カテゴリ:愚考( 11 )
柿の葉
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T家おじょうはん。

おまいりを終え、縁をでると、庭の柿の木の下にきれいな柿の葉。気に入ったのを一枚拾うと、Tさんが「病気なんだけどね。」と。

本来の柿の紅葉は、柿紅葉といわれるほどの赤。落葉病という病気になると、複雑なまだら模様となり、早く色づき落葉するのだそうです。


人間が考えてできる美しさじゃないなあ、俗にいう自然の作り出す造形美だなあ、と思って眺めたのですが、ボクが拾ったのは、その落葉病の葉っぱらしいのです。


病んだものを美しいと思う感性を、ボク(たち)は持ち合わせているみたいです。

そもそも、病んだものって何?(WHOとかのじゃなくて)


要するに、よくわからないけど、みんな個性という病いなんですよね。



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by e.wash-r | 2018-10-18 23:28 | 愚考 | Comments(0)
加賀友禅と大樋焼を見た(だけ)
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山の帰り道、金沢の「おっちゃん」こと、古民芸商のNさんを訪ねました。もう日が暮れていて、閉店間際のほんの30分ほど。

おっちゃんと京都で知り合ってから、もう20年ほどになります。漆器のことはたくさん教えていただきましたが、今回、20年経ってはじめて、金沢の伝統工芸である加賀友禅と大樋焼の話を聞きました。


「加賀友禅」も「大樋焼」も、よく似た成立の過程だと思いました。

加賀藩、前田家の庇護と家元制のような徒弟制度。
京都の工芸技術(京友禅、楽焼き)の受け入れと独自発展。


今は(明治以降ずっとそうなのですが)、前田家のような、超強力な旦那衆・パトロンがいない時代です。、伝統工芸が、伝統を引き継ぐことが、ほんとうに厳しい時代が続いているのだと、つくづく思います。

お金のある方々が、別の意味で生き残りをかけて、時流に合った投資をしてゆかれるのは、たぶん当然のことなのでしょう。

ならば、せめて、庶民の中の小金持ちの方々が、クルマや海外旅行やグルメ、儲け話に投資する分のいくらかを、伝統工芸に向けられたらいいのに、と勝手に思ったりしています。

伝統工芸のよさが伝わらない時代故かも知れません。ほんとうは単に経済の問題ではなく、文化の問題でもあるのですから。


ボクがパトロンになる!という気概がないことには、このlogには何の意味も迫力もないのですが。嗚呼。



◆連休。なぜか中日に法要・仏事が集中。疲労困憊。
◆連休。帰省の若者、休みのこどものおまいりが多くてうれしい。
◆お墓のおつとめ。若い当主に「やっぱり座禅をしていると蚊に刺されても痒くないんですね。あの蚊の大群のなかで、お経を読み続けられたので感心しました。」と言われました。「痒かったし、掻きながらおつとめしていました。」と答えました。そのあと、仏間で、ゆっくり他力の話ができました。ぼちぼち。
◆お取越し、はじまりました。


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by e.wash-r | 2018-10-07 23:01 | 愚考 | Comments(0)
台風一過に寄せて
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昨晩は、相当の覚悟をしていましたが、幸い、当地においては、台風24号の被害は特になかったように思います。

被害にあわれた方々には、お見舞い申し上げます。


あくまで、”当地”における「台風」考。(主語・主体は”当地”になります。)

