カテゴリ:愚考( 26 )
今日もムカデの話 ーたてわけということー
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暑い日でした。午後、X家にてご法事。汗をかいて三部経。

お取り次ぎをはじめて、1分くらい経ったところで、ボクとお聴聞の方の間にムカデ出現。普通に、ちょっと混乱。

「押さえて!」
「カーペットの下に入った!」
「そっち!」

そんな叫びが飛び交う中、冷静なX家次男のYくんが、いよいよ捕獲体制に入りました。Yくん、一瞬ためらってやはり冷静に質問。

Yくん:「こんなときに、殺生していいんですか?」

ボク「気にしない方がいいんじゃない!」

無事ムカデは捕獲され、仏間から運び出されて(その後どうなったかは知りません。)、お取り次ぎ再開。


ところで、『こんなときに、殺生していいんですか?』という問いへの答えは、どういうのがいいんでしょうね?

正解は、『そういうことを坊さんに聞いてはいけない。』だと思います。

坊さんには、難しいことはわかりません。経験もそれほどありません。だから、娑婆の有りようを尋ねられても、ひとりよがりの自分の意見を言うことしかできません。

こんなことを書くと、ある種のお坊さんからは批判を受けるかもしれませんが、生き方を語るなら、それはあさはかな人のただの私見だという認識が必要だと思います。そして、私見は仏教ではありません。私見なら私見として述べるべきで、わかってもいない仏教の教えから導きだされるもののように語ったり、教えにあったもののすがたのように語るのは、どう考えても、越権行為です。

『こんなときに、殺生していいんですか?』という問い。「消し去りたい。」という思いと「殺していいのか。」という思いの葛藤。そこにある苦悩。形こそ違え、生きているということはそういうことの繰り返しですよね。

たぶん仏教的な生き方などないのです。その苦悩を見据える慈悲があるのみ。「なんまんだぶ」だけです。


坊さんの言う娑婆のことは、あまり頼りにしないほうがいいと思います。


*写真は過去のものです。

*文に問題あるようなら削除します。




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by e.wash-r | 2019-05-12 23:32 | 愚考 | Comments(3)
お茶を飲みに行く

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連休中、なかなかまとまった時間が取れない。


帰省している長女が、3時間ほど空いたボクに、たぶん気を使って「お茶でも飲みに行く?」と誘ってくれた。


それを聞いていた母が、「家で飲めばいいじゃない。お金かからないから。」と、野暮なことを言ってきた。


母は、茶会から帰ってきたところである。


そもそもそ、お茶というのは、なんだかんだ理由をつけて、折々を楽しむというものではないのか?


経済観念で「お茶でも飲みに行く」という営みを一蹴する発言をするなどいうのは、茶道を楽しむものとして忌むべき蛮行だと思うのだが。


このようなことは、本来の楽しみが形式化されることによってよく起きる現象だ。ボクたちもよく陥る。



例えば、形式化した伝道は、事あるごとに発せられる宗門のスローガンのフレーズを、まさにその時だけ脈絡もなくスティロタイプに語ったりする。


形式化した勤式(仏事作法)は、事あるごとに定められる宗門の新しい作法を率先して取り入れ、それまで正統としていた伝統を一瞬にして上書きして過去のものにしたりする。



「お茶でも飲みに行く?」という一見煩悩まみれの軽いノリの、いかに清々しいことか。


飾った言動・形式化した楽しみは、いずれ変節したスガタを露呈するのだと思う。変わってしまった本質が顕になるのだから、それはそれで何の問題もないが・・・。


本質は本質なので、ある程度どうあってもいいと思うが、飾ること、形式化は、あまりかっこよくないような気がする。



たのしくない忠告には従わず、ちょっと気晴らしにお茶を飲みに行ってきました。







by e.wash-r | 2019-05-04 22:19 | 愚考 | Comments(0)
「REIWA」考
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「令和」という元号の時代を迎えました。

個人的に思うことは、どうしてもお位牌等、人目につく書き物をしなければならない身としては、「令」の字は難しい、ということです。

少し練習しましたが、なかなかうまく書けません。


もうひとつ、個人的に・・・。

「REIWA」という響きがなかなかいいなあと思います。巷の意見もおおよそそのようです。

その因を訪ねてみました。

たぶん「REIJOU WASHIOKA」に起因すると思います。



いい時代にしたいですね。




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by e.wash-r | 2019-05-01 23:58 | 愚考 | Comments(0)
注意書き
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稀有のハプニングの連続で疲れていて、夜のなるともう起きていられなくて、blog滞っています。

あまり空けてもと思い、葬儀場のことで、常々気になっていることを少々。


ご遺体を火炉まで運ぶ台車は、なぜ、電動なんでしょうか。


普通に人力で押した方が、スムーズなような気がするのですが。

炉に納めるときも、電動でリフトアップなくても、人力でハンドルグルグル回すような仕組みのほうが、微調整しやすいと思うのですが。


如何?


