カテゴリ:遊びをせんとや生れけむ( 685 )
lady's day でしたが
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今日もスキー。遊び呆けてます。

リフト券売り場のお姉さんに、「シニアシーズン券の同伴2名ですね。」と言われ、「同伴?」と反応するくらいのおっさん3人で。

Sが誘った、30年ぶりのスキーのMさん参戦で、とうとう平均年齢60歳を超えました。

ボクは13時から15時半まで、一座二席で帰途に。SとMさんはたぶんリフトが止まるまで粘っていたと思います。


おまいりがあるので先に帰ることを伝えると、奥様を亡くされたばかりのMさんが、「妻は『カヌーで見たホタルきれいだった。』って、ずっと言ってたよ。ありがとう。ありがとう。」と何度も繰り返されました。

Sは、寂しそうなMさんを見て、無理やりスキーに誘ったんだと思います。サングラスが涙で曇ってしまいました。まだ下まで降りないといけないのに。

会いたい人に会い、行きたいところに行き、したいことをする・・・。なかなかできないけど、できるならそうしようと思いました。


昨晩の雪が30センチほど積もったゲレンデ。午後からでしたが、端っこに残る新雪、へなちょこながら楽しませてもらいました。

道具の性能ではなく、技術で滑れたら、もっと楽しいだろうなあと思うので、次のチャンスをうかがうことにします。


今シーズン、テレマーカーにまだ出会っていません。






iPhoneから送信

by e.wash-r | 2019-01-18 22:55 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
おっさんスキー
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朝のおまいりと夜のおまいりの間の時間、寸暇を惜しんでひとりせっせとスキーに行ってきました。

めいほうスキー場手前の道の駅でちょっと休憩。トイレから出てくると、ボクのマーチにアルファードが横付けしました。

中から、なんだか強面のおっさんが出てきて、要約すると”ワシもめいほうスキー場へ行くところや。車はワシが出す。板、アルファードに積めや。”というような感じで、話しかけられました。逆らうと怖いので、アルファードに板を積み替え、その強面のおっさんといっしょにスキー場へ向かいました。おっさんは、ミラーのサングラスをしていたので、表情は読み取れませんでした。

というのは、本当の話です。


10時過ぎに家を出ると、10時半ごろ、S師からメールが入ってきました。「今日、めいほうへ行きます。」

すぐ電話しました、「ボク、今、めいほうに向かってるんやけど。」

電話の時点で、S師は土岐ジャンクション、ボクは関市。道の駅で待ち合わせることにしました。という次第の偶然からの必然です。


同級生のS師は、おっさんにしてボードをはじめたとのこと。早速スクールに入って、マンツーマンでレッスンを受けていました。57歳のその好奇心と意欲に脱帽です。でも、インストラクターの方は、怖かったのではないかと想像しています。

ボクは、ピステでは、丁寧に体重移動の練習、不整地を見つけると、とにかく入っていきました。ほとんど人がいなかったし、雪も降っていたので、結構新雪楽しめました。BD社のhavok(破壊)という板は、その名の通り、技術がなくても板の性能でムチャクチャ進んでいくという感じで楽しかったです。今日は、2年目のファット+プラブーツの日でした。


まだまだオッサンも捨てたもんじゃないです。


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by e.wash-r | 2019-01-17 23:29 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(2)
帰雲山荘の行方
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ある湖畔に帰雲山荘という丸太小屋があります。

この手作りの丸太小屋建設がはじまったのは、少しカッコよくロマンチックに言えば、今から40年ほど前のSさんとボクの会話から、だと思います。

当寺、Sさんは社会人で、その世界ではちょっと名の知れた「ごきぶり丸」というヨットの共同オーナー・ごきぶり青年団の中心人物。

縁あって、ボクは、こどもの頃から、そのごきぶり青年団のアソビに何度か誘われ、ダムに沈んだ徳山村鬼生谷で魚を突いて暮らした源流キャンプ、嵐の海のごきぶり丸の進水式等々、中高生にしてはちょっと怪しくて危ない体験をさせてもらいました。

