たち)は持ち合わせているみたいです。

そもそも、病んだものって何?(WHOとかのじゃなくて)


要するに、よくわからないけど、みんな個性という病いなんですよね。



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by e.wash-r | 2018-10-18 23:28 | 愚考 | Comments(0)
加賀友禅と大樋焼を見た(だけ)
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山の帰り道、金沢の「おっちゃん」こと、古民芸商のNさんを訪ねました。もう日が暮れていて、閉店間際のほんの30分ほど。

おっちゃんと京都で知り合ってから、もう20年ほどになります。漆器のことはたくさん教えていただきましたが、今回、20年経ってはじめて、金沢の伝統工芸である加賀友禅と大樋焼の話を聞きました。


「加賀友禅」も「大樋焼」も、よく似た成立の過程だと思いました。

加賀藩、前田家の庇護と家元制のような徒弟制度。
京都の工芸技術(京友禅、楽焼き)の受け入れと独自発展。


今は(明治以降ずっとそうなのですが)、前田家のような、超強力な旦那衆・パトロンがいない時代です。、伝統工芸が、伝統を引き継ぐことが、ほんとうに厳しい時代が続いているのだと、つくづく思います。

お金のある方々が、別の意味で生き残りをかけて、時流に合った投資をしてゆかれるのは、たぶん当然のことなのでしょう。

ならば、せめて、庶民の中の小金持ちの方々が、クルマや海外旅行やグルメ、儲け話に投資する分のいくらかを、伝統工芸に向けられたらいいのに、と勝手に思ったりしています。

伝統工芸のよさが伝わらない時代故かも知れません。ほんとうは単に経済の問題ではなく、文化の問題でもあるのですから。


ボクがパトロンになる!という気概がないことには、このlogには何の意味も迫力もないのですが。嗚呼。



◆連休。なぜか中日に法要・仏事が集中。疲労困憊。
◆連休。帰省の若者、休みのこどものおまいりが多くてうれしい。
◆お墓のおつとめ。若い当主に「やっぱり座禅をしていると蚊に刺されても痒くないんですね。あの蚊の大群のなかで、お経を読み続けられたので感心しました。」と言われました。「痒かったし、掻きながらおつとめしていました。」と答えました。そのあと、仏間で、ゆっくり他力の話ができました。ぼちぼち。
◆お取越し、はじまりました。


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by e.wash-r | 2018-10-07 23:01 | 愚考 | Comments(0)