それと、岐阜市営のの火葬場のエントランスの壁のオブジェが気になっています。

壁をくり抜くような感じで、黒い半球の空間があり、底に白い札が置いてあります。

「はいらないでください!」という札も、シュールですが。

「ここにものを置かないでください!」と書いた札がて置いてあれば、なかなか洒落たジョークになると思うのですが。


とりあえず書いただけ、という感じのlogになりました。




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by e.wash-r | 2019-04-18 00:13 | 愚考 | Comments(0)
仏の子は いつも本当のことをいいます
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指を組んで、右親指が上になる人は、情報を左脳で(論理的に)理解

指を組んで、左親指が上になる人は、情報を右脳で(感覚的に)理解


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腕を組んで、右腕が上になる人は、理解を左脳で(論理的に)伝達

腕を組んで、左腕が上になる人は、理解を右脳で(感覚的に)伝達


2018年、上記のようなlogを残しました。

ボクは、上記の写真の通りで『論理的に理解し、感覚的に伝達』するタイプらしいです。



最近、同じく右脳・左脳の話の中で、『論理的に理解し、感覚的に伝達』するタイプというのは、『理想と現実のギャップに苦しむタイプ』であり、結果、要するに『細かいことはどうでもいい』タイプなのだという記事を読みました。


細かいことはどうでもいいのですが、最近、苦しんでいる理想と現実のギャップ。


4月2日の日曜学校・こども会の本山参拝で、阿弥陀さまと親鸞さまの前で、子どもたちと一緒に、『仏の子は いつも本当のことをいいます』と大きな声で「ちかい」ました。

こどもたちは、素直なので、本当にそう思って「ちかい」を述べたのだと思いますが、ボクは「いつも本当のこと」を口にすることの難しさを知るずるいオトナなので、「いつも本当のこと」を言いません。

そういうオトナが、子どもたちに「ちかい」を言わせていることに、得も言われぬ苦しさを感じていました。所詮、人の「ちかい」なのだから、気にすることでもないのかな、とは思うのですが・・・。その程度のことなら、わざわざ言わないほうがいいよね。


そう思いながら、ところで「本当のこと」って何なのかな?と真面目に考えました。


例えば、です。

ボクの思っていることに、おおよそ真はありません。真は「ほとけさまのおこころ」です。

「 煩悩具足の凡夫 火宅無常の世界は よろずのことみなもてそらごとたわごとまことあることなきに ただ念仏のみぞまことにておわします」(歎異抄・後序)です。


そうか、「本当のこと」というのはお念仏のことか。

『仏の子は いつも本当のことをいいます』というのは、『仏の子は、いつも「なんまんだぶ」と言います』の意だったのか。


妙に納得はしてはみたのですが・・・。それにしては遠回しだなと思ったりして。


本当のことは言わないほうがいいずるいオトナのたわごとです。






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by e.wash-r | 2019-04-10 23:49 | 愚考 | Comments(2)
カレーヌードルを食べる理由
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『まんぷく』が終わりました。

知らなかった「日清食品」の歴史はわかったかなあ、という感じ。

朝ドラのコンセプトとは、ちょっと違うんじゃないかなあ、という感じ。


さて、山では「カレーヌードル」を愛用しています。(前にも同じこと書いたかも。)

お湯を少なめにして、スープを全部飲むことができるからです。

ボクが属していた山のクラブには、「山には、下界のモノを残さない!」という掟?がありました。

当然といえば当然ですが、ゴミ、食べ残し(残ったスープも)等を捨てることは、ご法度ということです。(糞尿は残してましたが。)

『山のデリケートな自然に、栄養満点の下界の人工物は残さない。』というのは、科学というよりは哲学、哲学というよりは道徳倫理だと思っていました 。

また、一方で、『山は何でも受け入れてくれる。全て自然に還る』という理屈で、何でも埋めてしまうクラブがありました。宗教だと思いました。

とりあえず、道徳倫理の方が染み付いていて、カップラーメンのスープは飲み干さなければならないという強迫観念があります。

飲めなかったら捨てるしかないし、いくらか濾過しているとはいえ、生理的に捨てるモノは捨てているんですが。

道徳倫理はその程度のこと、ということです。

そのうち、カレーヌードルがカップ焼そばに変わる日が来るような気がします。









by e.wash-r | 2019-03-31 23:05 | 愚考 | Comments(0)
屋根裏で起きていたこと
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・1階の天井裏に銀杏の実入りの糞。

・2階の屋根裏に銀杏の実を食べた殻。

このふたつの痕跡とハクビシンのことに詳しいYちゃんの知識を受け、ひとつの推論。


1、ハクビシンは、境内の銀杏を大量に食べている。
2、ハクビシンは、銀杏の皮(果肉)だけを食べる。
3、ハクビシンの糞には、銀杏の実が入っている。
4、ハクビシンは、一階の天井裏に侵入している。