ボクが大学生になって山へ行きはじめたころ、バイト先で、Sさんから「庶民にヨットと山小屋を。」という夢を聞き、その話をきっかけに「山小屋を作りろう。できれば丸太小屋を。」という話になったと記憶しています。

ごきぶり青年団を中心にして山小屋建設の話が進み、紆余曲折を経て完成、今に至っています。


ボクは、最初から関わってきましたが、完成の頃から、ほとんど山小屋へ行っていません。山小屋を建てるというプロジェクト、その作業に熱中はしましたが、山小屋というものに魅力を感じないのだと思います。一箇所にとどまる、ベースキャンプで遊ぶということが苦手なのだと思います。


14日の夜、Sさんの家で、帰雲山荘の飲み会がありました。遅れて参加すると、最近右翼化の激しい自由なAさんと義理人情の熱血漢Sさんがバトル中。酒が飲めればいいノンポリのEくんも一応たぶんいちばん論理的なボクも加わって、もうカオス。エコロジストのニイムラさんがいなかったので、取っ組み合いにはなることはなく、楽しく討論。朝の4時まで、懐かしい話もいっぱいできました。

そんな中、帰雲山荘存続に向けてのちょっとシリアスな話も。「解体する」という話なら、具体的な発言もできましたが、「どう使うか」という話では、ボクの出る幕はありませんでした。


帰雲山荘に興味のある方は、オーナーでもビジターでも、ぜひ利用されるといいと思います。谷も湖も山も雪も森も、いい人々も揃った山小屋です。




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by e.wash-r | 2019-01-15 23:59 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
花びら餅
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15日は初釜。

過日、テレビで「花びら餅」の作り方をやっていたので、見よう見まねで作ってみました。

簡単にできると思ってはじめましたが、思ったより時間がかかり、出来もイマイチ。

餡は、好みで普通の粒餡です。


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by e.wash-r | 2019-01-14 23:27 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
買ってしまいました。
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スキー場のシーズン券なるものを買ってしまいました。

シニア(55歳以上)の平日券です。

半日空くようなときがあれば、午前・午後を問わず、もとを取るために足繁く通いたいと思います。


とりあえず、午前の2時間弱ですが滑ってきました。

同日、同級生のS師が、入れ違いで午後滑っていたことが判明。S師は、”シーズン券買おうか迷ったけど、半日滑るのが限界なので、そう考えるとシーズン券のもとは取れない。”と言っていました。たしかにそのとおりだと思いました。

まあ、遊びの背中を押してくれるカードを手に入れたと思って、楽しみます。


なお、シーズン券の特典として、同伴者2名までリフト1日券が半額だそうです。特典付きの男・クーポンになった気分です。

ところで、あちこちで配られているクーポン、結構そのままゴミ箱に捨てられてますよね。



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by e.wash-r | 2019-01-08 23:20 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(2)
餅つきの準備
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12/30のお華束つくりの準備、ほぼ完了。

でも、まだ華立・幕張等の準備は、まだ途中です。





by e.wash-r | 2018-12-29 23:03 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
「子どもの貧困について」という研修会

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黒野組の僧侶・各種団体の①合同研修と②住職連絡会と③懇親会。


”宗門の方針に従って”、「子どもの貧困について」の研修。母子生活支援施設の施設長さんでいらっしゃるX師のお話を聞きました。同級生でした。

表面化しにくい問題であること、定義が様々であることから、実態がわからないのが現状らしいですが、7人に1人が「こどもの貧困」状態であるという調査報告もあるらしいです。また、母子生活支援施設が抱える難しい問題も伺うことができました。