この一月の間に、ふたつの台風が当地近くを通り過ぎていきました。21号と24号。


21号は、琵琶湖西岸を通り、日本海に抜けました。
当地の北を通過したことになります。

24号は、木曽三川河口を通り、関東を縦断しました。
当地の南を通過したことになります。


ほぼ同じ規模・性格のふたつの台風が、それぞれ当地の、北と南を通過したということです。


ふたつの台風を経験して、『台風の進行方向に対して右側の方が風が強い。』という論理は、当地については、見事に当てはまっていました。

当地では、『台風が北を通ると風が強い。』といいます。
また、『南東の風が怖い。』ともいいます。

このふたつは、台風の経路と風の関係のうえでほぼ同義語です。北を通過した21号の被害が大きかったことは、当地の俚諺のそのままです。

あらためて、気象・天候についての伝統的な言い伝えと自然科学の論理性・自然に翻弄された歴史の帰納の一致に感動します。


ただ、わかっていてもどうすることも出来ない領域・規模のことがあるのも事実。悩ましいところです。


宮沢賢治が、

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ・・・

と、詠んだうえで、

サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

と、自身も含めた自然を諦観しきれないことばで結び、さらに法語を続けたことに、どういう思いがあったのだろう、と想像しています。


宮沢賢治には失礼ですが、ボクは、

雨にも負け
風にも負け
雪にも夏の暑さにも負ける

でも娑婆のことは娑婆の論理で始末をつけよう、と思うわけです。
それが正しいかどうか分からないし、たいていうまくはいかないのですが・・・。

南無阿弥陀仏




◆眠い。とにかく眠い。
◆台風一過の晴天。雨戸の片付けは乾くのを待って明日。落ちた銀杏を拾い、落ち葉を掃くのも濡れているので明日。得意の先延ばし。本堂だけは、終日全開にして風を通しました。
◆母と坊守と、父の法事の相談。前回の法事の写真・記録等を見返して。手間をかけるには、母も坊守もボクも年をとった、ということで、どうするか思案中。

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by e.wash-r | 2018-10-01 23:00 | 愚考 | Comments(0)
亀屋陸奥&辻利
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9月22・23・24日の三連休。24日の月曜日はお茶の日だったはず。

お茶の先生こと坊守は、夕方まで忘れていて、あわてて準備してました。

Iちゃん、Maちゃん、Miちゃんはというと、これまた全員忘れていた模様。参集なしで、稽古、休みになりました。

せっかく京都の亀屋陸奥の松風と辻利の生八ツ橋があったのに・・・。

こういう日もあります。


厳しい人には批判を受けそうですが、ちょっと発想を変えてみます。

普通、塾やクラブなどは休みません。さぼりません。あまり忘れたりしません。忘れていても、気がついたら慌てて行きます。たぶん。

そうしなければならないから。
約束だから。
叱られるから。
置いていかれるから。
迷惑をかけるから。
お金を払ってあるから。
「好きだから」


こんな感じで、稽古事、習い事のモチベーションはいろいろですが、ボクは単純に「好きだから」というのが好きです。

が、有象無象のシガラミというものも、必ずあります。
「好き」でも、おおよそ面倒くさいときもあるものです。

何が言いたいかと言うと、「好き」なことならサボってもいいんじゃないか?ということです。秩序は必要ですから「好き勝手」がいいとは思いませんが、『「好き」だけど今日はやめとこう。』というのはありのような気がするのです。

要するに、先生も生徒もみんなお茶の稽古のこと忘れていて、なんとなく最後はそのことにみんな気がついたんだけど、今日は休み!ということになるのって、なんとなく健全かな、と思うわけです。

「好き」ならまたできるわけで、サボったところで「好き」に変わりはないわけで・・・。


逆に言うと、サボってもいいのに、来ても来なくてもいいのに、みんなお茶の稽古に来るんです。よくよく考えてみたら、稀有なことですよね。

つくづく、「好き」ってスゴイ!
・・・お菓子の魅力ってスゴイ!


◆高校のプチ同窓会。40年前と変わらない先生と変わってしまったボクたち。
◆社会の抱える問題をじっくり聞きました。みんな苦悩してます。
◆3連休最後の日の柳ヶ瀬は、ボクが知る限り最高に閑散としていました。
◆熟睡しました。と言っても珍しく起きても覚えている夢を見たのでそうでもないかも。電車とバスに乗って、行き先間違えて、引き換えした夢。悶々。

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by e.wash-r | 2018-09-24 23:12 | 愚考 | Comments(0)
『あしたのジョー』再読

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思うところあって、『あしたのジョー』を読み返してみたくなって、オークションで全巻、格安でゲット。