結論、銀杏の実入りの糞はハクビシンのもの。


5、ネズミは、銀杏の実を食べている。
6、ネズミは、銀杏の実の殻を残して食べる。
7、ネズミは、2階の屋根裏に侵入している。

結論、2階屋根裏の銀杏の殻は、ネズミが食べた残り。

推論、どうも、ハクビシンの糞の中の銀杏の実を、ネズミが食べているらしい。







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by e.wash-r | 2019-03-12 00:04 | 愚考 | Comments(0)
手前味噌考
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一昨日の法事のお斎の席。和食の店A。

北陸から嫁いでこられたJさんが「なかなか岐阜の味に馴染めません。」とおっしゃいました。

ボク:赤味噌とかですか。濃い色が受けつけられないとよく聞きます。
Hさん:色だけじゃなくて、味もです。
ボク:・・・

(美味しいんだけどなあ・・・)と味わって、赤だしをいただきました。


本日、昼、Mさん手作りの白味噌の味噌汁。
浮いた豆腐とネギとなめこがきれいでした。
美味しかったです。

本日、夜、Hさん手作りの郡上味噌のじゃがいも入り味噌汁。
郡上味噌の素朴な味。
美味しかったです。

「みんな違って、みんないい」というのは、一般論化するんじゃなくて、たまたまこういうことがあったときに使うとちょうどいいんじゃないかなあと思った次第。


製法とその文化からしたら、味噌という一括りなんでしょうが、そもそも、味噌というのは、それぞれ、味も材料も作られる風土も全く別。
目玉焼きに、ウスターソースと醤油とケチャップと塩のどれをかけるかというくらいの違いがあるような気がします。

ということからすると、手前味噌というのは、手前(私)とあなたは、味噌ほど違う、要するに醤油とケチャップほどに違うと言えるのかも。
”味噌も糞も”とも言うし・・・。


昨日今日、たまたまあちこちでごちそうになった味噌汁が全部美味しかったということを書きたかっただけです。



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by e.wash-r | 2019-01-27 23:01 | 愚考 | Comments(0)
総代さんのありがたさを思う
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無給の国家公務員というものが法で定められて存在します。

字面だけ見れば「公僕」とはこのことかと思う次第。非常勤ながら、縁あってボクはそのお役を引き受けています。


その”自主”研修というものを受けてきました。所轄官庁の方が、新年の挨拶のあと、そのお役の人員不足・老齢化という問題について述べられました。要するに、なり手がないのです。

(宗教の社会貢献を言うお坊さんには、消防団、水防団、このお役をおすすめしたいです。)


そのお役の”なり手がない”ということについて思ったこと。

無給で、主な職務の時間はおおよそ平日の夜か土日、ということを考えれば、所轄官庁の職員さんが勤務時間外に、まさに無給ですればいいのに、と思ってしまいます。ボクたちも普通に自分の勤めのなか、その職務を担っているわけなので、条件は同じではないかと思ってしまうのです。僻み、やっかみかもしれませんが。


そう思って、ふっと総代さん方のことを思いました。

お寺のために一生懸命尽くしていらっしゃる総代さん。「総代のシゴトは、ご院さんがすればいいのに。」などとはおっしゃいません。ほとけさまのため、おみのりのため、お寺のため、宗門のため、それだけです。

そのことを思うと、住職として、やることやらないといけないし、言っては(思っては)いけないことがあるなあ、と真摯に思いました。

非力ながら、少しはお国のシゴトもしないとね。

成り行きで、引き続き来年度も、相応に大変なシゴトの担当になりました。ちょっと気が重いです。イヤとは言えないし・・・。なお、でも、愚痴は言うことにします。



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by e.wash-r | 2019-01-10 23:57 | 愚考 | Comments(0)
路上の思索
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町のあるガレージでみかけた『ワンちゃん、猫ちゃんの飼い主の方へ』というの貼り紙。

論理的に言えば、「ワンちゃん」ならば「ニャンちゃん」、「猫ちゃん」なら「犬ちゃん」という関係が妥当かと思うわけですが、特に違和感は感じません。


この張り紙を見て、ふっと、いわゆる本尊論について、思ったわけであります。

本尊論というのは、「名号(南無阿弥陀仏という声の字)」と「絵像(阿弥陀さまの絵)」と「木像(阿弥陀さまの木像)」、どれがいいか?みたいなこと。(かな?)


『ワンちゃん、猫ちゃんの飼い主の方へ』で、意味がわかっちゃったボクとしては、要するに、「ワンちゃん」でも「犬ちゃん」でも「ニャンちゃん」「猫ちゃん」でも、まあどれでもいいということになるわけで。

少し付け加えるなら、犬がワンと鳴く、猫がニャンと鳴くと知っていればこそではありますが。


ただ、「ワンちゃん」と「ワンコちゃん」、「ニャンちゃん」と「ニャンコちゃん」の違いを問われると、それは???なのであります。


悪ノリして、ゴメンナサイ。



・・・ところでみなさーん、16日は岐阜別院の朝粥の日ですよ~。






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by e.wash-r | 2018-12-15 23:29 | 愚考 | Comments(0)