講義を受けて、話し合い。

ずっと皆さんの話し合いを聞いていましたが、「夏休みにこどもの日を設けている正蓮寺さんの意見を聞かせてください。」と指名されたので、以下のようなことを話しました。


・応仁の乱で荒れた京の飢え苦しむ人々に、寺社は炊き出しをしたそうです。しかし、経済的に続かなかったといわれています。そんななか、蓮如上人は、おみのりを伝えることが本願寺のつとめとされたそうです。史実なのか、作り話なのかはわかりませんが、ボクは、蓮如上人の500回遠忌のとき、この話を聞きました。以降、大切にしています。

・地域のこどもの支援を続けていらっしゃる方から、親がつとめていて祖父母等が同居していない家庭のこどもの夏休みの昼間の実態を聞き、夏に3日ほどですが、朝から半日(4時頃まで)、こどもを預かる日を設けました。自分の好きなことだけしかしていませんが、体力的に”キツイ”という感想です。今年は、もうやめようと思いましたが、坊守と相談して半分意地でやりました。それなりに、お寺としてできることのひとつだとは思いますが、キツイので、とにかくやる気しだいです。自身が続けられるかどうか不安なので、おすすめしません。

・この問題は、そもそも政治、行政、地域社会、家庭の問題です。寺として、僧侶として関わるには、スキルも時間もお金も惜しみない労力も必要。正直なところ、ボクたちが、独自に真摯に行動するのは無理だと思います。研修会なら出席すればいいのですが、いざ行動となると、現実は厳しいと思います。お寺・僧侶のつとめに注力したうえで、むしろ、一市民として、既存のものにできる協力をするのがいいのでは、と思います。例えば、会所として場を提供するなど、活動の要請に応えることはしていけばいいと思います。


以上の生意気な意見を、5分以内で話して、勝手ながら、中抜けで法務へ。その後、どんな展開になったかは聞いていません。


法務から戻ってくると、①研修とその後の②住職連絡会はもう終わっていて、次の③懇親会の場へ。

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楽しかったですが、今回の研修のあと、ごちそうをいただく懇親会というのは、なんとなくシュール。なんとなくですが。






by e.wash-r | 2018-12-04 23:47 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
最後の稽古
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最後のお茶の稽古でした。

淡々と30年。

気のせいか、みなさん元気がないようにみえました。

「なぜやめるの?」という素朴な疑問に、「もう、みんな先生だから。」という先生である前坊守の答え。

行事のたびに手伝ってもらったこと、いろいろ思い出して、寂しい気持ちでいます。


先生様には、ボケ対策のために、それと、有り余る時間をボクの方に向けないように、お浄土まいりまで続けてほしいと願うのですが。





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by e.wash-r | 2018-11-29 23:37 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
『岐阜テレマーク倶楽部』交流会
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楽しみにしていた『岐阜テレマーク倶楽部』の交流会。

法務が重なって1次会終了の10時に「くしびき」到着。鍋は空。6人の会。3人は2次会へ向かうところでした。

空腹だったので、ボクだけ残って、すぐできそうな焼きそばと冷奴と焼き鯖を注文。隣に座った”しーちゃん”という女性と世間話をしながら遅い夕食。すぐにでも、みなさんを追いかけて2次会に行きたかったのですが、しーちゃんを無碍にはできず、結局1時間。

11時、いつもの2次会場の「ダブルサイダー」着。ジャズ好きの3人が、大きな音量のなか、雪山談義中でした。

見かけは普通のおっさんですが、3人とも山の達人。ボクとは別世界の超人と言うかバケモノというか、話にすらついていけないのですが、図々しく同席させていただきました。体験・経験で語られる達人方への憧憬と恭敬のみ。

ボクの中では、どうしても論理的に説明のできない「なぜテレマークスキーなのか?」の問い。達人に聞いてみました。

やっぱり論理的理由などありませんでした。たぶん、女の子を好きになるのに理由などない、みたいなもんなんでしょうね。

まとめ役のI師が、来春、テレマーク発祥(再興)の地「コロラド」の山を滑りたい、と英語の分厚いガイドブックを見せてくださいました。地形図と英語ばかりで、ボクにはよくわかりませんでしたが、何箇所か入っている折り目に、夢ではなく具象なのだと、あらためて憧憬と恭敬。