そんな折、朝ドラの『半分、青い』のなかだったり、某会議の市議会議長さんの挨拶だったりに『あしたのジョー』が出てきて、なんとなくうれしい昭和のおっさんになっています。


マンガを買ってもらえる環境になかったので、「巨人の星」は、近所のKちゃんの家の2階にあったのを読みました。「あしたのジョー」は、親戚の家の階段の下に積んであったのを読みました。

いずれも小学生のころのことだと思うので、内容など理解していなくて、ただ見ていただけだったかもしれません。「あしたのジョー」よりは「巨人の星」のほうが面白かったような記憶です。たぶん、単純に、ボクは、ボクシングより野球のほうが好きだったということくらいのこと。

ただ、あるとき、当時のボクからすると、とってもオトナに見えた大学生のTちゃんたちが、”「巨人の星」より断然「あしたのジョー」だよね”みたいな話をしていて、なんとなく、”やっぱり『あしたのジョー』だよね”みたいに思い込んで今に至っています。


ちょっとまじめに書きます。

『あしたのジョー』を再読しようと思ったのは、下記のような話にであったからです。


【ジョーと力石と試合。ジョーのパンチを顔面に受け、力石は試合後死亡。以降、ジョーは、顔面へのパンチが打てない(いわゆるPTSD)このジョーの、PTSD克服、つまりボクシングへの完全復帰の物語が、『あしたのジョー』。】だとすれば、『あしたのジョー』は、心的ストレスを抱えたものが社会復帰をめざす物語と言える。
昭和という時代は、そういう時代だった。しかし、今は、なんとなくだけど、社会復帰・社会適応が解決ではないと気づきはじめた時代。ボクシングを捨てるというストーリーもありかもしれない。云々。(大意)


こんな視点もあるのかと、もう一度(実は、実質はじめてなのかも)、『あしたのジョー』を読んでみようと思ったわけです。

今、すこしづつ読んでいます。

”ちょっと、まじめに書きます”と大風呂敷を広げましたが、 眠くなったので、以上。

いつかにつづく・・・。


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by e.wash-r | 2018-04-20 23:23 | 愚考 | Comments(0)
引越しシーズンに思う
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年度替わりの引っ越しシーズンもそろそろ終わりのころ。


・近所のMさんが、娘さんの引っ越しをするということで、台車(キャリアカート)を借りにみえました。

・無事引っ越しを終えられ、台車を返しにみえました。お礼にと、高級なお菓子を持って。


量販店で安く買った台車。たぶん、高級なお菓子の方が高いと思います。なんかヘンな感じですが、引越し先の京都で、わざわざ買ってみえたお菓子です。お心も合わせて、ありがたく頂戴しました。


取引じゃないので、何もなくてもいいし、過分でもいいし・・・。


お世話になるということは、先方への信頼あってのことです。お世話になるという時点で、関係は何もかも完結しているのかもしれませんね。単純な人間としては、頼まれたらうれしいし・・・。(うれしいから何でも引き受けるという意味ではありません。そこは念押し。)

というわけで、住職としては、門徒さんにいろいろお世話になっちゃおうと、勝手に思うわけであります。






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by e.wash-r | 2018-04-14 23:05 | 愚考 | Comments(0)
分別を離れる ーオレンジと紫ー
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先日、プリンターを2台誤発注したのに続いて・・・。


コンビニで昼食を買いました。代金支払いのとき、思ったより高いな?と思いました。

昼、レジ袋の中を見ると、野菜ジュースが2本。

2本買った憶えがありません。オレンジの方にしようか、紫の方にしようか、と悩んだ記憶はあります。

そういう領域?に入ったのかもしれません。少し恐怖を感じます。

分別を離れたというか、分別のないオトナになってしまったというか・・・。

よろこんでいいのか悪いのか、もう、さっぱりわかりません。



,yっtg

by e.wash-r | 2018-01-26 23:18 | 愚考 | Comments(0)
『お浄土の話 -熊野の捕鯨より-』
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S大学の「報恩講の集い」へ。