ボクは身も心もへなちょこすぎて、とてもコロラドへは行けないので、日本のテレマークスキー黎明期の、kazamaskiの沢田さんのエッセイを餞とします。




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ごく最近、物置から発掘した20年前の「WILD TURKEY CUP」のパンフレット。

ボクは、毎回このパンフレットに載る沢田啓氏のエッセイを楽しみにしていました。
一部抜粋して掲載。


『サンミットカウンティ』1989より

コロラド州サンミットカウンティの某スキー場で、カーキャリアからテレマークスキーを下ろしていた。マウンテンパーカーにゲーター装の大男が、ニッコリ笑いながら近づいてくる。「今日はいい天気だ。今日はテレマークがいい・・・」

リフト乗り場では、リフト係の彼女が声をかけてくる。「今日はテレマークが最高ね。」

ここサンミットカウンティはアメリカモダンテレマークの発祥の地である。・・・カフェテリアの彼女もシャトルバスの運転手も、みんなテレマーカーなのだ。・・・

『雪山自由人』1987年より

テレマーカーの心の奥に、しっかりと刻みこまれているひとりの男がいる。

彼の名は、アル・ジョンソン。スキーを履いた郵便配達員である。彼のテリトリーは、あのロッキー山中のハイカントリー。彼は毎日100Kmにもおよぶ行程をこなし続けた。そのスピードたるや、まるで弾丸のようであったと言われている。

じつに偉大な男だ。自然に対する理解、雪山の知識、スキー技術、すべてにおいて超常的であった。いまもなお、テレマーカーたちは、彼にスキーマイスターという称号を与え、心から尊敬している・・・。


沢田啓氏の設計した『TEREMARK CONPⅡ』という20年前の板を今も使っています。極めてマニアックな自慢のひとつ。

ところで、今年はスキーに行けるんだろうか?


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後で知ったのですが、『岐阜テレマーク倶楽部』の交流会に参加の6人のうち2人は、昼間、初滑りしたあとの参加だったそうです。

萎縮します。


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by e.wash-r | 2018-11-27 23:12 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
朱のお膳の歴史 -法事の準備-
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22膳

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倉庫の奥から

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昭和3年 父や母が生まれた頃(s5,s9)

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昭和37年 ボクが生まれた頃(s36)



11月15日に、前住職の7回忌と前々坊守の23回忌のご法事をおつとめます。

10月の下旬から、ぼちぼち準備開始。ここ数日は、空き時間に、お斎のお膳の準備をしています。(させられています。)母が張り切っていて、急かすので結構疲れます。

物置の奥深くに片付けられている朱のお膳を出しました。6年前に使って以来。

お斎のお接待というよりは趣味かも。楽しみでなかったら、苦痛でしかない作業です。

前回使って整えた20膳に加え、中古で購入して以来初めて使うものも。

包んである古い新聞紙の日付を見たら、「昭和初期」のものと「昭和37年」のものがありました。



箱の記載・新聞の日付等から想像すると、

大正8年9月   新調・購入 
昭和3~9年頃  使用
-戦争-
昭和37年頃   おそらく最後の使用

お膳が、当寺に巡ってきたのは平成20年頃。6年前、およそ50年ぶりに日の目を見たと考えていいような気がします。



近所の人、親戚、家族、ご縁の方々を招く。
ほとけさまをおかざりする。
おまいりをする。
食をともにする。


そうは言っても、家族は集まりきらないし、
相応の体力・時間・財を消費することにはなるし、
煩わしいという思いがないわけでもないのですが、
たぶん、いい時間を過ごせるだろうな、と思うわけです。
なんとなく、楽しみなわけです。
せっかくだから、遊んじゃえと思うわけです。

でも、実は、最近の合理化・簡素化という風潮への意地でもあったりします・・・。


面倒くさいけど楽しいって何なんですかね。

















by e.wash-r | 2018-11-12 23:59 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(2)