「視覚に訴える視聴覚教材があると・・・」というご依頼であったこともあり、それなりに考え抜いてのお取り次ぎでした。

視覚的に訴えるものがある、ことを前提に構成。過日訪ねて非常に思うところのあった熊野を題材に、『お浄土の話 -熊野の捕鯨より-』と題し、絶対に”仏教”と”他力”をはずさないお話しをしたつもりです。

熊野の捕鯨の話・映像は、お取り次ぎ全体の1/10程度ですが、「視覚」という意味では、ボク自身が感銘を受けた内容。伝えたい、という思いでお取次できました。


「とどめを刺すとき、漁師が称えるお念仏」、「極彩色の捕鯨船は、命絶えるクジラの目に映る景色がお浄土であって欲しい、という願いからのものである」という一説。

娑婆の日暮しのなかのお浄土に、熊野の土徳を思います。



御伝鈔のなか、「熊野霊告」の段で述べられる親鸞聖人の最後のことば「そのことなり」の意を、ずーっと考え続けています。

たぶん、「そのことなり」です。




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by e.wash-r | 2018-01-12 23:20 | 愚考 | Comments(0)
お寺の未来

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過日、知人のAさんから、素朴な質問を受けました。

ひとことで言うと「儀礼の意味は? 」ということ。

実際の質問は多岐にわたり、ご自身の具体的な経験から生じた疑問。質問をされるお気持ち,
十分察することができました。

Aさんは曹洞宗の檀家さんでいらっしゃいますが、浄土真宗では・・・ということをお伝えしました。迎えてくださるほとけさまがいらっしゃるということをよろこんでおられる方なので、そのまま聞いてくださったことと思います。


できる限り丁寧にお伝えしたつもりです。仏徳讃嘆と報恩謝徳という原則のみで、具体的なことに触れることができなかったのは、ボクの力量不足。ただ、宗門として、おそらく儀礼論というものが確立していないということにも一因はあると思っています。(確立できるものか、していいものか、わかりませんが)



少し気になることがあり、調べものをしました。調べれば調べるほど、疑問が増大。悶々としながら、長男に電話して質問。

上述の儀礼論について、寺檀制度と寺院の伝統・地域の土徳ということについて。

明快に答えてくれました。ただ、答えというか現状。正直、ちょっと不安になるボクたちの現状です。

長男から「父ちゃんのようには、みんな考えていないよ。そう考える雰囲気もない。」と言われてしまいました。時流に合っていない、そうです。長男は悲観していました。

少なくとも、ボクは、回りの人たちと話ができるので、そんなことはないだろうと思うのですが・・・。



また、愚痴です。





                    

Tumblr 『西蔵防だよん』
 
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by e.wash-r | 2017-09-14 23:28 | 愚考 | Comments(4)
家は学校じゃないということ
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FBを覗いて見つけたコメントに、えらく同感してしまったので、一部切り取って、多少加工して、そのあたりの雰囲気が伝わるように、下記。(コメント主に転載の同意得ていません。あしからず。)

夏休み中盤

そろそろ限界
本当早く学校始まって
でもさ、ってことは 学校ってやっぱりすごいよね


自分のこども(1~6人くらい?)を見ている親。
1クラス、30・40人の生徒を見ている先生、学校。

見ている姿勢が違うんだとおもいます。
家庭と学校では、場の役割が違うし。

どう違うかは、もう眠くて考えるの面倒なので、パス。

何が言いたいかというと、親の思いを先生に、家庭の思いを学校に期待するのは、ちょっと筋が違うんじゃないかな、ということ。

期待するなという意味ではなくて、そもそも学校のパフォーマンスは最高だということ。
「学校ってやっぱりすごいよね」なのだと思うわけです。

それに比べー家庭のことは、自分のことなので、???なのであります。


整理できませんでした。なんか矛盾だらけのような・・・。






やっぱり愚考です。
by e.wash-r | 2017-08-13 04:11 | 愚考 | Comments(0)